デュエマとラーメンと息子

 ほんっとに、トレーディングカードゲームって、どこの子が広めているんだろうね? 貸した見せた盗られた交換したあげたもらったと、トラブルの種でしかないじゃないの。

 たぶん、最近の母親――それも男児の、が多いか――が通るだろう道の一本がこのトレカと我が子のトラブルなんだろうなと、周辺で見聞きするたび思う。トレカで遊ぶ子らとの接触を断たせれば問題は起きないだろうが、親が子供の交友関係を縛るのは果たしていいことなのか。躊躇しているうちに、あれよあれよと、兄のいる友人からカードで対戦する文化が輸入されてしまった。うちは「デュエルマスターズ」略して「デュエマ」がおととしくらいから真っ盛り。

 「どこの子が」と言われてしまう側になった息子を抱え、教育熱心なお母様方の間で肩身の狭い日が続いている。


 日曜朝から、プリキュアと同じ時間帯に放映している「デュエルマスターズ」のアニメが、息子はことのほか気に入っていて、早く日曜の朝にならないかなと言う。暇さえあれば録画したアニメを流しながらひとりで対戦デッキを組んでいる。この春、アニメの中では時間が一気に流れ、主人公が代替わりをして、カレーパン大好き中学生から、その息子である小学四年生男子になっていた。

 同じ年の、やはり同じく学校の成績はいまいちだけどデュエマに夢中なキャラクターに、親近感を抱いているらしい。その子はお絵かきが得意で、自分でカードをデザインする才能があり、生み出したカードで対戦できる特殊能力も得ている。悲しいことがあるとひとりでお気に入りのラーメン店に入り、ラーメンを食べる。心の閾値を超えた友達を招いて一緒にラーメンを食べることもある。

 息子はその子の感情の処理の仕方にも感銘を受けたらしかった。

 奇しくも息子にはお気に入りの中華料理店ができ、そこのタンメンに夢中。夫がたまたま連れて入り、タンメンを注文したら、夢中で(夫のものとして注文したはずのタンメンを)食べ尽くし、店主のおじいさんに「おいしかったです! また来ます!」と伝えて店を出たそうだ。

 夫が夕飯不要の夜に、私も息子と一緒に、息子おすすめのタンメンを食べた。カウンターで横に並んで座りおいしいおいしいと言って食べた。野菜と豚肉を香ばしい油で炒めてあり、脂気が少なくて食べやすかった。長年の油を使った調理のためか、店内は全体的に茶色い。変色した壁の中程、棚の上にはテレビがあり、サッカーの試合を流していた。おばあさんがカウンターの椅子にもたれてテレビを見、カウンターの内側でおじいさんが、電話で注文を受けていた。その夜も息子は「おいしかったです! また来ます!」と笑顔で店を出た。おじいさんもおばあさんも、見知らぬちびすけからの賛辞を、にこにこ笑顔で受けてくれた。


 ゴールデンウィークに入った頃、店が休業になった。

 くすんだ緑色のシャッターが下り、シャッター中央ちょっと上に「都合によりしばらく休業します」の貼り紙があったのだ。連休中に食べに連れて行ってやろうと思ったのに、と夫は残念そうだったし、息子は「しばらくってどれくらい?」とじれったそうだった。

 見た感じ、かなりお年を召していらっしゃったから、おじいさんかおばあさんか、どちらかが体調を崩されたのだろう……早く持ち直して戻ってきてくださればいいなあと、私も願わずにはいられなかった。

 習い事の帰り道に店の貼り紙をチェックする週が続いた。通るたびに「まだかあ」と息子はため息をつく。

 再生機器の中では主人公の少年がなじみのラーメン店休業を受けて、理想のラーメンを生み出してくれるキャラクターをデザインしていた。


 先週、視界の端に、貼り紙に重ねて貼られたもう一枚の紙がひっかかった。息子を呼び止め、自転車を急旋回させて店の前に戻る。

「都合により閉店することに致しました。

 長年のご愛顧誠にありがとうございました。」

国語の成績がいまいちの息子にも閉店の文字は読み取れたらしいが、現実は受け止めきれなかったらしい。私に何度か事実確認をしたあと無言で自転車を漕ぎ、帰宅して肩をまるめたままリビングに入ると、つっぷしてしまった。

 息子にとって中華料理店のタンメンは、ジョーにとっての店主が作るラーメンなのだ。傷ついた心をなぐさめるよすがであり、希望であり、大好きな人と一緒に食べるものだったのだ。いますぐ新しい店を開拓すればいいってものではない。

 病気か怪我で療養されていたのだとしたら、もう店を開けられないのがわかるくらい弱っていらっしゃるのだろう。また来ます、と言ったのに。もう行けなくなってしまった。


 ここ数日、ひとりでデッキを組んでひとりで対戦する、息子言うところの「じしゅれん」の間、やたら「The ラーメン」を場に呼び出す声が聞こえる。対戦相手に攻撃しているのかバトル関係なく理想のラーメンを作っているのかわからないが、かぼそい声で、指示を出している。

 彼なりに彼の中で受け止めようとしているのだろう。


 丸まった背中がまっすぐ伸びる頃、夫が新しい店を開拓しに連れ回すつもりらしい。

 それとはまた別に、いつか、息子はカードやキャラクターや他者に依存することなく、ひとりで行き場のない感情と向き合えるようになっていてほしい。……その頃には、トレーディングカードゲームは卒業しているといいなあと、なにかあるたび「カードパック一ボックス分」を交換条件に出してくる息子に閉口する私は、ひそかに願っている。

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