帰り支度の教室で

 小学校の参観で、息子の授業を見に行く。

 自由に来て自由に見て自由に帰る形式だから、教室にいる保護者は少ない。底にクッションのない、折りたたみやすい折りたたみスリッパを履いていると、足の裏全体が体の重みでぺしゃんこにされそうな気がする。それでも、帰り支度をして帰りの会が終わるまで、教室の外で見守っている。

 一年生の頃からこの時間が好きで眺めている。

 帰り支度をする小学生は口を動かさず手を動かせとつっこみたくなる賑やかさで。喋りながらでもそつなくロッカーや廊下のフックから荷物を持ってくる子と、なぜか消しゴムを飛ばして遊び始める子がおり、息子は残念ながら後者で、消しゴムが机から発射されなくなったと思ったら、周りの男子がこの後遊ぶ約束をとりつけようと息子に話しかけ、その対応を始めてしまう。

「息子くんのお母さん、きょう息子くんとあそんでいい?」

と私に確認を求めてくる子もいる。息子くんがいいならいいよ、と鷹揚に答える。

 他の子は息子の日頃の悪行を報告していく。デュエマとゲームの話ばっかりしている、だの、そうじをさぼってた、だの。他のお母さんのところへは行かない。なぜか「息子くんのお母さん」だけにわらわらと子供たちが寄ってくる。


 今回は「矯正の歯をしょっちゅう外している」だった。

 骨格に対して生えてこようとする永久歯が大きすぎるので、息子は、骨格を広げるための床矯正しょうきょうせい中。入れ歯のような矯正装置を上下の歯にセットしているのだが、下の装置は舌や奥歯で簡単につけ外しができるため、装置を口の中で外したりはめたりを繰り返している。装置が上顎や歯に触れる違和感が気に食わないのかもしれない。

 授業中もずっと口をもごもごさせていた。鼻の下や下あごが大きく上下に伸びてたまにオランウータンみたいな横顔になるのを、参観の間苦々しく眺めていた。あれは視界に入ったら目障りだろう。息子クラスメートたちの報告によると、息子は音楽の先生にも叱られたそうで。音楽の先生も周りも堪えられなかったのだろうと思うと、申し訳なくて、どうにかしたい。


 定期検診で歯科医曰く「あーこれはもう癖になってるねー」で、「男の子はこういうの多いよ」「この前もこの癖を続けて二年頑張って、次のステップに行った子がいてねえ」「お母さんがだいぶ神経質になってた」だそうで、話に聞くだけでも、よそのお母さんに同情した。

 周囲に迷惑になっているのなら思い切って矯正を断念するべきではと思い詰めて受診したのに、朗らかに成功?例を語られて二の句が継げなかった。歯磨き指導で反抗的な息子にもくたびれた。ほんとうにひどかった。夫を電話で召喚したほうがいいのではないかとさえ思ったし、実際に携帯電話を手に取ってしまったし、取りだしたら息子のつまさきが邪魔してきた。公園帰りの土埃で茶色く染まった靴下だった。向こうずねも灰色になっていた。

 次回の予約を取ろうとしたら、受付の方が気遣って「次はお父さんと来られるよう」夫の定期検診も同時に組み込んでくださるほどに、げっそりして、行きつけの歯科をあとにした。

 先日、新聞の投書欄で「わが子の美点は知っているけれど表彰されるなど華々しい活躍はしていない息子に、悔しくて歯がゆい気持ちになる」と悩む母親がいたけれど、帰り道を歩きながら、お母さんはきみのどこを褒めればよいのかわからない、と口走ってしまう私のほうがよっぽど「毒親」ではないか。

「褒めるところがない? そんなことないだろ、息子は俺よりも友達をつくるのが上手だ」

と夫がフォローしてくれた。

 そうだ、あの子は帰り支度の間、つぎつぎとお声がかかる程度には、クラスメートと楽しく遊べている……。


 わらわらと寄ってくる子供たちが、各自「矯正の歯をいじくり回す息子くん」の報告をして去って行ったあと、いつも「息子くんとあそべる?」と尋ねてくる子が「きょうはこのあと、ネットで、おともだちと、マインクラフトをするんだ」と、息子の悪行ではなく己の楽しい予定を私に言いたくて言いにきた、あののんびりした口調を思い出しては、悪いことばかりでもないんだと、己に言い聞かせている。

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