第 2 話 時代は海へ

 上海の港に真田丸が停泊している。夜になると船室に明かりが灯った。

 船室のテーブルを挟んで伊達政宗と真田信繁が座っている。その間に戸部典ノ介こと戸部典子がちょこんと座っている。

 ほんとうにどこにでも入り込んでしまう奴だ。

 テーブルの上には伊達政宗が運ばせた御馳走が並べられている。

 三人とも上海ガニにしゃぶりつていて暫く無言だ。

 上海ガニの甲羅を割ると、たっぷりとした身とカニ味噌がつまっていてる。濃厚な味は誰をも無言にさせてしまうのだ。

 ひとごこち着くと、三人は酒を酌み交わし始めた。上海で流行っていた西欧風のワイングラスに葡萄酒をなみなみと注いでいる。

 戸部典子のピン・マイクのおかげで政宗と信繁の会話を拾うことができた。4

 戸部典子、グッジョブである。これで興味深い会話を聞くことができる。

 人民解放軍の収音マイクは性能が悪いのだ。パワーを上げれば音が割れてしまう。下げれば蚊が鳴く程度の音しか拾わないのだ。メイド・イン・チャイナだから仕方がないのだけど。

 伊達政宗が言った。

 「わしは領地を返上しようと思うのだ。」

 政宗に領地は奥州仙台である。中華帝国の中心から大きく外れている。

 大名が領地を返上する。それは大名でなくなることを意味する。

 さすがの真田信繁も驚いたようだ。

 だが、時代は変わりつつある。


 信長が北伐を終えると、明智光秀が隠居を願い出た。近江坂本の領地も返上するという。改変後の歴史では織田配下にあって城持ち大名は光秀ひとりである。

 光秀は信長が中央集権を志向していることを理解していたし、また東アジア海洋帝国がそうあるべきだと確信していたのだ。我が意を得たりと、信長は代わりに光秀にインドとの貿易の優先権を与えた。「特許状」である。インドとの貿易で他の勢力と競合した場合、明智家に優先権があるのである。

 これに倣ったのが、浅井長政である。長政はジャワ貿易の優先権を得た。

 面白いのは、この二人ともが近江に領地を持っていたことだ。領地を返上しても、地元のネットワークは残される。そこには近江商人たちの巨大なシンジゲートが誕生しつつあったのだ。近江商人たちは世界を舞台に活躍し、そのバック・ボーンとなったのが明智家と浅井家だったのだ。

 明智家と浅井家はもはや大名ではなく、巨大な貿易商社のような集団になりつつあった。ちまちまと領国経営をするよりも、海に打って出て新しい時代を築こうとしていたのだ。


 政宗は新しい時代にいかに対応するかを悩んでいたのだ。

 真田信繁が言った。

 「わしは、北の大地を見てきた。満州、その北にも広大な平原があった。樺太、蝦夷地、まだまだわしらには知らない土地があるのじゃ。」

 「北か、考えたこともなかった。わしの領地、仙台は帝国の辺境に過ぎんと思うておったわ。」

 「政宗殿、時代は変わる。だが、その次の次がある。」

 「なるほど、その次の次、北との貿易を考えれば、仙台はその中心になるというわけか。」

 「面白かろう。北の大地は海産物が豊かじゃ。それに珍しい獣がうようよおる。」

 信繁は船室の棚からテンの毛皮を取り出し、政宗に渡した。

 滑らかで艶やかで、美しい毛皮だ。

 政宗が「ほう」という顔をしている。

 おとなしくしていた戸部典子が割って入った。

 「これは貴重な毛皮なりよ、きっと高く売れるなり。それに蝦夷地は美味しいものがいっぱいなのだ。」

 政宗と信繁が怪訝な顔をしている。

 「お主、蝦夷地に行ったことがあるのか?」

 信繁が問うた。

 「二回行ったなり。タラバガニ、ウニ、イクラ。考えただけで涎がでるなり。」

 信繁もアイヌ族と食べた珍味の数々を思い出したらしい。

 政宗が膝を打った。

 「よし、わかった。領地は返上せん! これからは船じゃ。伊達水軍を充実させて海に乗り出してやる。北でも南でも、世界の果てまでいってやるわ!」

 「そうなり、伊達丸の船出なりよ!」


 信長は中国や朝鮮では家臣に領地を与えることをしなかった。領地を与える代わりにサラリーを支払うことにしたのだ。

 日本列島は信長の次男、信雄の支配下にあったが、位置づけとしては織田の分家の当主であり、日本総督である。皇帝位にある織田本家の血筋が途切れた場合のバックアップに過ぎない。日本総督の実質上の仕事は優秀な人材を抜擢してこの任に充てるのだ。この時期は蒲生氏郷が任にある。

 朝鮮半島は羽柴秀吉のあとを継いだ甥の秀次が治めていたが、彼は朝鮮総督であり、封建領主ではない。治世が悪ければいつでも交代させられるし、今後も世襲が許されるわけではない。

 日本列島には封建領主たちが残ってはいたが、七割弱が直轄地になっていた。天下統一の折、多くの戦国大名が滅ぼされ、信長に領地を奪われた。大名らしい大名は、島津・毛利・長曾我部・上杉・伊達くらいなものだ。また、徳川という大大名が滅びたことはこの現象に拍車をかけた。

 真田も信州上田に領地を持っていたが微々たるものである。領地にこだわる小大名たちはやがて時代に取り残されることになる。

 毛利は、織田の軍門に下ったときから長門と周防の二国に封じ込められた。島津も薩摩と大隅を支配しているに過ぎない。長曾我部は土佐一国、上杉も会津一国である。これらは独立公国として永らえることになる。

 薩摩・長州・土佐、維新の原動力となる勢力が帝国の片隅に残ったことは興味深い。


 島津も毛利も貿易の利益には気づいていたが、戦に明け暮れてきた戦国大名たちが即座に経済の時代に順応できるわけではない。

 明智、浅井がやった大転換は簡単に真似できるものではないのだ。

 明智水軍に浅井水軍、両家は領地の代わりに水軍を持っていた。この頃の貿易には海賊との戦いに備える必要があったからだ。それだけではない。西欧から来た船も武装している。「特許状」は西欧諸国には通用しない。この場合は武力でねじ伏せる必要があるからだ。


 伊達政宗は船の建造に着手し、伊達水軍を創健した。伊達水軍の船は西欧のガレオン船の構造を取り入れた三本マストのスマートな船だ。たくさんの荷物や武器を積み込むことができ、船速も早い。

 伊達水軍の大将となったのが支倉常長はせくら つねながである。改変前の歴史では伊達政宗の命を受けて太平洋を渡りメキシコまで行った男だ。こういう人材にスポットライトが当たり始めた時代だった。

 旗艦「梵天丸」がロール・アウトされた。梵天丸の名は伊達政宗の幼名から取ったものだ。

 梵天丸の甲板で腕組みした伊達政宗が高笑いをしながら言った。

 「見よ、これがわしの新しい城じゃ!」

 なぜが、その隣で同じように腕組みした戸部典子が、にまにま笑いをして言った。

 「梵天丸もかくありたいなり。」

 そのセリフは名作大河ドラマのパクリではないか。

 気持ちは分かる。私でも伊達政宗に会ったら、このセリフを言いたくなる。


 時代は海へ向かって大きく開かれようとしていた。

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