第15話 人工知能の独白ー立合い2-取引

 この小さな機体には、連続して三敗している。瞬発力も、加速力も、この機体には遠く及ばないことは分析済み。

 だが、この瞬発力があれば、もっとこちらと距離をとってもいいのに、十分な距離を置かないのが付け込む隙でもある。

 機体の癖も、ある程度抽出している。踏み込む、その一瞬前、0.1秒間、わずかに右肩が沈む。その一瞬を捉えて、カウンターを合わせればいいのだが、肩が沈むのを感知し、打ち込んだ瞬間には、こちらの刀の軌道を十センチほどの距離でかわし、懐に入り込んでいる。

 対して、こちらの動きは完全に解析済みなのだろう。これまでの百二十一回の打ち込みは、すべてかわされている。そして、この機体は、平均、0.3秒でこちらを機能停止に追い込んでしまう。こちらを優越する瞬発力を有しているのに、それを使用することもない。

 この機体とよく似た動きをする機体を検索すれば、マッチングするのはシケーダ。


 カロは機械油のにおいにむせ返りそうになる。確かにオトの姿はない。道場への搬入庫の扉は閉じたまま。

 搬入庫の厚い扉を通しては、中で何が起こっているのか知る由もない。

 開ボタンを押しても、扉は開かない。中でオトが動作していれば、連動して扉は開信号を受け付けないようになっているからだ。

 それでも、万が一の事故を想定して、緊急用に手動操作で扉を開くことが出来るようになっている。その操作方法をカロは知っていた。

 手馴れた手つきで、扉横の操作盤をオートからマニュアルに切り替える。扉のロックをはずす。

 重い扉はカロには手に余るが、あらん限りの力をこめて、ゆっくりと開けていく。


 マイヤーは自分の目を疑った。搬入庫扉が開いている?

 誰だ。一瞬の混乱が判断を鈍らせた。

 少しだけ開いた扉の隙間から、顔をのぞかせたのはカロだ。カロの顔が驚愕にゆがむ。

 何か叫んだようだった。

 混乱から立ち直ったマイヤーは、コンソールに目をやる。あらかじめ打ち込んでおいた停止コードを入力する。今なら、カロならまだごまかせるはずだ。

 顔を上げたマイヤーが見たのはおびただしい鮮血。左肩を押さえて、うずくまるモノノベ。肩から切り落とされた腕。そのすぐそばで、機能停止したオトが立ち尽くしている。

 そして、悲鳴を上げ続けているのだろうカロがいた。


 オトの斬撃の際の軌道が良くなっている。細かく間合いを取って、斬撃を繰り返させた成果が出たようだった。

 これが潮時か。今回の立ち合いはここまで。機能停止させる。

 おりしも、オトは再び斬撃動作に。

 そのとき、扉が鈍い音を立てて開いているのを目の端に捕らえた。マイヤーか?

 しかし、解析室にマイヤーはいる。

「何で!」

 カロの声だった。

 不運だったのは、現時点での最適軌道でもって、オトの斬撃が行われたこと。思ってもみなかった叫び声で一瞬、モノノベ自身の判断が狂ったことだ。

 斬撃を紙一重でかわして、オトのリーサルコードを切断するはずが、体捌きが遅れた。その遅れがオトの解析した右肩の沈むタイミングと一致した。

 オトはただ、プログラムにしたがって自分の握った刀を振り下ろす。

 そして、熱い塊はモノノベの左肩を通り抜けていった。

 背骨に氷の棒が差し込まれたような悪寒の後、熱い脂汗が全身からあふれ出す。

 モノノベはスローモーションで自分の腕が床に落ちていくのを見た。

 見事な斬撃でオトはモノノベの腕を切り落としていた。

 だらりと下げられた刃を見る。目に見える刃こぼれはない。脂がついている様子もない。

 見事な出来栄えだった。やはり、藤田に依頼してよかったと思う。

 もう無い、左腕の付け根から心臓の鼓動に合わせて血があふれ出ている。吐き気を催す。それをこらえ、落ちている自分の腕の切断面を脂汗でにじむ目で見る。

 

 オト、あの軌道なら、お前でもこんなにきれいに腕を切断することが出来る。


 場違いな思考がモノノベの頭の中を駆け巡る。

 カロの悲鳴は途切れることがない。

 怒鳴りつけてやりたかったが、口からはうめき声しか出ない。

 見る見るうちに、床が自分の血で汚れていく。

 モノノベは気を失った。そのまま、自分の血だまりに顔を突っ伏す。

 最後にマイヤーの叫び声を聞いたような気がした。


 翌日、昼過ぎのニュース。

「ロボットの暴走? トレーナー重症。

 昨日深夜、シンクレアカンパニーの敷地内で、同社契約社員、モノノベ、本名、物部辰人さんが左腕を切断という重傷を負った。モノノベさんはロボット競技シャフトに参加しているクロムストーンのロボット動作トレーナー、通称モーションマスターを務めていた。

 事故はクロムストーン所有のロボット、オトのトレーニング中に起こったと見られる。現在、地元警察が原因を調査中だが、トレーニング中のロボットは真剣を使用しており、その動作範囲に入った状態で起こった事故との見方もある。ロボットの運用方法も含め、リスクマネジメントに問題がなかったか調査を進める方針」



           取引



 何度か目覚めかけたような気がする。

 朦朧とした意識。

 左腕にかゆみを感じた様な気がして何気なく手を伸ばす。

 右手を伸ばす。しかし、腕に触れる感覚がいつまでたってもない……。

 右手を誰かが両手で握り締めた。

 その感覚で思い出す。

 無い。

 無いのだ。

 覚醒した。

 目の前にカロがいた。

 泣き腫らした目が自分を見ている。

 目が合った途端に、再びカロの目から大粒の涙が流れ出た。

「うーーー!」

 ただ、右手を握りしめたまま、言葉もなく泣く。

 よく見れば、そばには医師もいる。事の成り行きを見計らっている様子だ。このままでは埒が明かない。

「先生……」

 自分でも驚くほどしゃがれた声が出た。

「モノノベさん」

「馬鹿」

 続けようとした医師の言葉をさえぎるように、カロが言った。

「腕、つながったのに」

 マイヤーの処置が早かったこと、切断面が鮮やかだったことから、左腕は支障なく繋げられるはずだった。

 それを手術室前室でモノノベは断固として拒否した。自ら拒否したという宣誓書を激痛に気を失いそうになりながら、署名したのだ。

 拒否したことにマイヤーは怒り、手術室を出て行ってしまった。

 マイヤーにしてみれば理解は出来ないだろう。

 しかし、繋げた、その左腕は以前とは違っている、絶対に。木偶のように感覚の鈍った左腕を繋げたところでどうなる? とモノノベは思う。

 己の天賦の才を発揮するための前提が崩れてしまったのだ。

 五体があること。

 五体が己の思うとおりに動くこと。

 それなくして己の武術を体現することなど出来ない。

 だから、つなげることを拒否した。

 めちゃくちゃだ。

 誰だってそう思う。

 いつか、この選択を後悔するはずだ。

「手術は無事成功しています。一点を除いてね。医師としては残念でならないです。自ら苦しい道を選ぶなんてことはね」

「私の意志を尊重してくださって、感謝しています」

「一言言わせてもらえるなら、彼女の言うとおり、あなたは馬鹿ですよ」

 何も言い返せない。モノノベはただ聞く。

「クレイジーだ。サムライのやることは理解できない」

 お大事に、そう言い捨てて医師は病室から出て行こうとドアに手をかける。

 その前にドアが開いた。クリスがいた。

「おっと先生、モノノベの容態は?」

「いま、意識が戻りましたよ」

 医師の肩越しにモノノベはクリスと目が合った。振り返りもせずに医師は出て行く。

 クリスは恐る恐るといった様子で、病室に足を踏み入れる。

 伏目がちにモノノベの左側を見る。一瞬、目が潤んだ。

「馬鹿だよ」

 目覚めてほんの五分もしないうちに、三人から立て続けに馬鹿といわれるとは、と自分の事ながらおかしくなった。

「笑うな、馬鹿」

 ひっくひっく、と肩を震わせながらカロが言う。自分でも知らないうちに口元に笑みが浮かんでいたのだろう。

 とはいえ、モノノベはクリスを見る。

 ただ、単に見舞いに来た、というわけでもないだろう。

 そのモノノベの思いを肯定するように、クリスの顔は固い。

「モノノベ……」

「クビ?」

 この期に及んでもカロは口を挟んでくる。

「いや、違う」

 その言葉にモノノベもカロも怪訝な顔をする。

「ただし、だけど」

 そう言うと、ドアを開け、男を招きいれた。

 誰かはクリスに言われなくても見当がついた。

「デイビッドさん。シンクレアの危機管理室から来てもらった。顧問弁護士の一人でもある」

 テレビドラマにでも出てきそうな、いかにも有能で冷酷な弁護士然とした痩身の男だった。グレーの地味だが、高級そうなスーツに身を包み、手にはブリーフケースを提げている。

 撫で付けた髪にずれてもいない眼鏡を人差し指で押し上げる仕草さえ、ステロタイプじみている。

「さて、早速、本題に入りたいのですが」

 そういいつつカロを見る。

 クリスは何も言わずにカロを病室から追い出そうとする。

「何でよ。居てもいいじゃんよ」

「カロ。頼む」

 結局、モノノベの一言でカロは出て行った。

 デイビッドはそれを確かめると、椅子に座りモノノベを見る。

「まさにあってはならない事故ですね。これをありのまま公表すれば、この事業からは撤退せざるを得ないでしょう。ここまで育てた事業です。それは避けたい。自分の体の一部をなくすまでのめりこんだ仕事だ。あなたも同じではないですか? まして、この件で撤退ともなれば、あなたに損害賠償請求を行うことを検討することになるでしょう」

 眼鏡の奥のデイビッドの目がモノノベを見る。

「本来なら、こんな大手術が終わったばかりだ。話ができるような状態ではないのも分かっています。ある程度、恢復するまで待ちたかったのですが、そうもいかない事情が出来ました」

「モノノベ……」

 何か話しかけようとするクリスを、デイビッドは軽く手を上げて制した。

「はっきり言いましょう。今回のあなたの決断は私たちにとって実に都合がいい」

「腕の接続手術を拒否したことを言っているのか?」

 デイビッドはそれに答えない。

「現在、わが社が人口筋肉を使用した、画期的な義肢の開発に成功していることは知っていると思います。ほぼ、実用化のめども立っている。しかし、新しい技術だけに、まだまだデータもノウハウも足りないのが現状です。とくに、高度な身体技術に関するものがね。なかなか条件に合致する人間がいない」

「だから私にモルモットになれと」

「わが社の高度身体操作義肢のモニターです」

 モノノベの皮肉をまったく意に介さず、もっと皮肉な名称に訂正する。

「あなたの身体操作に関する技術は、折り紙つきでもあります。こちらとしても、あなたにモニターになっていただけるなら、全面的なバックアップを惜しみません。望むなら、これまでどおりモーションマスターを続けていただいても結構です。もちろん、今回の不祥事も不問に付します。不幸な偶然が重なった事故として処理します。どうです? 悪い条件ではないでしょう」

 確かに手術直後に聞きたい話ではない。

「あまり時間はないのです。事故直後からのデータがほしいという開発室からの要望もあります。一日だけ時間を与えます。明日、この時間にまた来ます。そのときに答えを聞かせてください」

 デイビッドの遠慮のない口調。気遣わしげに、クリスがモノノベを見ている。

「いいだろう」

「?」

 わざとらしくデイビッドが首をかしげる。思っていたとおりといった顔。鉄面皮の顔にいやな笑みが浮かんだ。

「一日、時間をもらうまでもない。引き受けよう」

「いいのか?」

「はい」

 クリスの顔を見て、モノノベはこともなげに言い放つ。言い放つとしか言いようのないような、投げ出すような口調。

 このような状態での取引は業腹ではある。だが、立合いを始めてしまったときから、自分ひとりの問題ではない。

 ここにいるクリスにだって監督責任はある。マイヤーだって立派な共犯だ。

 それを見越してのデイビッドの、要するにシンクレア側の提案だ。断りようがないならすぐに決めてしまったほうがいい。

「では、すぐに転院の手続きをします」

 前言撤回は許さない、とでも言うようにデイビッドは席を立ち、部屋を出て行く。

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