第31話 宗教戦争

 「気になるなり、気になるなり。」

 そうぶつぶつ呟きながら、戸部典子は上海ラボの中を歩き回っている。

 何がそんなに気になるんだ。

 「福音派の大立者ビリー・ハートフィールドが言ったのが『悪魔の帝国』なり。天草四郎の言葉も『悪魔の帝国』なりよ。まったく同じなのだ。」

 確かに、奇妙な一致だが、どこにでもある言葉だ。偶然の一致かも知れない。

 だが気にならんこともない。それにチベットの問題もある。私たちの知らないところで何かが起きているのも知れない。


 キリシタンの反乱も、単発的ではあるがまだ続いている。南京のキリシタンが街を占拠しようとして鎮圧されたのは先週のことだ。天草四郎のような指導者が現れれば、再び大乱になる可能性がある。

 こちらとしても対策を講じなくてはならない。

 南京で捕らえられたキリシタンが妙な供述をしているらしい。キリスト教の宣教師が「悪魔の帝国を倒せ」と教えを説いているというのだ。この供述の裏を取った大河内信綱は宣教師を捕らえること検討した。だが、この時期の宣教師の捕縛はキリシタンたちを動揺させ、反乱の原因になりかねないとの判断を下した。九州大乱は海帝国に大きな影を落とした。再び、三度、このような反乱が発生する可能性があるのだ。そして、その可能性は宣教師を排除したくらいでは消せない。宣教師の教えはキリシタンたちに既に浸透しているのだ。信綱は宣教師たちの活動を監視し、キリシタンたちの動向に目を光らせた。


 人民解放軍の調査によると、宣教師たちはローマ教皇に命じられた教えを説いているいというのだ。

 教皇ウルバヌス八世か。

 改変前の歴史ではガリレオ・ガリレイの裁判を行ったことで知られる保守的な教皇である。彼の野心は東の帝国のキリスト教国化であろう。

 東の帝国まで十字軍を派遣することは不可能であるし、もはや近世である。諸侯は十字軍などに興味を示さないだろうし、教皇にそれを強いる力ももう無い。ならば、東の帝国のキリシタンたちを扇動し、帝国そのものを乗っ取るのだ。プレスター・ジョン、かつて東方にあったとされる伝説のキリスト教王国の実現である。西欧世界と中華世界がカトリックの支配下に入れば、イスラム世界を挟撃することができる。つまり世界制覇も可能なのだ。

 ウルバヌス八世は、キリスト教を布教する宣教師たちに、こう言い含めていたのだ。

 「悪魔の帝国を滅ぼし、神の王国を作るのだ。何故ならば、神がそれを望んでおられる。」

 なるほど、これがカラクリか。現代人がウルバヌス八世にこの策を授けた可能性もある。もし、現代人が背後にいるとするならば、福音派の息がかかった国だろう。タイムマシンで十七世紀に潜入した工作部隊がローマ教皇を説いて入知恵する。実に簡単な作戦ではないか。

 宗教を利用するなど人の心をもてあそぶ悪辣な行為だ。ジョン・メイヤーなど可愛いものだった。

 「許せんなり!」

 で、どうするんだ。

 「ローマ教皇を、殴ってやりたいなり!」

 じゃ、策を練るか。

 「策を練るなり!」

 あっ、こいつキレたな。


 戸部典子は相次ぐ反乱の首謀者がローマ教皇であるならば、その原因を潰してしまうしかないと言う。

 それで、ローマ教皇を殴りに行くのか?

 「殴ってやりたいけど、そんな事で反乱は収束しないなり。ローマ教皇に説教してやるのだ。」

 おいおい、神の代理人に説教するつもりか!

 「釈迦に説法、教皇に説教なりよ!」

 そうか、私たちは歴史の創造者でもあるのだ。ローマ教皇よりも神に近い位置にある。それに未来人でもあるのだ。

 私と戸部典子はひとつの作戦を立てた。作戦は陳博士を通じて上層部にあげてもらうのだ。

 戸部典子はにまにましている。なかなか面白い作戦だ。

 しかし、上層部からの許可がいつまでたっても降りない。

 私たちが待ちくたびれていた間に、上海ラボは招かざる客を迎えた。国連歴史介入委員会の視察団である。

 ニュー・ヨークでの交渉でなんとか大国の強硬な要求を退けた中国は、引き換えに国連査察団の調査を受け入れたのだ。

 査察団の団長は、歴史学者のピーター・トーマス・アンダーソン氏である。随行員の中には天野女史の姿も見える。彼らは碧海作戦の資料をひっくり返し、作戦に不正、もしくは国連協定違反が無かったかを調べ上げようとしている。

 無駄だ。不正などない。私がいちばんよく知っている。不正があったとすれば、私が京都に行った際に、戸部典子が宿泊代だけでなく高価な料理代まで中国政府に請求したことぐらいだ。もしばれたら、私が自腹で清算する。その時は出来る限り負けてくれ。頼んだぞ、戸部典子!


 天野女史がアイ・コンタクトをしかけて来ている。何か話したいことがあるのだろう。上海ラボはダメだ。ここは中国政府に監視されている。外に出ても監視の目があるに違いない。特に国連査察団がいる間は、私たちは要注意人物なのだ。

 私か戸部典子のマンションなら自衛隊が支給してくれた盗聴妨害装置で守られているのだが、国連職員が要注意人物のマンションに入っていくところを見られるとまずいことになる。

 戸部典子が天野女史からメモを受け取った。監視カメラの死角を突いた見事な連携プレーだ。メモには暗号のよう記号が書かれていた。

 「喫煙室なり。」

 なるほど、ここの喫煙室は収音マイクも監視カメラも、ヤニがこびりついて壊れていたな。中国人というのは、こういう細かいところが弱い。

 私たちは、喫煙室で天野女史が煙草を吸っているのを確認して、ヤニ臭い部屋に入った。もちろん、中から鍵をかけた。

 「手短に言う。碧海作戦は中止になる。先生たちが提案した策は永遠に許可が降りない。」

 何だと!

 「背後にはチベット問題がある。チベットの事件を不問にする引き換えだ。アメリカと中国が裏取引したんだ。」

 チベット問題の隠蔽と引き換えに、キリシタンの反乱に対する私たちの介入を阻止するといわけか。

 「そうだ、奴らは碧海作戦の時空世界をキリスト教で染め上げる計画だ!」

 「信長様の帝国はキリスト教徒に滅ぼされるなりか?」

 「それは分からん。あちらの時空の成り行き任せになる。」

 「碧海作戦は事実上の中止なりか?」

 「そういうことだ。もう行くぞ。」

 天野女史は灰皿で煙草をもみ消すと喫煙室を出て行ってしまった。

 これでカラクリが分かった。

 中国政府はチベットで起こった暴動を鎮圧した。はっきりとは分からないが、死者が出たのだろう。また中国の人権問題が再発する。

 アメリカの政治家は福音派のロビイストあたりからねじ込まれたのだろう。もちろん、政治資金も動いた。中華帝国がキリスト教国に優越していること、また、キリスト教徒を虐殺している事実を許せないと言うわけだ。

 そこで裏取引だ。チベット暴動は無かったことにされた。だから報道がぱたりと止んだのだ。アメリアに尻尾を振る日本でも、報道規制が掛かったと見ていい。

 碧海作戦は、表向きは続行されていることになっている。中国のメンツはこれで立つというわけだ。しかし、これ以上の介入は許可しない。事実上の中止である。

 アメリカがからんでいるなら。ウルバヌス八世に東の帝国のキリスト教化を吹き込んだのはキリスト教福音派の息のかかった連中であることもこれで予想がつく。

 私たちの介入なくして、海帝国はこの危機を乗り切れるかどうかは、宰相、愛新覚羅ヘカン以下の奮励努力にかかっているというわけか。

 「ヘカン君、信綱君、勝てるなりか?」

 敵は、目に見えない宗教だ。おそらく泥沼の戦いになる。

 これは宗教戦争なのだ。

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