第二部 西欧が攻めてくるなり

第1話 真田丸

 続きはある。常に続きはある。


 十六世紀の東アジアの海を見た私は、これで死んでもいいと思ったのだが、おかげさまで今も生きている。 

 人生には常に続きがあるのだ。私が死んだとしても、誰かが私の意思を引き継ぐ。

 歴史はそうして創られてきたのだ。


 タイムマシンで一六〇〇年の上海に行き、平戸行の商船に乗った。私と陳博士と李博士はそのまま現代に帰ったのだが、戸部典子だけは人民解放軍広報部の諸君の要請により上海に戻った。碧海作戦の広報用VTRを作るのだそうだ。

 広報というなら私や陳博士がやってしかるべきなのだが、戸部典子は中国人民にも日本国民にも人気があったので、今回の抜擢となったようだ。

 どこまでも僭越な奴だ。

 「戸部さんは親しみの持てるお顔をしていらっしゃいますから。」

 と、人民解放軍広報部のプロデュサーが流暢な日本語で私に言った。

 「親しみの持てる顔」というのは絶妙の表現である。この頃、戸部典子をカワイイなどという美意識のおかしなやからがいたが、これくらいがちょうどいいのだ。


 広報用のVTRの内容は、若侍、戸部典ノ介に扮した戸部典子が、憧れの戦国武将を訪ねるというものだった。

 心配だ。なにかやらかすのではないかと心配だ。


 このVTRは編集されて、中国全土で放送された。日本のテレビ局にも売られ、かなりの視聴率を稼いだらしい。


 私の危惧が的中した。

 この時代の上海は治安もよく、戦国武将たちも数名の共をつけてお忍びで市中を歩いていた。これを見つけてかたっぱしから話しかけていくのだ。

 「拙者、戸部典ノ介と申すものなり。以後、お見知りおきくださいなり。」

 こんな感じで握手を求めるのだ。戦国武将たちに握手の習慣などあるはずもなく、戸部典子は強引に相手の手をとり、にぎにぎするのだ。


 伊達政宗に会った時は、お土産を用意していた。ゴムで作った眼帯である。M・Dという政宗のイニシャルが刻まれたものだ。ロックスターのロゴみたいなデザインのイニシャルはこの時代では斬新である。刀の鍔を眼帯に使っていた政宗はこの軽い眼帯を大いに気に入れ、その場で取り換えた。  

 「もうこの眼帯はいらないなりね。もらってもいいなりか?」

 戸部典子の不敵笑みに、政宗が「おっ、おう」と答えたのをいいことに、戸部典子は戦利品をゲットした。

 何ちゅう奴っちゃ。


 これに気をよくした戸部典子の行動は大胆になっていった。

 港でひとりたそがれる黒田如水に会った時などは、

 「黒田殿、白髪がござるなりよ。」

 と言って、黒田如水の黒い髪を一本引き抜いたのだ。

 いたっ! 頭を押さえた黒田如水の前から戸部典子は消えていた。

 「戦利品第二号、ゲットなりー。」


 「島津義弘君に会いたいのだー。」

 そう、市中では島津義弘の姿を見かけない。

 戸部典子は島津邸の門を叩いた。

 「たのもうー、拙者、戸部典ノ介と申すもの、島津義弘殿にお会いしたなり。」

 この怪しげな若侍を門番が突き飛ばした。よろけるように後ずさりして門の外に追い出された戸部典子は再突入を試みた。門番はさらに力をこめて突き飛ばしたため、戸部典子は後ろ向きに倒れた。危ない! さすがの私も驚いたのだが、戸部典子はみごとな後ろでんぐり返りをして路上にころがった。

 この後ろでんぐり返りのシーンは、スローモーションで何度もリプレイされた。

 広報どころか、これではバラエティー番組ではないか。


 真田信繁が上海に帰ってくるという情報に戸部典子は顔を輝かせた。

 真田信繁は清軍を鉄砲で壊滅させた後、信長に従って満州まで従軍した。

 その日の信長は機嫌がよく、馬上鉄砲が清軍と戦いで役に立ったことを褒めた。

 「褒美を遣わす。何なりと申してみよ。」

 というわけだ。

 「北の大地を見とうございます。満州より北に氷の大地が広がっております。その果てまで行ってみとうございます。」

 「デ、アルカ。」

 信長は信繁に一艘の船を与えた。二本マストの中型船だ。

 信繁はその船を「真田丸」と命名し、北へと旅立った。

 真田丸は沿海州に沿って北上した。船を入り江に停泊させ、上陸し調査を行った。海産物が豊かであり、内陸には幾種類もの動物たちが生息している。

 やがて、この地には小動物たちの毛皮を狙ったロシア人たちが南下してくることになる。ロシア人はここに海への出口を見つけ、東アジアに脅威をもたらすことになるのだ。日清、日露の戦争から大東亜戦争に至る日本の侵略的行動は、ロシアへの警戒心が生んだといっても過言ではない。

 信繁は樺太に渡り、そこが島であることを発見した。

 さらに蝦夷地に船を進めアイヌ民族に出会った。アイヌの人々は信繁を歓迎し、蝦夷地は信繁にとって忘れえぬ地となった。


 青函海峡を渡ると、微かに故郷の匂いがした。

 信繁は信州上田に帰り、父と兄に再会した。

 このまま信州に留まることも考えたのだが、北の大地の調査記録を上海に報告しなくてはならない。真田丸は日本海を西へ向かい朝鮮半島を経由して上海へ一路舵を取った。

 改変後の歴史では「戦国一のつわもの」の誉れを逃した真田信繁だったが、この北方への調査行は信繁の冒険家としての名声を高めた。

 漢の武帝の命を受け、西域に同盟国を求めて旅立った張騫ちょう けんや、唐の時代に天竺へ経典を求めて西に遊んだ三蔵法師と並んで三大冒険家に加えられるくらいの功績である。


 水平線の向こうから真田丸が姿を現した。実に六年ぶりの上海である。

 帆をいっぱいに膨らませた真田丸はみるみるうちに港へと近づいてくる。長い旅にもかかわらず、メンテナンスが良いせいか風を帆に受けて水面を滑る姿は颯爽としている。信繁が真田丸をいかに大切に扱い、整備に心を砕いたかがよくわかる。

 ドローンによる上空からの撮影で、船の細部までがはっきり見えた。


 上海の港には伊達政宗が迎えにでていた。

 その隣に、ちゃっかりと戸部典子がいる。

 戸部典子は信繁が帰ってくるとの情報を政宗に伝えていたのだ。それも日付や時刻まで。

 それは禁則事項だぞ、戸部典子。

 しかし、人民解放軍広報部の諸君は戸部典子の大胆な行動にノリノリになっていて、少々の反則は大目にみることにしていたらしい。


 船の上で真田信繁が手を振っている。

 伊達政宗が両手を大きく空に向かって開いた。

 信繁も同じように両手を広げる。

 二人とも笑っている。

 これだけで、心が通じるのだ。


 「ちぇ、あたしはみそっかすなりか?」

 戸部典子が拗ねている。

 だが、これほどの場面に立ち会えたことは生涯の思い出になるのではないかね。

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