第15話 石の降りそそぐ時
ヤン・ピーテルスゾーン・クーンの処刑が決まった。
ピーテルスゾーンは手枷を嵌められ、処刑場まで馬に引きずられながら歩いた。
シラヤ族たちが何処からか現れて、ピーテルスゾーンに石つぶてを投げた。
森に火をつけ、山を焼いた憎き相手が石つぶてによって血だらけになっていくのだ。
大地を覆っていた密林は先住民たちにとって食料の採取場であり、家であり、神々のいる場所であったのだ。もはや、それが還ってくることはない。
シラヤ族の女たちや子供たちが歓声をあげている。老人たちは醜く笑っている。
憎しみがどのようなものであれ、醜悪な光景であると思う。
石の降りそそぐなか、ピテルスゾーンは微かに笑みさえ浮かべている。
処刑場では十字架に貼り付けにされた。
まるでキリストの受難のように死ぬのだ。
ピーテルスゾーンは神の名を何度もつぶやいている。
鉄砲で撃ち殺されるにしても、槍で突き殺されるにしても、切腹などという野蛮な処刑より遥かにましであると思っていたのかもしれない。
やがて、十字架の下には枯れ木がうず高く積まれていた。
山に火をつけた者は、火あぶりである。
ピーテルスゾーンの表情が凍り付いた。
枯れ木が燃え上がり、ピーテルスゾーンの体を包んでいく。
シラヤ族たちが、十字架を囲むようにして踊り始めた。
憎しみが歓声となって、炎を呪いに変えていく。
すべてが焼き尽くされた後も、シラヤ族の踊りが止むことはなかった。
私と陳博士は大連に行くことになった。
これも碧海作戦の宣伝みたいなもので、中国のあちらこちらで講演活動を行うのだ。
大連は遼東半島の先端にある港町だ。日露戦争により日本が租借地とし、満州鉄道の本社があった。街中には旧日本支配時代のクラッシックな建物が今も残されている美しい街だ。
中国東北三省のなかでも特に経済的発展が目覚ましく、巨大なビル群が立ち並んでいる。
中国の中でも親日感情が高い街として知られている。ここで反日デモが起こったことはない。日本による実質上の植民地支配がうまく機能した一例と言えなくもない。
大連空港に着いた私たちを地元の名士たちが迎えた。そのままホテルに直行して宴会となった。テーブルの上に並ぶ豪華な中華料理に舌鼓を打った。中国の宴会では
明日の公演に差し支えるからと一杯で勘弁してもらった。陳博士は下戸である。これは中国人なら誰でも知っている事なので、陳博士は白酒の受難を遁れた。
空港の免税店で見たことがある。
翌日のホテルの朝食は、白いご飯に味噌汁、焼き鮭に納豆だった。さすが、親日の街だ。
朝からもりもり元気がでてきたぞ。
講演会場には一時間前に入った。私は通訳の女性と打ち合わせをし、陳博士といつものギャグのネタ合わせをした。陳博士は日本語を話せるようになってから、ときどき無茶振りをするのだ。事前に注意しておかないといつものギャクが不発に終わってしまう危険があるのだ。
会場は満席である。
まず、地元の有力者の挨拶らしい。これが三十分くらいしゃべりやがった。
司会者が陳博士を紹介する。
会場は割れんばかりの拍手である。碧海作戦の英雄の登場だ。それにイケメン。これで人気が出ないわけがない。
そして私が登場する。
「
私は笑顔で手を振って答えた。
私と陳博士とが着席すると、会場が静かになった。
さて、碧海作戦の学術的かつ、面白トークを始めるぞ!
その時、前列三列目にいた老爺が立ち上がった。
「
老爺は低い声で叫んだ。それは地獄から聞こえてくるような声だった。
鬼のような形相をしている。いや、私は鬼そのものを見たのかも知れない。背筋が凍り付いた。
老爺は懐から拳ほどの石を取り出し、私に向かって投げた。
石は力のない放物線を描き、舞台袖でごとりと落ちた。
警備にあたっていたSPが老爺につかみかかった。老爺は床の上に組み伏せられた。もう一人のSPが出てきて老爺の首を羽交い絞めにした。
なんということだ。
やめろ、そんな酷いことはやめろ!
相手は年寄りだ!
これ以上、何ができるというのだ。
私は無傷だし、その老爺にはそれなりの理由があるのだ。
私はSPたちを止めようと席を立ち、会場に降りようとした。
マイクのコードが足に引っかかり、私は舞台の階段を転げ落ちた。
顔から地面に落ちたみたいで、額を打った。それから口の中を切ったみたいで血の味がする。
会場は大騒ぎになった。
私は通訳の女性に介抱されながら楽屋まで戻った。今回の公演を企画した地元の名士のなかに外科医がいて、楽屋で治療を受けた。
公演は陳博士が一人で引き受けてくれた。
会場から笑い声が聞こえてくる。
陳博士、絶好調だな。
私は老爺の顔を思い出した。
鬼の形相が、私を鬼と呼んだ。
大連でさえ日本人による統治が反感となって返ってくるのだ。
ラノベの歴史改変小説ならば、日本人は大日本帝国の正義を主張するだろう。日本が太平洋戦争に勝つことも平気で肯定される。
百歩譲って、そこに正義があったとしてもだ。その正義がひとつの間違いもなく遂行されたと誰が言える。ましてや戦争である。
私たちの歴史改変は現実と地続きなのだ。
その夜、私は怪我をおして宴会にも出席した。額に大きな絆創膏を付けてだ。
碧海作戦の広報というのは講演だけではない。こうした地元の名士たちとの交流も仕事のひとつなのだ。
「とんだハプニングでしたね。」
「お呼びしていおいてほんとうに申し訳なかった。」
地元の名士たちが私に言う。
私は
酒に血の味が混じる。
いい飲みっぷりだと、みんなが拍手した。
料理には手を出す気さえしなかった。
私は
気を失った私をホテルまで送り届けてくれたのは陳博士だった。
酩酊する私に陳博士が言った。
「あなたは日本人として立派なことをした。」
その言葉だけが救いになった。
「その絆創膏、どうしたなりか?」
上海ラボで私を迎えた戸部典子の第一声がこれだ。
「大丈夫なりか?」
大丈夫だ。
「なら、この絆創膏は大げさすぎるなり。」
何をするかと思えば、戸部典子は私の額の大きな絆創膏を引っぺがしたのだ。
ぺりっ、という勢いのいい音がした。
傷口からたらりと血が流れだした。
戸部典子のにまにま顔が青ざめていく。
そして、私の額から剥がした絆創膏を、再びぺたりと張り付けたのだ。
「あたしは知らないなりー。」
このやろー、お土産にもらった
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