2・死ぬためには死ぬしかない(5)

 遺書を書いた。

 一通目は家族宛てである。両親と兄貴に先立つ不孝を詫び、俺が文学不在の世の中に絶望して自らの存在価値を見いだせなかったこと、そして俺のなけなしの貯金は文学復興のための基金として活用してくれることを望んだ。

 二通目は友人宛てとした。色々と良くしてくれたことを感謝し、やはり文学不在の世の中に自らの価値を見いだせなかったこと、最後にみんなでもう一回、飲み会をやりたかったことを書いた。

 三通目は、出版社宛て。文学不在の世の中に対する恨み辛みをこれでもかと書き綴り、いずれ日本の文学界は破綻するであろうことを予言する、かなりどす黒い遺書となった。

 四通目は、バイト先に宛てる。突然の自決によってシフトに穴を空けることを詫び、実は自分は小説家であったこと、そして先の三通にも書いた自決の理由を書いた。

 パソコンで打った遺書を印刷し、それぞれの最後のページに自分の本名とペンネームを手書きで書き入れる。そして区役所に登録したもののいまだ一度も使う機会のなかった実印を捺し、白い封筒に入れて机の上に並べて置いた。

 押し入れを開け、鈴をちーんと鳴らして、文学墓場になむなむと手を合わせる。

「すまなかったな、俺の子供たちよ。いよいよ俺も、お前たちのところに行くぞ」

 旅行のための道具一式を詰め込んだリュックサックを担ぎ、俺はアパートを出た。空は嫌味なほどの晴天である。まあ、これほど晴れているなら地獄に落ちることもあるまい、と、根拠なく思った。溺死になるのか落下の衝撃による死になるのかはわからないが、死ぬからには相応の苦痛を覚悟せねばならない。その上死んでからも苦しむなぞ、御免被る。

 新宿駅から湘南新宿ライン宇都宮行きに乗り換え、宇都宮からJR日光線に乗り換えて六駅。調べたところによると、新宿駅から日光駅まではおおよそ二時間半の道のりだという。急ぐ旅ではない。自宅を出発したのが昼過ぎだったから、今日は適当に宿を取り、決行は明日でもよかろう。夏とは言え夏休みの行楽シーズンにはまだ間がある。突然押しかけても空いている宿はあることだろう。

 電車に揺られ、一眠りした頃には、宇都宮に到着していた。JR日光線に乗り換えてさらに四十分。到着した時には間もなく午後の四時になろうとしていた。まずは宿を探さねばならない。そうしてみて、俺は考えが甘かったことに気づく。あちこちを探し回ってみても、空室のある宿は見つからなかった。思いの外、行楽客が多かったのだ。

 結局、日光市街を歩き廻ること小一時間、やっと探し当てたのは昔のドリフ大爆笑に出てきそうなボロ旅館だった。今にも奥の方から志村けんの扮するお婆さんが「あいあいあいあい~」と出てきそうな雰囲気だが、かくして出てきたのは、志村けんを想起させる婆さんだった。

「すみません、予約はないのですが、一泊よろしいですか」

「ああ、かまねえよ。部屋はいくらでも空いてっからよ。ただ、今からだと晩飯が用意できねえんだけんど、よかんべか?」

「いいですとも。その辺で済ませますから」

 宿帳に記帳を済ませ、床板がきしきしと鳴る薄暗い廊下を通って婆さんに案内された部屋は、十畳ほどもある広い部屋だった。他に泊まり客はいるのかいないのか、やたら静かだった。

「近頃のわけぇしはやれホテルだなんだって言うけんども、うちは明治の頃からやってる旅館なんだ。昔はえらぁ泊まりに来てくれたもんだけんど、最近は、はぁ」

「はあ、なるほど」

 婆さんの言葉は栃木訛りが強かったが、内容はわからないでもなかった。近頃の若い者はホテルにばっかり泊まってるが、この旅館は明治時代から続いてる由緒正しい旅館で、かつてはたくさんの泊まり客で賑わった、と言いたいのだろう。

 なんとも意外なところで俺の小説とこのドリフ旅館の符合を見いだした。つまり、マニアックなのである。俺の最後の宿としては上々ではないか。

「この部屋でよかんべか?」

「いいですとも」

 十畳敷きのその部屋に風呂とトイレはない。廊下と部屋を隔てるのは一枚の襖のみだ。なるほど明治時代からの年月を感じさせる佇まいである。部屋の奥は中庭に面した窓があり、とこには花瓶と古ぼけたブラウン管のテレビが並び、掛け軸が掛けられていた。その中で、俺の目を引いたのは掛け軸だった。

「ほう、この掛け軸は」

「若ぇのにご存じかい」

 ご存じもなにもあったものではない。掛け軸には絵画ではなく、詩のような文章が達筆な筆字で書かれていた。


 巌頭之感げんとうのかん

 悠々たるかな天壤てんじょう

 遼々りょうりょうたる哉古今、

 五尺の小躯しょうくを以てこのだいをはからむとす、

 ホレーショの哲學ついに何等のオーソリチィーをあたいするものぞ、

 萬有ばんゆう眞相しんそうは唯だ一言いちごんにしてことごとくす、曰く「不可解げさざるべし」。

 我このうらみいだいて煩悶はんもんついに死を決するに至る。

 既に巌頭に立つに及んで、

 胸中何等の不安あるなし。

 始めて知る、

 大なる悲觀ひかんは大なる樂觀らっかんに一致するを。


「藤村操の」

 これは先日、吉川さんとのサシ呑みの際に語った藤村操の遺書である。藤村操は、この文章を華厳の滝の側に生えていたミズナラの木に彫りつけ、身を投げたという。くだんのミズナラの木はその後、警察によって伐採されたのだそうだが、この辞世の詩とでも言える文章は伐採の前に写真に写され、人々の間に広まったという。

 婆さんが感心したように言った。

「ほう、あんちゃん、まさか博学だない。この旅館も古かんべ? 明治の頃にゃ、藤村操の後を追うってわけぇしが何人か泊まりに来たらしいど。まさか、あんちゃんもそうじゃあんめえな?」

 ぎくっ!

 振り返ると、婆さんは妖怪のようににたにた笑いながら俺を見つめていた。

「い、いやいやいや、そんなまさか。百年越しの後追い自殺なんて、時代錯誤も甚だしい!」

「かっかっか、冗談よ、冗談。華厳の滝で身投げなんざ、はあ何十年も聞かねえ」

 婆さんはからから笑いながら、部屋を出ていった。

 だが、すまない、婆さん。俺はこれから、その時代錯誤をやろうとしてるんだ。

 しかしこの掛け軸、あまり趣味がいいとは言い難い。思わず掛け軸をひっくり返して裏側を見てみたが、怨霊退散のお札が貼ってある、なんてことはなかった。

       ※ ※ ※

「まずい、もう日光に向かったみたいです!」

「すぐに追いかけます!」

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