第13話 独白

          独白 



 倫理的な問題とは、目覚ましい効果を得ようと思えば、必ず直面する問題だ。当たり前の話だ。

 すでに動物実験の段階ではない。人体実験が必要だ。科学の発展などと、きれいごとを言うつもりはない。私の探究心を満足させるためだ。

 被験者が必要だ。高度の身体能力を有していながら、今は全身不随。そして、かつての身体能力を切望している者だ。


 ペネロペの発見した被験者はまさに申し分ない。事前の確認でも恐ろしいばかりの適性が認められた。

 彼も乗り気とのことだ。

 早速、こちらに呼び寄せる。


 彼はまさに、この実験の被験者となるために、生まれてきたような男だ。脳に直接、埋め込まれるプローブを唯々諾々と受け入れた。

 彼は不随の間中、ずっと頭の中でかつての自分の動きのシミュレーションを、繰り返してきたものと見える。

 東洋の剣術の合理的にして不可思議な動きが、次々とデータベースに蓄積されていくさまは、私に久しく忘れていた感動を呼び起こさせた。

 全身不随にして、言葉もろくに発することも出来ず、眼光だけが鋭い、やせ衰えた男から、この多彩な動きが生み出されていくのは、私に奇妙な感慨を覚えさせた。


 ストライキである。彼の意思を解読すれば、思考の再現に使用したロボットの動きが気に入らないのだという。もっと滑らかで繊細であることを要求してきた。

 ディスプレイ上の動きを見ることだけに飽き足らず、ロボットに実際に演武を行わせているのを見てのものだ。

 彼にしてみれば、体得した武術は現実の使用に堪えてこそ、なのだろう。

 しかし、彼の意思を、文字通り体現するロボットは2015年の時点では、まだ登場していない。

 そして、これがわれわれの資力の限界でもある。

 それを理解し、妥協させることが出来るかどうか。


 彼の動きを遺すことができるのは、我々だけということを、ようやく理解させる。それまでの頑なな態度は時に私をいらつかせたが、それが彼の脳内で武術の動作を保存してきたゆえのことと考える。

 むしろ理解してしまえば、このロボットで出来る最高の動作を、どう行わせるかに彼は専念するようになった。

 結局のところ、彼も私にも、それほどの時間は残っていない。

 彼と私の業の集大成が、このシケーダになるのだ。

 シケーダとは蝉との意だが、果たして、このロボットをほんの二週間ほどしか生きられない蝉と名づけたことは寓話的でもある。ロボットの動作が制限されているだけに、彼は習得した技術の大半を封印しなければならない。私には彼はシケーダに動作を教育しているようでいて、その実、彼自身がシケーダに取り込まれているようにも見える。

 動きが制限されているだけに、彼はシケーダのとるべき戦略を、自らの多彩なバリエーションからほんの少ししか選択できない。無造作で、それでいて絶妙のポジションを占有し、徹底的に様式化された動き、斬撃でもって、相手に止めを刺す。まさに型を、そのまま実戦で使用するのだ。言うだけなら簡単なこの戦略を練りこみ、まさに最強と呼ぶべきものに仕上げたのは驚嘆に値する。


 ペネロペは多少、彼に入れ込みすぎているようだ。哀れみが愛情に代わったということか。冷静な彼女にしては珍しい。


 彼が笑う。

 初めてのことだ。

 シャフトと呼ばれているロボット同士の戦闘ショーを、彼の無聊を慰めるために見せていたときのことだ。

 チーム、クロムストーンのロボットを見て、彼は興味を持ったようだった。

 オトというそのロボットの動きは、シケーダと似ていた。もっとも、彼に言わせれば、似て非なるものということだが。

 大資本が投下されただけあって、その動きは見事に人体の動きの要点をシミュレートしている。

 だが、その選択肢の多さがかえって、オトを教育した者の動きの鋭さを鈍くしていると彼は言う。

 限定された動きしか出来ないということは、欠点ではない。磨き上げれば、むしろ、武器になるというのが彼の主張だ。

 動きの鈍いシケーダが武器を振るうときには、すでに勝負は決していなければならない。そのための間合いであり、攻撃を誘うための隙だ。

 それを彼は教育しつつある。

 もし、これが完成したら、シャフトに参戦してみるのも一興だろう。

 彼がそれを望むのならだが。

 


         真剣試合



「立ち合おう。真剣で」

 そんな馬鹿げたことを真顔で言われても、ああ、ついに来たか、としか思わなかった。

 彼が言い出さなければ、自分から言ったかもしれない。


 その目がずっと自分を見ていたのは知っていた。

 入門したのが同じ八歳。そして、ほぼ同じ速度で階梯が上がっていった。それは驚異的な速度だったと、折に触れて聞かされたが、別段の感慨はなかった。

 ただ、同門の彼に、負けたくなかっただけだ。


 自分たちが学んでいたのが、剣道ではなく、いわゆる剣術と呼ばれるものだったことを知ったのは、ずいぶん後のことだ。

 ただ、私にしてみれば、近所に町道場があったから通うことにした、という感覚でしかなかった。

 テレビで見る剣道が、防具を身に付けているのに対して、道場では道着と袴のみ。

 そのうえ、竹刀で打ち合わず、ひたすらに木刀で型稽古に終始する。

 何かスポーツでもさせたいと思っていた両親にとっては、直接体に当てない型稽古は、時代劇の真似事にしか見えず、ただの棒を早く振り回す運動にしか見えなかっただろう。何より、怪我を心配していたから、願ったりのものだった。

 私も時代劇のような所作を真似るのは楽しかったし、それ以上のものを求めていたわけではなかった。

 大住師範も私たちを教えていて楽しかったのだろう。教えたことをスポンジのように吸収する、という言い回しがあるが、まさにその状態だった、と今にして思う。

 師範代として、自分たちよりも年長の弟弟子に教えるようになって、その進度の遅さに改めて自分たちの異常さを強く思うようになった。

 何よりも弟弟子たちと、私たちとの決定的な違いは、型の意味を理解する能力の有無だろう。

 自分の刀のどの部分が、型のどの局面で、相手のどこに届くか。

 そうしたことを誰に教わらずとも、分かった。型の意味を理解して動くのだから、見る者が見れば、そこに天稟を感じただろう。

 さらに踏み込んで言えば、どう動けば人を殺せるかが、分かっていたということでもある。

 彼もそれは同じだっただろう。

 ほとんど言葉を交わした事がないが、思いは同じはずだ。

 階梯を上れば上るほど、長じれば長ずるほど、好奇心は募る。

 実戦で試してみたいと。

 普段の稽古に真剣を使うことを許されるようになれば、なおさらだ。

 精神修養を、おためごかしと言うつもりはないが、私たちの学んだのは、いわば刃物を用いての、人殺しのための最適軌道を、自分の体に叩き込むと言う一点に尽きる。

 師範でさえ、それをわかってはいないと、思っていた。

 深く修めれば修めるほど、募るのは好奇心から猜疑心にとってかわる。

 この人殺しの術は本当に実戦で使えるのか。理のみ残り、すでに形骸となっているのではないか。

 何十年と術を修めてきた名人の演武を見て、その懸絶した実力を目の当たりにしてさえ、思いは募るばかりだった。

 おいそれと使うことの出来ない欲求不満を、不思議と喧嘩で使わなかったのは、そのあたりの連中なら、どうすれば制することが出来るかがわかったからでもある。見えている勝負をあえてするほど、物好きでもない。

 その一事でも、十分に術が機能すると割り切ってしまえばいいのだが、所詮は本道ではない。

 この思いを分かち合えるのは、同門の彼しかいない。しかし、彼はただ、黙々と型を繰り返すばかりだ。

 そもそも、彼とは話をしたのは、この十年で数えるほどでしかない。

 よく何もなかったと思う。同門のしかも同じ年齢、同じレベルの者が、どんな交流もないのは異常だ。

 師範もどういうわけか、無理に交流をもたせようとはしなかった。

 それで喧嘩の一つもなかったのは、今から思えば、正しかったし、間違っていたとも言える。

 過度の抑圧と、過度の解放は意味することは同じだ。

 まったくの没交渉であっても、彼が私を意識しているのは、わかっていた。

 互いの視線に険がこもるようになったのは、いつのことか。

 型を行うときの、呼吸のタイミングが気に入らない。自分と同じだからだ。

 太刀ゆきの速さが気に入らない。自分と同じだからだ。

 身のこなしが気に入らない。自分と同じだからだ。

 すべて気に入らない。

 私が気に入らないということは、彼も気に入らないと言うことだ。相似してはいるが、わずかなズレ。彼と私は同じではないことの証。

「剣呑だな」

 大住師範が私たちの様子を察したのだろう。牽制するように私に言った。

「まったく、お師さんの言うとおりになっちまったな。同じくらい出来の良すぎるのが二人もいて、危なっかしいって言うのは、すぐに分かった。どっちも手放すのがもったいなくて、なるべく引き離してたのが、仇になったか。もう少し、早くしときゃ、そんな目つきさせることもなかったのにな」

 幾つになる? との問い。

「二十歳になります」

「二十でそこまで、思いつめるようになったか。いや、もう十三年目だからな。才能があればなおさらだな」

「なぜ、私に?」

「お前のほうが、まだ冷静だからな。言っとくぞ。絶対に誘いには乗るな」

 師範の言う思いつめ方は、私のほうが勝っていると思っていただけに意外な思いがした。怪訝な顔をしている私に、師範は言った。

「とにかく誘いに乗るな。もうすぐ、あいつは別の道場に師範として行くことになってる」

 さらに付け加えて、何事もなかったように去っていった。

 彼の無表情な顔の奥に、どんな思いが詰まっているというのか。

 そして、私は焦燥する。

 恐怖しながらも、待ち望んでいたその日が、遠のいていく。

 だから、思いつめたような目で、彼が立合いを申し入れてきた時、救われたような思いがした。

 私は応じた。


 どこで、とはどちらも言わなかった。

 そんなことは言わなくても、分かっている。おおっぴらに真剣を振り回しても、とがめられることのない場所など、この道場をおいて他にはない。

 あとは、いつでもいい。

 人のいないときなど把握している。

 その気なら、門下生に指導をしているさなかに、はじめてしまってもいい。

「始めようか」

 そう言いさえすればいい。

 目が合えば、すぐにでも始めてしまいそうな、そんな状態が三日ほど続いた。

 結果として、始めたのは誰もいない早朝の道場でだった。

 昼間は門下生の指導に時間をとられるから、朝なり、晩なりに自分の稽古をする。

 今までは互いに相手を避けていたから、自分の稽古の時間に会ったことはなかった。

 しかし、その朝、道場に足を踏み入れると、彼がいた。私が来るのを待っていたのだろう。端然と正座をし、私を見ている。傍らには真剣だ。

 その姿で戦闘態勢に入った自分を感じた。

 私は何も言わずに、革のケースから真剣を取り出した。

 彼は刀を持って立った。


 季節は初夏だったと記憶している。

 まだ、ほの暗い道場で、私たちは黙々と支度をする。

 道着に袴を身に付ける、衣擦れの音がやけに大きく道場に響く。帯に刀を差すと、改めて全身に気力がみなぎる。

 いつもの癖で柄に軽く手を乗せる。

 目の前の彼を見る。

 今から殺し合いをするとは思えない、冷静な顔。稽古をしているときと、ほとんど表情が変わらない。

 自分もあんな顔をしているのだろうか。

 急に親しみがわく。初めての感慨だ。

 それが私に軽口をたたかせた。

「馬鹿なことをしているよなあ」

「全くだ」

 世間話のようなやり取りの後、始まった。


 互いに間合いの外で抜刀する。

 私は下段。彼は正眼に。互いの得意とする構え。

 隙のない刃が常に咽喉元を狙っている。

 それを見た時、私はどれほど型稽古をつんでも得られないものを、得た。

 一言で言えば恐怖だ。

 自分を殺すための真剣が向けられると言うことは、こういうことか。頭の片隅で、そんなことを思った。

 そして確信。

 私たちの学んできたものは使える。無駄ではなかった。恐怖につけこまれて、なお、それを御することが出来る。それさえも織り込まれている。

 笑みがうずうずと浮かんでしまいそうだった。彼もそれは同じなのだろうか。

 そんなことを考えているうちにも、状況は刻々と変わる。互いに有利なポジションへと無駄な動きの全くないすり足で、少しずつ移動する。よく注意していなければ、私たちが移動しているのに気づくのも困難なほど自然な動き。薄暗かった道場に曙光が射すころには、私たちの位置は、最初の位置を完全に入れ替えていた。

 これは一言で言えば、膠着状態。

 私たちの学んできた技術の要訣は相手が気づかないうちに自分だけが間合いに入る、その瞬間に稲光のごとき素早さで斬りつけることだ。それを互いが許さない。

 そのとき。

 渡り廊下だろうか、どこかで板の軋む音が聞こえた。

 道場に誰か来ようとしている。

 この立合いに邪魔が入る前に決着をつけなければ。

 焦りが隙となった。

 今の攻防の焦点は、窓からの朝日を、どちらが背にするかだった。窓から射し込む朝日はちょうど、自分たちの目を射るような位置にある。

 焦りが私の動きを遅らせた。

 彼の動きにあわてて応じようとした。

 目に朝日が飛び込んできた。

 一瞬、目が眩む。

 彼の姿が消えた。

 大住師範の怒声が聞こえた。

 同時に咽喉もとの、熱いような冷たいような感覚。

「物部」

 と、言葉を発しようとして記憶が途切れた。


 見事なほどの太刀筋だったと聞いた。

「文句の付けようもないほど、スパッといったな」

 一度もそういう、命のやり取りをしたことがないとは思えない。それほど、彼に太刀筋にはためらいがなかったという。

「モノノベにしては知恵を絞ったほうかな」

 かろうじて一命をとりとめ、人工呼吸器につながれ、ベッドに身を横たえている私に師範は言った。

「前の日だよ。京都の道場に一足先に出向くって言ったんだ。それで安心したのがまずかったな」

 私は笑ったのかもしれない。

 師範は真顔で言う。

「お互い、同意の上だったんだろ?」

 私はうなずいた。

「ずいぶんニュースになってる。お前も、あいつも狂人扱いされてるのも分かってるよな」

 またうなずく。

「俺だって、真剣のやり取りをした事がないわけじゃない。が、いきなりはなかったな。いや、いつだって、初めてはいきなりか。今から言っても仕方がないが、せめて得物が木刀だったらと思うな。そんなやり取りで相手を半殺しにしたって、合意の上なら何とでもなるのにな」

 ひどいことを言うと、苦笑する。私は眠くて仕方がなかった。

 眠りに落ちるその瞬間まで、私の気がかりはこの体が動くことはあるのだろうかと、そのことばかりだった。


 結局、今に至っても私の体が動くことはなかった。

 立合いから、二ヶ月で自分でも驚くほどやせ衰え、ベッドで寝返りも打てない私ができるのは、ひたすらにあの時の立合いを頭に思い浮かべることだけだ。

 あの時の焦りがなければ、勝負はどうなっていたか。

 私に残るのは感覚だけだ。どう動くべきか。体中の筋肉の動きさえ完全にシミュレートして、立合いを行う。

 動けないがゆえに研ぎ澄まされた感覚が、あの日を完全に再現する。


 モノノベには立合いのあの日以来、会っていない。

 恨みを言うつもりはない。互いの鬱積した、やむにやまれぬ欲求を満たすために立合ったのだ。

 私はただ、立会いのあの局面でどう動くつもりだったのか。それを語りたかった。

 今ならわだかまりなく、できると思う。

 だから、モノノベ、来てくれ。

 俺は狂ってしまいそうだ。


 二年経ち、廃人のようになって、毎日を立合いの再現に終始する日々。

 ペネロペがやってきたのはそんなときだ。

「あなたが類まれな剣術の技術を持っていると聞きました」

 流暢な日本語でペネロペはそう言った。

「それは、昔の話ですよ」

 かすれる声でそう言った。いつになく頭の中がはっきりとしていた。いつもならあいまいな返事を返し、再び頭の中の立合いを繰り返していたのにだ。

 彼女がいまやタブーとなっている剣術の事を言ったからだろう。

 自分の心が見透かされたような気がした。

「今の時点で断言できませんが」

 ペネロペはそう前置きした。

「私たちの求める条件に、あなたが合致する可能性が高いのです」

 協力して欲しい、と言う。

「見返りは?」

「協力していただけることによって、あなたの技術の保存が出来るかもしれません。それはあなたの最も望むことのはず」

 合点のいかない私にペネロペは、小さな器具をとりだした。扇状のそれは、広げてみると、金属の帽子になった。ペネロペは、それを私の頭に装着した。

 そして、目の前のテーブルに、十五センチほどの、おもちゃみたいなロボットを置いてみせる。

「前に動け、と念じてみてください」

 その通りに念じてみる。

 かすかなモーター音とともに、ロボットはぎこちなく前進して見せた。

 冷たいだけだと思っていたペネロペの顔がぱっと明るくなる。笑うと意外に子供っぽい顔だと思った。

「これはあなたが、ただ、動けと念じただけでしょう?」

 うなずいてみせる。

「初めてでここまでは行きません。もし、この粗末な人形ではなく、もっと人間に近い挙動が出来るロボットで、なおかつ、あなたの頭の中のイメージを明確に示すことの出来る装置があれば、どうです。あなたに生き写しのロボットが、あなたの剣術の動きを寸分たがわず、行えるとするならば、技術の保存は成ったことになりませんか?」

 目の前のロボットを見る。そこに自分の動きを重ね合わせる。

 たとえ、彼女の言うとおりになることがなかったとしても、誰も提示することの出来なかった「希望」に私は魅せられつつあった。

 少なくとも聞く価値はあるかもしれない。そう思った時点で私は決心していたのだろう。

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