隔世遺伝

 手相で、頭脳線の端が下降し、先が枝分かれしているものを「作家線」といい、文才や想像力豊かな人の相であるらしい、と聞いたので、まじまじと己の手のひらを見つめてみたが残念ながら――あんのじょう、と言うべきか――そんなものはなかった。念のため両手とも見たがなかった。人差し指の対極、手首のほうに向かってずどんと落っこちてはいるが、分枝はない。

 それでも、こんな私の手のひらを見て「この子は頭のええ子になるで! 大物や!」と喜んでくれた人がいたので、作家線がなくても気にしないことにする。

 信じるものくらい、自分で決めればいいのだ。


 生後間もない私の手を開いて高らかに宣ったのは、母方の祖父だった。

 母がそのエピソードを教えてくれた頃、私は占い・おまじないの世界にどっぷり浸かった小学生だったから、手のひらと目をよくよく開いて、話を聞いた。

 どうも、左手の生命線が綺麗な放物線を描いて手首近くまで伸びているのと、頭脳線が手のひらを端から端まで横断しているのが祖父的に「ええ手相」だったらしい。私の左手の頭脳線は、手のひらの左端を起点に、手首の右端に向かって伸びているのだけど、手のひらの右端から頭脳線に向けて伸びてくる線もある。その線の先端が、下降していく頭脳線に触れているため、見ようによっては頭脳線が手のひらを横切っているようにも見える。祖父が見たときはもしかしたら、横切る線のほうが本筋に見えたのかもしれない。手のしわは成長とともに変わるというし。


 母方の祖父といえば、そう、畑から沢に転落して手術することになり、私から届いたお守りをパンツの中に入れて手術に臨んだほうの祖父だ。

 祖父は無事回復し、畑仕事に精を出し、「わしは百まで生きるんや」と息巻く元気も出、「本を出す」と地方の印刷会社に原稿を持ち込むようになった。私はそれまで親族の中で進んで文章を書こうとする人はいないと思っていたから、祖父の行動にはびっくりした。

 思えば私が読書を楽しいと感じて成長できたのは、祖父の娘である母がためらうことなく本を注文して買ってくれたからだし、自分が読みたいと思える本を探すには、面白かった本の後ろにある既刊紹介を見ろと教えてくれたからに他ならない。祖父は地方の山村暮らしで、本を読んでいる形跡もなかったけれど、若い頃に培った素養があったのだろう。それが母を介して私を育んでくれたし、本を出すという行動に走らせたのだと思う。

 祖父が書き上げたものは、中国に出征していた頃の覚え書きや、地元や自分の来歴を語るもの。一言で言い表すなら随筆だろうか。写真や図の多めの。本を出すと言っても、仕上がってきたものは、紙束を背で糊付けして、ちょっといいお値段の紙で表紙から裏表紙にかけてくるんだもので、「本」より「冊子」と呼んだほうがよいのかもしれない。

 原稿を次々と冊子に変える頃、会いに行くたび祖父の活動報告が増えた。同じように文章を書くのが好きな孫なら、共感してくれると期待したのかもしれない。日付がぞろ目の日に郵便局で記念に消印を押してもらった、とか、昔拾った隕石をしかるべき機関で鑑定してもらうのだ、とか。隕石の鑑定についてはそれらしき団体を紹介した。見てもらった結果それは隕石ではなくただの岩で、思うような結果が出なくて祖父はよほどがっかりしたのか、山村の家で見ていた夢がひとつ砕け散って意気消沈したのか、その後は息巻く元気も薄れたように見えたが、今度は「生きてるうちに戒名をつけてもらった」と誇らしげに報告してきた。

 いまいちそれらの価値がわからなくて共感も尊敬もできなかったが、祖父のやる気はすごいなと思った。その頃すでに呼吸器を悪くして酸素ボンベを家に置く生活になっていたけれど「ほんまに百まで生きるんと違うか」と母とこっそり話し合ったりもした。

 しかし祖父は酸素ボンベと原稿を残してあっけなく他界し、原稿が製本されたものを私は祖母から受け取った。祖父の戦友たちに贈る用と、国立国会図書館へ納める用と、私に一冊。

 覚え書きや、ふと思いついたことを、五七五七七で書きしるしてあった。「今度こんだぁのは面白おもしゃいで」と言っていたものだ。確かに、行軍時の覚え書きは、書かれている言葉は悲惨なのに何故かユーモラスだった。陸軍式モールス符号の表も載せてあった。終戦直後の中国での、現地の人とのやりとりは平和で、読んでいてほっとした。


 先日、家じゅうの不要なものを処分しようと立ち上がって格闘していたら、祖父の最後の作品が出てきた。

 中をぱらぱらめくっていると、花について言及したページがあった。「野にさいた すがたかわいや」「人にあいされ かわいがられる」。

 その花は、私の名前の由来になっているのだと父から聞いたことがある。祖父が亡くなって何年も経った一昨年のことだ。テレビに出てくる芸能人と同じ名前にしたらしいよと子供の頃母に聞かされて、そうか父はあの人が好きなのか、と私も芸能人由来説をずっとずっと信じていたのだ。

 「ちがうで」と名付けた父本人が必死に弁解していた。「あの花みたいに、かわいらしくて、上品で、きれいで、皆にかわいがってもらえるように、や」

 私は花の実物を見たことがなかったが、猟銃を手に紀伊半島の山へ分け入る父にとっては親しみのある花だったのだろう。父が名前に込めたという意味をなぞるように書かれた、祖父の言葉。

 ああ、これは、私への歌だ。祖父が残してくれた言葉だ。

 書かれて十年以上経ってやっと気づいた。「人にあいされ かわいがられる」ようにな、と、両手で私の手を握って祖父が喋った気がした。

 そう思ったらもう、この冊子は処分できなくなってしまった。


 手相は祖父の言しか信じない、と言いたい私だけれども、「手相診断の練習をしているので協力してください」と声をかけられて手のひらを見せたことがある。生命線と頭脳線の起点が離れている点を自己申告すると、それは自己中心的で突飛なことをしてしまう相ですねえと言われ、面と向かって言うにはあんまりにも歯に衣着せなさすぎて笑ってしまった。しかも両手とも「自己中心的で突飛なことをしてしまう相」だし、思い当たるところがないわけではないのが悔しい。

 祖父の手には作家線はあったのだろうか。生命線と頭脳線は、私と同じで起点が離れていたのかもしれない。……と、いきなり本を出すと聞いた日を思い返しては、もうこの世に存在しない手のひらを想像している。

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