第32話 我らの反乱
自衛隊ドローン部隊の田中博之一尉と相場三尉、木場三尉の三人が上海ラボに来訪した。国連査察団の尋問があるらしい。
尋問にあたるのは天野女史である。
自衛隊員をわざわざ上海ラボまで呼ぶというのはどういうことだろう。天野女史、何かを仕掛けているようだ。
人民解放軍の諸君は、碧海作戦の事実上の中止が、どこからともなく伝わっているようだ。誰もが、これを良い知らせとは受け取っていない。これまで心血を注いできた碧海作戦が、何の理由もなく中止になるのだ。彼らはチベット暴動の件を知らないのだろうか。いや、知っていたとしても、ここに関連があるとは気づかないだろう。
天野女史がアイ・コンタクトを送って来た。
私と戸部典子を喫煙室に呼び出しているのだ。喫煙室に入った私たちに天野女史は開口一番鋭い言葉を突き付けてきた。
「作戦開始だ!」
何だと、何の作戦だ。
「先生と戸部が考えた策ですよ。全て手配完了です。」
天野女史は喫煙室の小さな窓を顎でしゃくって示した。
田中一尉がいる。なるほど、あの策を自衛隊で実行するわけか。しかしだ、これは反乱ではないか。
「先生と戸部は民間人です。中国政府のお雇い日本人に過ぎません。」
しかし、自衛隊の諸君はどうなんだ。
「まぁ、上官の命令無視といったところでしょうか。」
罰せられることは無いのか?
「彼らは自衛隊とはいえ基本は武人です。覚悟は出来てます。」
大丈夫なのか、ほんとに。
「上海ラボの人民解放軍も協力してくれます。」
それこそ、罪に問われるぞ。
「サボタージュだけですよ。見ないふりをして先生と戸部をここから逃がしてくれます。」
なんということだ。これだけの根回しを、この短時間でやってしまのか。
「天野先輩は凄い人なり。」
そう言う戸部典子の顔はやる気満々だ。彼女の中には怒りがある。
だが、天野女史。これは碧海作戦の政治的構造に原因がある。私たちの作戦は根本的な解決にはならない。
天野女史はポケットから煙草を取り出して、火をつけようとした。ライターがガス切れをおこしたようで火が付かない。天野女史は苛立ちながら、火のついていない煙草を口にくわえた。
天野女史、火がついてないぞ。
天野女史は私をギロリとにらんで言った。凄みのある声だった。
「火がついとらんのは、先生、あんたのほうだ!」
そうだ、私は碧海作戦の時空に住む人々を他人事のように見ている。客観性を保つためにはこのような態度が必要なのだ。
しばらくの沈黙の後、私は決意した。やれやれだ、毒を食うなら皿まで、やってやるか!
「戸部、お前が大将だ、行け!」
戸部典子は胸を張って私に下知した。
「者ども、出陣なりっ!」
者ども、とは私一人の事である。
作戦開始である。
作戦名は天野女史がつけてくれた。「十字作戦」だ。自衛隊の反乱なのだから、「二・二六事件」の二と二と六を足して「十」というわけだ。自衛隊の反乱を「二・二六事件」になぞらえたのは天野女史の悪い冗談であり作戦へのいましめなのである。十字作戦、それは十字架の「十字」をも意味している。
田中一尉とともに私たちが廊下に出ると、人民解放軍の諸君はくるりと壁に顔を向けた。「見てないよ」というサインである。私たちは非常階段から地上に駆け下りた。ここからは尾行がつく可能性がある。
私の顔に光の乱反射が来た。光源を探すと、黒い車が停まっている。相場三尉だ!
私たちは車のバック・シートに滑り込んだ。がたいのいい田中一尉は助手席だ。
タイヤの軋む音を立てて車は急発進した。追ってくる車がある。黒いセダンだ。中国政府のエージェントかCIAか、日本の公安という可能性もある。
「まきます!」
相場三尉がハンドルを切ると、車が左右に激し揺れた。
上海の交通量は東京以上である。それに交通規則というものが無いかのように、車同士が激しい車線争いをし、時に追突しそうになっている交通地獄なのだ。相場三尉は、車と車の間を縫うようにして上海の市街地を飛ばしていく。さすがの追手も追いつけないようだ。しかし、乗ってる私の身にもなって欲しい。コワい!
田中一尉に、ほんとうにこれでいいんですかと私は訊いた。自衛官が上官の命令なしで勝手に動いているのだ。つまりはシビリアン・コントロールを離脱したことを意味する。これは国家に対する反乱である。
「自衛官が、日本人を守らんで、どうするんですか!」
これが答えだった。自衛隊が日本人の生命を守る。別の時空だけどな。これが陳腐なヒロイズムに酔った挙句の行動でないことを祈る。
私は田中一尉にひとつだけお願いすることにした。もし、この反乱が咎められることになっても、自分から辞表を出すようなカッコいい真似だけはしないで欲しい。
「何故ですか?」
田中一尉の質問に私は答えた。君らはシビリアン・コントロールの原則に背いたのだ。これを国民が英雄扱いすれば、今後平気で反乱を起こす自衛官が出てくる恐れがある。それは日本という国家を危機に導く可能性があるのだ。だから、あらゆる面において無様であって欲しい。決して美化されるような事があってはならない。それが日本人を守ることになる。二・二六事件を例にとるまでもなく、軍部の暴走は不幸な歴史を生む。
我ながら残酷な事を言ったと思ったが、田中一尉は「了解」の一言で済ませた。彼が本物の武士であるなら、私が言った事は理解できるはずだ。
車は郊外へ出た。目指すは碧海作戦、上海基地だ。
上海基地に着くと、ゲートが開けっ放しになっている。人民海邦銀の諸君は空の色を見ているようだ。なるほど、碧海作戦の中止に反発した兵士たちがサボタージュしてくれているのだ。
GOだ! このまま進め!
車は、タイムマシン「やまと」の格納庫に乗り付けた。
やまと艦長、広岡二佐に出迎えられた私たちは、その銀色の球体に乗り込んだ。
「発進まで、タイムラインの調整があります。しばらくお待ち願います。」
広岡二佐は言った。
タイムマシンというのは何時でも発進できるものではない。目的の時空とタイムラインの調整をしなくては、どこへ飛んでいくか分からないのだ。
「大丈夫なりか? 追手は来ないなりか?」
大丈夫だ、上海ラボでは陳博士と李博士が、誤魔化し工作をしてくれている。鍵をかけられた喫煙室には、私と戸部典子の似顔絵を描いた風船が楽しそうに浮かんでいるはずだ。
「先に衣装を着替えましょう。」
田中一尉が衣装ケースを持ってきた、中には私の衣装と、戸部典ノ介の衣装が入っている。田中一尉は早々と侍装束にお着換えだ。
「キリスト教っぽい上着は無いなりか?」
そうだ、あれはお前が提案したものだったな。
「ご注文の品、ありますよ!」
田中一尉が衣装ケースをもう一つ持ってきた。
着物の上にキリスト教の聖職者のような上着を羽織るという戸部典子の案である。修道士が着ているような粗末なローブを私は衣装箱から取り出した。灰色の足首まで届く長衣である。フリース地で軽いのはいいがフードまでついている。これでは「スペース・ウォーズ」のジダイの騎士の衣装そっくりではないか。自衛隊のオタク化にも困ったものである。
戸部典子は戸部典ノ介の衣装の上からジダイの騎士のローブを羽織った。首には銀の十字架をぶら下げている。
私と戸部典子と田中一尉。
「東方の三賢人のできあがりなりよ!」
ジダイの騎士、いや東方の三賢人は十七世紀に向かう。
「タイムライン、調整完了。」
「目的日時は、一六三八年十二月二十四日、午前三時零零分。目的地点、上海郊外Nポイント!」
「エネルギー充填、九十六パーセント!」
「タイムホイール始動。」
自衛隊タイムマシン部隊がてきぱきと作業をこなしている。
「やまと、発進!」
広岡艦長の渋い声とともに、時空航行艦やまとは発進した。
時空の彼方、私たちの最後の聖戦が始まる。
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