その神社には
その神社のことで一番古い記憶は、稚児衣装を着て歩いている記憶だと思う。
みなお揃いの衣装で、胴は赤く、足元は茄子色のはかまだった。頭には冠をかぶって、金色の飾りを冠の上でゆらゆらさせていた。当時の自分史上最長の、途方もない距離を歩かされて、途中でぐずった。冠を固定するあご紐が気に食わなかったり、衣装が暑苦しかったりしたのかもしれない。お気に入りのアニメキャラの描かれたビニール靴がはかまに隠れて見えないのも不満のもとだったのかもしれない。
あれは毎年行われるお祭りではなかったらしい。大男が大男を肩車したよりも背の高い、電球状のものに、びっしり餅をはりつけて
次の記憶は、保育園の行事だったか。入学前のご祈祷だった。賽銭箱の前に立って宮司さんが榊をふるい、紙の幣をひらめかせて、ばっさー、ばっさと音を立てていた。保育園の先生が「みんな元気に学校へ行けるようにお願いしようね」と言い、私は素直に頭を下げた。
この祈祷の後だったのだろうか。男子たちは参道とは反対側の藪の中に駆けていってしまい(たんけんだと言っていた)、女子は藪の入り口のほうで、野いちごの実をちぎっては食べた。赤くてつややかな小さな球体が寄り集まった、野いちご。それぞれの薄皮の中には甘酸っぱい汁が詰まっていて、噛むと口の中で汁がはじけ飛んだ。へびいちごはたべたらあかんで、と誰かが言った。たべたら、へびになってまうで。
どの実がへびいちごなのか実体を見ないまま帰る時間になり、私はしばらく怖い思いをした。また野いちごを食べたい、でもへびいちごがどんな実なのかわからない、間違えて食べたらどうしよう、蛇になってしまう、と。
神社でいただいたお守りはずっと、ランドセルの横についていた。
ランドセルを卒業し、今で言う中二病まっさかりになり、縁あるその神社の縁起を調べては、神社周辺の自然を描き、かつ異世界に行ってしまうファンタジー小説を書こうとしていた。男子たちの駆けていった藪の奥の小道が私を手招きしていたし、民話本に出てくる淵が龍神をはらんで、神域のふもとでぷくぷくと泡を吐いていた。私は四六時中神社に意識を飛ばしていた。
そんなある日、母方の祖父が、山の畑から足を滑らせて沢に落ち、頭を手術することになった。
私は授業が終わるなり、中学校から神社に向かって自転車を爆走させた。親しい人が生死の境をさまよったらお百度参り、もしくはお守りを持たせる。時代劇で見たシーンを思い浮かべて走った。
下るべき坂道にハンドルをきろうとして、ふと止まる――違う道から呼ばれている気がして。ふらっと、そちらに向けてペダルを漕いだ。車がすれ違えない細さの、コンクリートで固められた道だった。古い木や竹やぶが空の高いところで揺れていた。夢の中にいるような心地で一本道をくねくねと走って行く。
……気づくと目の前に神社があり、私は自転車にまたがったまま、いつもとは違う角度から神楽殿を見ていた。
どうやら、坂を下って走って上るところを、平坦な道を通ってショートカットしたらしい。神社に続く道が複数あって、私はいつもとは違う道からやってきたのだった。
社務所を出てきた宮司のおばさまと、目が合った。
おばさまは帰るところだった。神社に来た事情を説明すると、おばさまは社務所に戻り、お守りを持たせてくださった。まともに坂を上り下りしていたらきっと間に合わず、お守りを受けることはできなかったろう。
母を介してお守りを祖父に届けると、祖父はパンツの中にお守りを入れたらしい。純白のお守りもまさか高齢男性のパンツの中に仕込まれるとは思わなかったろうが、おかげさまで、祖父は無事手術も終わり、その後十年以上生きのびた。
祖父の御礼を律儀に済ませたからか、パンツの中にお守りをつっこまれたことも大目に見てくださったのか、大学受験の年までは、私が初詣でひくおみくじは大吉続きだった。神社にいるぬしに守られている気がした。
中二病はある程度治まり、町を離れて結婚し、子供が生まれ。
再び私は神社に呼ばれた。
私はその時、一歳半の息子をおんぶして自転車を漕いでいた。友達の結婚披露宴に出るため、息子を連れて二週間ほど帰省していたのだ。
自宅でも鬱屈がたまると息子をおんぶして自転車を漕ぎ、ストレスを解消していた。うちだけではないと思うが――この時期の子は好奇心に足を生やしたようなもので、外に出れば回転するタイヤに向かって突進し、階段があれば登り、水たまりがあればお尻を泥水につけてしゃがみ、水遊びを始めてしまう。実家でも相当なもので、あらゆるドアの開け方を覚え、目を離すと車道迫る庭に飛び出すか二階に上がるかしてしまう。
所用で息子を背中にくくりつけて自転車を漕いだ。自転車は風をきって進み、所用が済んでも――目を離せない状況から逃げたかったのかもしれない――すいすいとペダルは進み、勢いに乗って上り坂に踏み入り、坂の上の神社に来ていた。
宮司さまはいらっしゃらなかったが、乗用車が駐まっていた。階段の上、賽銭箱のところにご家族連れがいて、男の人がこちらに背を向けてカメラを構えていた。女の人と小さな女の子が賽銭箱の前に立っていた。女の人は赤ん坊を抱いている。お宮参りなのだろう。祭りでも何でもない日に参拝客と居合わせるなんて、珍しい。
せっかくだから家族揃って写りたいだろう。これも何かの縁だ。よかったら撮りますよ、とスーツの背に声をかけた。
「あれ?」
「お?」
振り向いた男性の顔に見覚えがあった。保育園も小学校も中学校も高校も同じだった。背丈も肩幅も記憶より大きいけれど、ちゃんと、おもかげがある。この子とは入学前のご祈祷にも一緒に行ったはずで。お互い名前は出てこないんだけど顔は覚えていて。
家族写真を撮ってからお互い「こんな所で何してんの」から始まり、(私は背中の息子をあやすため右に左に揺れながら)近況を報告しあい、赤ん坊の口元が父親である同級生にそっくりだとにこにこして、別れた。ご一家が帰ってから私も賽銭箱の前に立ち、鈴を鳴らした。
神社のぬしは、大昔に学業成就の祈祷に来た元ちびっこに、家族写真を贈りたかったのかもしれない。私はそのためにスーパーマーケットから遠く離れた神社まで招かれたのだろう。
でなければ、どうしてあんなジャストタイミングで声を掛けられる?
子供の頃男子たちが駆けていった藪の道はいま、整備され、こぎれいな遊歩道になっている。遊歩道から下に降りた道は対岸へ渡る橋につながり、橋の先ではまた遊歩道になり、民話本に出てくる淵を見下ろして歩けるようになっている。
人の手で整備されてしまったけれど、いまだに遊歩道の奥では何かが手招きし、淵の底では龍神がぷくぷくと泡を吐き、神社のぬしがそれらを眺めている気がしてならない。
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