第30話 九州大乱 

 上海に帰ってみると、思ったとおりチベットのニュースは全く報道されていない。中国では言論の自由が保障されていいるわけではない。政府に都合の悪い情報は当然のように隠蔽される。

 今や中国共産党の幹部になった陳博士なら何か知っているのかもしれないが、そんな素振りすら見せない。

 戸部後子が陳博士の周りをうろうろしている。陳博士から何か聞き出そうとしているみたいだ。

 「これが日本からの帰りの便の、チケットの半券なり。」

 チケットという言葉くらいで、陳博士が動揺するわけないだろ、馬鹿!


 「人民解放軍より入電、九州にてキリシタンの大規模な反乱が勃発!」

 李博士が、メイン・モニターに映像を転送した。島原、熊本、豊後においてキリシタン一揆が同時に発生したのだ。

 「神の子はいずこ」と叫ぶ一揆衆は、九州鎮台の兵をなぎ倒しながら進撃している。これまでのキリシタンの反乱とは違う、純粋なキリシタンだけの一揆のようだ。それに同時多発しているのは、計画性があるからだ。

 タイム・ラインは?

 「一六三七年十月二十五日ですわ。」

 改変前の歴史でいうところの、島原の乱だ。「乱」などというが、これは大戦争なのである。それも改変前の歴史よりもでかいぞ。

 「豊後軍十五万、熊本軍二十万、島原軍十八万、各地でキリシタンを糾合して反乱勢力はなお増加しています。」

 これは関が原どころじゃないぞ。

 「反乱の首謀者は、島原軍の天草四郎時貞、繰り返します。首謀者は天草四郎!」

 李博士の声が震えている。

 これが神の子か!

 「反乱軍の目標は熊本、各軍は熊本城を目指して進軍中!」

 五十万のキリシタンが熊本城を包囲した。しかし、熊本城はそう簡単に落ちるような城ではない。初代九州鎮台の任にあった築城の天才、加藤清正が築いた城だ。明治十年の西南戦争の折には、近代兵器で武装した薩摩軍でさえ、熊本城を落とすことはできなかった。

 だが甘かった。城内の守備兵の中にもキリシタンはいたのだ。予め示し合わせていたのだろう、城内のキリシタンたちが反乱に呼応し、城門が開かれていくではないか。キリシタンたちは城門から突入した。熊本城内は防御のための仕掛けが張り巡らされている。その鉄壁の守りを、キリシタンたちは死を賭した攻撃で切り崩していく。屍の山を踏み台にして城壁によじ登り、鉄砲の弾を人が盾となって防ぐのだ。鉄砲を撃っても撃っても、転がった死体の向こうからキリシタンたちが襲ってくる。どれほどの人が死んだか分からない。一昼夜の戦いの末に熊本城は落ちた。

 天草四郎は城内に集結したキリシタンたちの前に「神の子」として姿を現した。そして高らかに宣言した。

 我らは悪魔の帝国を倒し、神の王国を作るのだと。

 キリシタンたちは狂喜し、天草四郎に跪いた。


 上海の宮廷では緊急の軍議が招集された。

 宰相、愛新覚羅ヘカンは熊本城の占拠を深刻に受け止めていた。軍議には七十歳を超えた加藤清正も呼ばれている。ヘカンは清正に問うた。

 「加藤殿、熊本城の最も弱いところは何処ですか?」

 「そのような場所は無いのう。」

 「では、攻略法は?」

 「それも無いな。」

 「熊本城は鉄壁の城ということですか?」

 「さよう、この儂でも落とす自身は無い!」

 老清正は言い切った。処置なしである。


 智将、袁崇煥が進言する。諸葛砲をもって叩き潰すと。

 諸葛砲は秘密兵器として平時は封印されている。台湾の役において石田三成が放って以来、一発も実戦では使用されていない。

 諸葛砲の実戦使用には皇帝、織田信政の保管する虎符が必要である。ヘカンの要請により皇帝、織田信政は袁崇煥に虎符を与え、諸葛砲を収める武器庫の扉が開かれた。

 袁崇煥の率いる十五万の兵は、雲長丸を旗艦とする船団に乗り込み、九州博多を目指した。


 真田幸昌は諸葛砲に目を輝かせた。これならば、一気に城を落とせる。

 袁崇煥の号令で諸葛砲が火を噴いた。砲弾は一直線に天守閣に到達し轟音をあげて爆発した。幸昌は次々に城内に砲弾を叩きこんだ。天守閣や矢倉が燃え落ちていく。ここまで破壊の限りを尽くせば、敵は降伏するだろう。

 敵は死ぬことを恐れぬ、いや死ねば天国に行けると信じるキリシタンである。大河内信綱の降伏勧告に対する天草四郎の答えは否である。

 城壁の上に天草四郎時貞が立った。そして、前線で砲兵隊を率いる真田幸昌を睨みつけるようにして言い放った。

 「悪魔の帝国よ、我らには神のご加護がある。如何なる兵器を持ってこようが、我らが降伏することは無い!」

 幸昌は天草四郎に恐怖を感じた。この男の掲げる正義に、得体の知れない何かを感じたからだ。

 幸昌は、諸葛砲によって城門を破壊し、正面から突入する策を提案したが、袁崇煥によって一蹴された。他の城ならいざ知らず、ここは熊本城である。城内は迷路のような通路が敵の侵入を阻み、二段、三段構えの仕掛けが侵入する兵を殲滅することができる。熊本城を取り返すことができても、味方の損害はおびただしいものになるだろう。兵を無駄に死なせるは将たる器にあらず。袁崇煥はそのことを誰よりもよく知る武将である。


 袁崇煥からの報告を受けた愛新覚羅ヘカンは、副宰相、大河内信綱を九州に派遣することにした。

 「知恵伊豆と神の子の戦いなりね。」

 改変前の歴史では、島原の乱で信綱が取ったのは兵糧攻めである。結局、それしかないのかも知れない。

 信綱は忍びの者を城内に潜入させ、敵情を把握しようとした。城内にはたっぷりの兵糧が備蓄されており、兵糧攻めには一年以上の時がかかる。

 信綱は米蔵の砲撃を命じた。真田幸昌は初回攻撃の時の諸葛砲の傾斜角を全てメモしていたのだ。米蔵の位置を計測し、砲身を調整したのち、一射、二射、三射めで米蔵が炎上した。さらに二つ目、三つ目の米蔵にも見事に砲弾を命中させた。

 信綱は兵糧攻めの体制をとった。城内に食料を運び込もうとする者があれば、これを捕らえる。蟻の隙出る間もなく城を包囲するのだ。後は時間との勝負である。


 三か月がたった。城門が開き天草四郎からの使者が出てきた。使者は信綱に土産を届けたのだ。土産は籠いっぱいの芋や米、団子などだった。食料は十分あるというパフォーマンスだ。

 信綱は使者を斬り捨て、その腹を割かせた。胃の中からは野草の根が出てきたのみだった。兵糧が不足しているのだ。

 信綱は城内に矢文を放った。「投降する者は命を助ける」と書かれた矢文である。キリシタンたちの結束を揺さぶるのだ。だが、矢文の効果はなかった。キリシタンたちの結束は固い。


 さらに三か月、忍びの者からもたらされた報告は、「城内、既に戦意なし」というものだった。飢えで三分の一が死に、三分の一は立ち上がることもできない。

 信綱は総攻撃を決意した。真田幸昌が提案した城門突入作戦である。

 日の出とともに諸葛砲が熊本城の城門を木端微塵に砕き、鎧に身を包んだ武将たちが率いる兵が突入する。幸昌も突入部隊の先陣をきって城内になだれ込んだ。

 敵を斬り伏せながら、城内奥深くまで突き進んだ幸昌は、異様な光景を見た。餓死者の死体が山積され、骨と皮になったキリシタンたちが最後の力をふるって向かってくる。神の名を唱え、虚ろな目をしたぼろきれのような一揆衆が、殺されても殺されても次々に襲ってくるのだ。突入部隊の武将たちは飢えて弱った者たちを、ただただ撫で斬りにするのみだ。幸昌も斬った。斬って斬って斬りまくった。斬らなければキリシタン一揆衆の怨念に飲み込まれてしまうような気がした。

 日が西に傾く頃、熊本城は落ちた。天草四郎は自刃し、九州大乱は一年に及ぶ戦いの末終結した。


 血糊のべったりついた刀を下げた幸昌は、その場に膝を折り、呆けたように破壊された天守閣を見上げている。

 無益な、あまりにも無益な戦いだった。ここでは戦国武将の意気地も誇りも通用しない。ただの虐殺でしかない。

 真田幸昌は憶えていた。父、信繁が台湾の役において先住民を救う義戦を戦ったことを。その父の姿から、幸昌は程遠いところにいる。


 「幸昌君の悲しみが伝わって来るなり。こんな酷い戦は初めてなりよ。」

 戸部典子が声を詰まらせている。

 キリシタン反乱軍の死者、十二万人。帝国側は五千人ほどだ。

 翌日は雨になった。季節は秋、冷たい雨だった、熊本城に累々と積み上げられた屍の山を、兵たちが城外に運び、穴を掘って埋めている。大きな穴に、次々と死体が放り込まれていく。雨は生ける者の上にも、死せる者の上にも等しく降り注いだ。

 真田幸昌も雨に濡れながら兵たちに加わって荷車で死体を運んでいる。武将である幸昌のやる仕事では無かったが、彼は贖罪の意味をこめて死体運びの作業に志願したのだ。幸昌の顔は暗い。

 戸部典子はそんな幸昌の背中を黙って凝視している。そして、振り向いた彼女は私の襟首をつかんで訴えたのだ。

 「こんな戦いが戦国武将を殺したなり。幸昌君のような若者を追い詰めたなり。いったい誰がこんな事をしたなりか。先生、教えて欲しいなり!」

 こんな戸部典子は初めて見た。涙をこぼさないようにしているが、心が泣いているのだ。怒りで肩ががたがたと震えている。だが、私には答えるすべがなかった。


 真田幸昌は袁崇煥の下を去った。武将を辞めたのだ。

 上海の真田屋敷に戻った幸昌は、黄埔江の港に足を運んだ。夜である。そこには信繁の他界した後、停泊したままの真田丸の船影があった。真田丸はもう十年以上、航海をしていない。

 幸昌は久々に甲板の上で気持ちのよい夜の空気を吸った。懐かしい船だった。父、信繁といくつもの海を旅した。弟分の芝龍もいた。いつも三人一緒だった。

 幸昌は船室に入った。船室は昔のままだった。父が、ふぃと顔を出しそうな気がした。

 使われていなかった割には、船は掃除が行き届き、船内には埃ひとつない。

 信繁が愛用した六分儀の前には花が供えてある。花は信繁が愛した名も無い野の花でる。

 幸昌は船内に人気を感じた。振り返ると成長した鄭芝龍の姿があった。

 「兄者。行こう北の海へ。」

 幸昌は父の意思を感じた。そして力強く言った。

 「行こう、芝龍!」

 翌日から二人は、真田丸の出航に向けて準備を始めた。帆を新しく張り替え、ところどころ壊れているところを修理した。幸正の目が輝いている。真田丸を整備することで、幸昌は暗い死の世界から抜け出したのだ。

 義兄弟は再び絆を結び、真田丸は北の海へと旅立った。


 「幸昌君、よかったなり。よかったなりよ。」

 戸部典子の涙は嬉し泣きである

 九州大乱の終結をもって、戦国以来続いてきた戦の歴史は終わったかに見えた。だが、キリシタンの反乱はその後もくすぶるように発生し、戦いはいつ果てるとも知れなかった。

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