怒りの置き所

 世のおこさま方の楽園「なつやすみ」は主婦にとっては試練の四十日。

 その四十日に突入する前日、終業式の日に不意打ちをくらった。

 そう、終業式の後は彼らにとってはすでに「なつやすみ」。しかも学校で顔を合わせて遊ぶ約束ができる。登校日のない学校なので貴重な機会、そりゃもうぜったい遊ぶよね。

 しかも十歳前後のギャングエイジ。集団で遊ぶのが楽しいお年頃。


 私はその日、仕事で、帰宅したのが午後四時半だった。

 職場での挨拶が「熱中症に注意」「水分補給はしっかりと」になってしまうような日の、汗ではりつく服と頭痛をまとっての帰宅……なのだが、思わず直前で自転車から飛び降りてしまった。

 なんじゃこりゃあ、と口から出た。

 マンション一階の、車がぎりぎり一台置ける程度のうちの駐車スペースに、自転車と小学生が詰まっていた。コンクリートの車止めに腰掛けて携帯ゲーム機で遊ぶ子、それをのぞき込む子、理科の授業で配られた水鉄砲を持ち寄って、うちの庭の水栓で水を補給する子。けんかを始めて自転車を倒し、相手につかみかかる子。

 間に割って入って止め、水栓の近くで干された洗濯物の下に水滴がついていたので、洗濯物が乾いているのを確認して手近なものを屋内に取り込んだ。水栓傍の観葉植物は庭の奥に移動した。倒れた自転車の反射板が割れたと報告に来た子から反射板を受け取り、つかみかかった子の顔色に気づいて「まず茶を飲め」と家の中から紙コップに麦茶を入れてきて出し、反射板を見て「これならすぐ直せる」と瞬間接着剤で応急処置をして前輪のスポークにはめた。前輪から手を離し、他に飲み物を持っていない子はいるか、と尋ねたらばらばら手が上がったので紙コップに麦茶……が残り少なかったので水を入れて配った。つかみかかった子が今度はまたすごい顔で「○○くんに踏みつぶされた」と水鉄砲の破片を持ってきたので、机に瞬間接着剤が出てるから直す、ぜんぶ破片を持ってきな、と指示し、家の中でやっと汗ではりついた服を身からひっぺがし、洗濯機を回しながら着替えていたら、外から水ちょうだいと言われて紙コップに注ぎ、持ってきた破片を受け取って、とりこみきっていなかった洗濯物を取り込み、自分の自転車に入っていたチョコミントアイスを思い出してそちらは冷凍庫に投げ込んだ。


 戦場を駆け抜けるもののふかよ、と自分で自分につっこんで我に返った。

 これ、なんでこんなことになってるの? と、家の中で瞬間接着剤と青いプラスチック片を見下ろした。頭が痛い。


 外では、駐車スペースと庭を隔てる金網や外壁によじのぼって得意げな小学生男子が複数。

 息子には常々、お母さんがいない日に友達を連れてきてはいけないと言ってあったし、その日の朝も「今日はだめ」と言ってあったのに。なぜこんなことに。

 頻繁に庭から掃き出し窓をノックして「まだ?」を繰り返す水鉄砲の子に「まだ手術中」と進捗を見せながら、その場にいた子たちに、そこに登るな近くの公園に移動しなさいと注意したが、まったく動きやしない。夕方五時半のチャイムが聞こえてきても、まだ六時まで遊べるー!うちもうちもー!と大喜び。中には「六時まで遊んでいいかお母さんに聞いて」と言い出す子もいた。水鉄砲は破片が足りず八割くっつけて、あとは頓挫。迎えに来た水鉄砲の子のお母さんに事情を説明して託した。不器用で、接着剤が広がって、青を磨りガラスみたいな白に変えてしまったことをお詫びした。

 どう言えば、彼らは動いてくれたのだろうか。

 怒鳴れば動いたのだろうか。


 やっと公園に移動し、やがて息子が家に戻ってきたので、息子を引きずって外に出た。

 個包装のお菓子のごみが駐車スペースに落ちていたので、拾って捨てた。水浸しの芝生の中に見覚えのない石がいくつも転がっていた。息子が解説するには、公園の砂場で水を入れすぎたときの対応にならって、芝生の上に土塊を置こうとしたのだがなかったので、石を置いたらしい。息子に石を片付けさせた。物干し竿を設置したタイルの上には蟻が行列を作っており、よくよく見ると何かがべったり貼り付いている。近くにはハイチュウの袋。園芸用スコップではがして捨てたが、ぜんぶは取り切れなかった。


「うちの中はだめだけど、外ならお母さんの迷惑にならないからいいと思った」

と、息子が自供した。二人呼んでいたらうちの一人が別の一人を呼び、その子がたくさん呼んできたんだ、とも言った。

 たくさん呼ぼうがどうしようが、外は外でまた迷惑であることを、一つ一つ指摘しながら教えた。キレ気味に。


 夜になって、「六時まで遊んでいいかお母さんに聞いて」と言い出した子のお母さんから、ご迷惑をおかけしたようですみません、とメールが届いた。すみません、の後にくっついた、青い線で描かれた苦笑いの顔文字が無性に癪に障った。

 ここまで書いたことを全部メールにして送りつけようとしたのだが、こんな長文メールをもらってもひく、と気づいて、結局返信できないままのろのろと夕飯を用意し、風呂を洗って沸かし、洗濯機に入ったままの服を吊して干した。

 ほんとうなら夕方六時までには終わっているはずの作業だったのに。時計を見たら夜の九時だった。


 翌日になっても腹の中で怒りがぐるぐる渦巻いていて、別のお母さんから翌朝届いた儀礼的なごめんねありがとうメールを機に、かなり簡略化された愚痴を「怒ってます」という一言とともにお二方に送信した。ごめんねと謝るお返事を受け取り、私も愚痴ってごめんねと返答したけれど、昨夜も顔を合わせた時にごめんねと謝り合ったけれど、なんかすっきりしない。

 めんどうくさい保護者だと距離を取られたかと心配する気持ちもあるし、腹を立てたのは子供らに対してであって、保護者に腹を立てたわけではないのになあと悔やむ気持ちもある。


 夏休み0日目でくらったダメージを、未だ取り返せないままでいる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る