第17話 決意ーーー決戦
「やっぱり行くのね」
ペネロペの声にメンテナンス用のラックに据えられたシケーダが、ぎこちなくうなずいた。
フレデリク・ボーラーのメンテナンスルーム。殺風景なほど何もない。スタッフも今はペネロペだけ。
どのチームでも試合前は喧騒が当たり前だが、ここは静寂に包まれている。
ペネロペはただ、シケーダの前に置いた椅子に座り、見上げている。
ロボットを見るような目ではない。
「どうしよう」
少しの間。
「あなたの望みは知ってる。だけど、私はあなたを行かせたくない」
立ち上がる。シケーダに近づく。
「今なら、止められるわ。今なら」
自分に言い聞かせるような調子。
近づくのを制するように、シケーダを固定するラックの電磁ロックが、何も操作していないのに外れた。シケーダはそのまま、ラックを離れ、一歩踏み出す。横の架台に置かれている刀にすでに手をかけている。
ペネロペの歩みが止まる。薄笑いが浮かぶ。そのまま一歩進む。
「教授と一緒になって私を殺すの? それもいいかも」
完全な間合いにあってもシケーダは動かなかった。
刀の柄をつかむシケーダの手にペネロペはそっと手を添える。
「ラックに戻りなさい。もうすぐ係員が来る」
最終戦を目前にして、クロムストーンは、フレデリク・ボーラー、シケーダとの再戦を申請した。
話題性の見込めるカードだけに、速やかにこれは了承された。
同時に最終戦のカードは棄権した
今回の対応には当然、クレームも殺到している。と、同時にこのリベンジマッチは大きな話題となっている。来期からはもう少しこのあたりの規約も見直され、こうした、わがままとも言える申請はできなくなるだろう。今期だからこそできることだった。
そして、この一度さえ実現できればいい。
真智は格納室の強化ガラスごしにオトの動きを見る。黙々と素振りを繰り返しているオトの姿に見入っている。
真剣な目つきで見ているのは、素振りの様子というよりも、その手に握る刀だ。
「そんなにカタナが気になる?」
真智の姿を見ていたマイヤーが話しかける。
「わかりますか」
「視線を見てれば大体は」
モニターから目も離さずにいう。
こんなところも祖父に似ていると真智は思う。知らず笑みが浮かぶ。
「マイヤーさんはどう思ってるんですか」
「カタナ?」
「はい」
「あのカタナ、一揃い、維持費込みでどれだけコストがかかってるか知ってる?」
クロムストーンにはモノノベとオトが使用するに当たって、計十振りの刀を納めているが、そのあたりのことは真智はよく知らない。
「一年間の経費でオトが一体分作れるくらいはかかってる」
「!」
「正直、オトのメンテナンスをしてる側からすれば、そのコストが半分になればとは思う。けど、カタナに関してはモノノベの範疇だし、口出しできるものでもない。試合中、カタナが折れるような、みっともないことはさせたくないし、今までそんなことは一回もなかった。そのあたりは、コスト以上の働きはしてると思ってる」
マイヤーはそこで言葉を切る。
「どうしました」
「モノノベのやることを見守ってやってほしい」
マイヤーもこれからモノノベがやろうとしてることを知っている。
「決して、カタナを粗末に扱おうなんて思っていない。知ってると思うけど」
そう言いながらも、モニターに向かって、こちらも見ずに作業を進めている。顔は見えない。真智は、そのマイヤーの顔は真っ赤になっているのではないかと思った。
「ありがとうございます」
そう言ったとき、モノノベが格納室に入ってきた。インカムに話しかける。マイヤーがそれに応答する。
モノノベと目が合った。微笑んで見せる。予想してなかった反応なのだろう、モノノベが一瞬、たじろぐのが見えた。
笑い声が漏れてしまう。マイヤーが不審げに真智を見た。
決戦
スタジアム、オト、シケーダ戦。
コロシアム中央にシケーダがひざまずいている。
その対面にオトがいる。
ひざまずくシケーダの目の前にはペネロペがいた。本来なら、とっくにポッドの中に収納されているはずの時間だ。
この対戦の前に最強をアピールするためもあり、ポッドに入る必要はないと連絡している。
ポッドに入らないのだから着ないでもいいはずだが、言い訳のようにプローブスーツを着ている。
シケーダもオトもすでに武器を装備しているから、本来ならこの場にペネロペが立ち入ることはできないはずだ。だが、係員が制止に入るでもない。
「どうしたのでしょうか」
心配げなアナウンサーの声。もう試合開始というときに、ペネロペがコロシアムに現れた。シケーダの前に立ったとたんに、シケーダがひざまずいた。
異常事態とわかってはいても、どうしようもない。客席からも不安そうなざわめきが聞こえる。
ペネロペの目線のすぐ下に、ひざまずいたシケーダの頭部がある。
ペネロペは身をかがめ、シケーダの頭部に腕を回す。愛しい者に対するような仕種。
そのまま、ゆっくり顔を近づけ、シケーダと愛おしい者にするように口づけを交わした。
誰もが息を呑む。
静かに動揺が広がる。
オトはただ、たたずむ。
時間にすれば5秒ほどだろうか。ペネロペはシケーダから離れ、通用口から出て行く。
この間、開催側も手をこまねいていたわけではない。ペネロペが係員の隙をついて、通用口からコロシアム内に入ったとき、すぐにドアを開けて連れ戻そうとはしていた。
しかし、ドアの電磁ロックがどうしても外れず、ようやく開いたときには、すでに接吻は終わり、ペネロペが戻ってくるところだった。
「事情を……」
という係員の言葉に、ペネロペは軽く肩をすくめただけだった。
オト、シケーダ戦、直前。
ポッドに向かう通路。
「カロ」
声をかけたのはモノノベだ。
振り向いたカロのばつの悪そうな顔。
あの事件以来、事情を知っているカロ、マイヤーとはギクシャクしている。こうしてモノノベから声を掛けるのも、あれ以来だ。
「何よ」
挑戦的な目つきでモノノベを見る。
「頼みがある」
「どうせ負けるからポッドに入るなって?」
「違う!」
カロの挑発にあえてモノノベは怒声で応じた。
「今日の立会いだけは負けられない。絶対にだ」
「今までは負けるつもりでやってたってこと?」
「誰もが勝とうとしている。その結果が負けなら仕様がない。だが、今回だけは例外だ。負けられない。勝利以外はない」
「だから? だから、私に何をしろってのよ」
「間違いなくオトは致命傷になるダメージを負う」
「じゃあ負けじゃない」
「だから、君だ」
「私?」
「2秒だ。致命傷を負ってから2秒だけ、機能停止を阻止してほしい」
「その理由は今は教えてもらえないのよね」
「すまない」
「どこまでも私は蚊帳の外なのね」
悲しげに言う。
「カロ」
「2秒ね」
吹っ切れたようにカロが言う。
「楽勝よ。私とオトなら」
カロは再びポッドに向かう。モノノベを振り返りもしない。
過去最高のテンション。
過去、幾度となく、試合開始前の心身状態をモニターしていたポーラは、今のカロをそう判断した。
「何かあったの?」
そのつぶやきをカロに発しようとする。しかし、ポーラはスイッチをオフにした。ポッドの中のカロは黙々と自らの挙動を確認している。
「これだけのテンションを、わざわざ下げさせることはないわね」
ポーラとシケーダの接吻の後、コロシアムは異様な雰囲気が解けずにいた。
誰もが、常とは違う、何かが起ころうとしている、という不安を感じ取っているようだった。
だから、唐突にアナウンスが始まったとき、聞き逃すまいとコロシアムは静まり返った。
「本日、予定しておりました、エキシビジョンマッチ、オト―シケーダ戦はフレデリク・ボーラー側に重大な規約違反の疑いが生じ、事実確認が必要となりました。そのため、エキシビジョンマッチは中止とさせていただきます」
それをそっけなく告げると、アナウンスは唐突に切れた。
「規約違反?」
モニタールームのモノノベがマイヤーに問う。
「AIだね。人体実験がバレたんだ」
マイヤーは断定した。
シャフトに使用されるAIはパワータイプ、モーションタイプの別なく、その教育プロセスによって、著しく人体の健康を損なうような過程を、てはならない、と定められている。
「その意味じゃ今のオトも一緒なんだが……。さて、だったら、誰が密告したか、だね。いずれにせよ、残念だ」
「マイヤー」
「私じゃない」
いつものようにマイヤーはモノノベを見もせず、コンソールに向かっている。
その顔が曇る。
「変だ」
ポッド内のカロが真っ先に異変に気がついた。
一瞬断ち切られた。あのときの、嫌な感覚がよみがえる。
「ポーラ」
返事はない。
「ポーラ!」
絶叫した。
「重大な規約違反とはいったい何なんでしょうか」
アナウンサーが何度目かの質問を傍らの解説者に問いかける。
中止が宣言されてからすでに十分が経過しようとしている。その間、シケーダとオトはコロシアムの中央で対峙したまま。
「今入ってきた情報なのですが、どうやら、トラブルが発生した模様です。現在、コロシアム内部に入ることができない状況のようです」
マイヤーがめまぐるしくコンソールを操作する。
オトからの情報フィードバックが返ってこなくなっている。通信を修復しようと躍起になってはいるが、マイヤーの苦々しげな顔から察するに、どうにもならないようだった。
「どういうことだ」
一人ごちる。
そこに入ってきたのはクリスだった。その後ろに係員を伴って、ペネロペもいる。
「どんな状況?」
「ここに部外者は……!」
マイヤーのいらだたしげな声。
「フレデリク・ボーラー側でも非常に厄介なことになってるみたいだ。情報を提供するから協力してほしいって」
扉口に立つペネロペは、その表情こそ取り繕ってはいるが、どことなく焦燥の気配が見て取れる。ペネロペが、じっとマイヤーを見る。
「密告はあなただね」
「はい」
マイヤーの問いをあっさりと肯定した。
「何故?」
これはモノノベだ。
その問いには答えない。コロシアムを映し出すモニターを見ている。
モノノベも知らず、モニターを見る。
二体は戦闘態勢に入りつつある。
「マイヤー!」
「完全にコントロールを奪われてる」
めまぐるしくコンソールを操作しながら答える。今はコントロールを奪われていることを確認しているだけなのだろう。その言葉には、半ばあきらめの響きもある。
ペネロペの携帯端末が、呼び出し音を発したのはその時だ。
はっとして、ペネロペはメッセージを見る。そして、表情が消える。
「なんてあなたは」
ペネロペがつぶやく。ここにいる誰に言うでもない。怨嗟がある。
「ひどいの」
モニターの向こうはオトが、太刀をゆっくりと正眼に構えている。戦闘態勢の完了を示す。
始まった。
しん
とした静寂の中、カロは再び、オトと「繋がった」感覚を取り戻していた。
「よし」
さっきまでの寂しげな表情は消える。笑みが浮かぶ。もう、カロに迷いはない。
ゆっくりとオトは上段に太刀を振りかぶる。シケーダに対して、あまりにも無防備だ。
「負けるつもりなの?」
「まさか」
モノノベがモニターから目を離すことなく、ペネロペの挑発的な言動に答える。
「完璧な構えだ。シケーダに対して、という限定だが」
ペネロペの怪訝な顔。
「シケーダは完璧すぎる。シャフトという競技で勝利を実現するための完璧な挙動ができる。だから、完璧な勝利にこだわる」
「シャフトにおける完璧な勝利」
これはペネロペ。
「頭部の記憶演算装置と駆動部の通信を完全に遮断してしまうこと」
これはマイヤー。
「斬首だ」
これはモノノベ。
確かに、これまでのシケーダの勝利はすべて斬首でのものだ。
「上段なら、装甲に守られた腕部が完全に頭部を保護してくれる。シケーダの攻撃は下段からのみだから、そこから腕は攻撃の瞬間まで最も遠い距離にあることになる」
ペネロペの顔が曇る。
「それはオトの判断によるもの?」
モノノベは否定の笑みを浮かべた。マイヤーも笑みを浮かべる。
「私たちもズルをしたってわけだ。この対戦のためのスペシャルレシピでオトは動いてる」
「今まではシケーダのコントロールで動いていたが、今度はこっちがシケーダをコントロールする」
「一応言い訳しておけば、事前のシミュレーションでも勝率は50%となっている。今回のこの処置は、不確定要素を排除しておきたいだけだ」
「そんなにうまくいくのかしら」
「腕の一本は切断されるだろう」
「それも予想済みってこと。でも彼女じゃ切断のときに発生するダメージキューブを処理しきれるの?」
「それは賭けだ。だが、二秒いや、一秒でも処理できれば。太刀をシケーダの頭部に叩き込むことができる。相打ちと判定されるだろう。が、相打ちは私にとっては勝利と同じことだ」
「片腕で威力のある一撃が打てる?」
「スペシャルレシピで動いているといっただろう?」
うんざりとした様子でモノノベが答える。
「片腕でも十分な威力があることは確認している」
ペネロペの顔が不安げに曇る。
「シケーダが確実に勝利するなら今だ。ここでオトに突きを見舞ったなら、間違いなくヒットする。まったく回避させるようなプログラムは組んでいないからだ」
「!」
「だが、『彼』はそれを選べない。自分の間合いまでオトを引き込む。それしかないからだ。あの機体では、それしか勝利パターンはない」
モニターではじりじりと、間合いをつめていくオトと、それを詰めるに任せるシケーダの姿がある。
「やめて」
ペネロペの言葉。マイヤーとモノノベが振り向く。
「バックアップなんてないのよ。シケーダは彼が直接、動かしているのよ」
薄い沈黙。
「そこまでやるのか」
マイヤーが言う。
「もう、その『彼』は電子情報のみってことか」
「『彼』と教授ね」
そう言うと、自分の携帯端末の画面を示して見せる。
「決闘を邪魔することは許さない、か」
「やはり、教授は生きているんじゃないか」
「それはないわ」
「なぜ」
「私が彼の死を看取ったから」
「電子情報になった教授が会場のネットワークに侵入して好き勝手してるって言うのか」
そのとき、もう一度、ペネロペの端末にメールが入る。
「『こうすれば、信用してもらえるのかな』?」
コンソールがすべてダウンしたのはその直後だ。
「『スペシャルレシピはリセットさせてもらう』
オトの動きに変化があったのは、そのときだった。
振り上げた刀をゆっくりと下ろされる。機械的で、生命感はない。シャットダウンの際の動き。
「こんなことがあっていいのか」
マイヤーが呆然とつぶやく。
じりじりと間をつめていた、シケーダが戸惑ったように動きを止める。
そして、きっかり5秒後、オトは再起動を開始する。
コンソールも復帰するが、操作は受け付けない。ただ、オトのコンディションをモニターするだけだ。
あわただしくチェックするマイヤーを尻目にモノノベはただ、モニターを見る。
「おちついてるね」
その姿に嫌味がついて出る。
「本当にリセットされたのか?」
「本当に、リセット、された、よ」
言葉に合わせて、キーを荒々しく叩きつける音が、甲高く響く。
「そうか」
「本当にあわてないのね」
「レシピはリセットされ、コントロールも受け付けないなら、私にできることは何もない」
そこで言葉を切る。次の言葉を言うべきか迷っているような間。
「あとはオトを信じるだけだ」
自分に言い聞かせるように、一息に言った。
「それは君を信じろってことじゃないか」
「そういうことになる」
まだ、コンソールを操作しようとしていたマイヤーの指が止まる。そのまま、背もたれにもたれかかり、腕組みをする。
「お手並み拝見だ」
五分ほどで、オトの再起動は完了した。
その間、シケーダは攻撃を仕掛けることはなかった。おそらく、教授との何らかのやり取りがあったのだろう。
すでに観客席は静まり返っている。何か異変があれば、パニックが起こってもおかしくはない。二体とは硬質ガラスに隔てられ、安全圏にいるから、半ば好奇心でとどまっているだけだ。
固唾を呑むというほどの緊張もなく、ゆるい不安、緊張でこの成り行きを見守っている。
動いた。
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