第9話 劉英奇3
「どうですか? 紹興から取り寄せた逸品ですよ」
「とっても」
劉の言葉にペネロペは微笑み、杯を軽く上げてみせる。カロがちらりと、うらやましげな視線を送る。
よく考えれば、これがペネロペの発した最初の言葉だったことに、モノノベは気づいた。
「給仕の役目はトレイや皿を運ぶことだけではありませんよ。名給仕は熟達すればするほど、客に気づかれぬうち場を支配するもの。皿の差配のさじ加減ひとつで、雰囲気ががらりと変わってしまう。影のように存在を感じさせず、必要なときに必要な給仕を行う。ぎこちない動きではそれだけで雰囲気をぶち壊してしまいますよ」
「じゃ、それだけが理由?」
「まさか。これは余禄みたいなものですよ。本命はもちろん虎一です」
「あなたの言ってることはよくわからないな」
「詰問ばかりしても面白くないでしょう。少し食事をしましょう」
その言葉にマイヤーはしぶしぶと料理に箸をつける。案の定、取り落としてしまう。
「フォークとナイフを用意させましょう」
ケケ、とカロの笑い声が聞こえた。殺意のこもった目でマイヤーがカロを見る。
「さて、モノノベさん」
合間を見計らって劉が言う。思わぬ矛先にモノノベはただ劉を見るだけ。
「文明の一つの精華とも言うべき武術は、これからどうなっていくと思われます?」
モノノベの顔はいくつかの逡巡がうかがえた。
「その言い方には、否定的なものしか感じられないな。衰退していくものと、断言されているようだ。人が伝えていくものである以上、どれほどシステムを整え、テキストや映像といった伝達手段が発達したとしても、武術が高度であればあるほど、創始者の理論を伝えきれるものではない。時代によって先鋭化、劣化は避けられまい。もっとも、古いものがいつでも正しく、新しいものは優れていないというわけではない。これから、もっと優れた武術が出現する素地は十分ある」
「私はそれには賛同できませんね。あなたは嘘をついている。あるいは一つの可能性に対して目を背けているというべきですか」
「ロボットだね」
フォークで料理をつつきまわしながらマイヤーが言う。
「その通り。武術を継承していくことの一番の問題は創始者、名人、高手の動きを何らかの理由で断絶してしまった場合、見ることができないことです。何よりも彼らの動きを『見る』ことが大事なのに。動きを自分の目で見て、それを己の動きに反映させる。そうであればこそ、武術の継承は完成する。しかし、人の命には限りがある。ならば、この技術の発達した時代です。ロボットが代行すれば良い。名人、高手の動きをロボットが余すところなく伝えるのです。武術家がオトとじかに接して、それを思わないはずはない。それを指して私はあなたが嘘をついていると申し上げたわけです」
「それが目的ならタイガーワンをシャフトに出場させているのは、どうしてだ」
「あれは叩き台のようなものです。満足な性能を有したロボットの完成まではあと、十年はかかるでしょう。今はノウハウを蓄積する時期です。ですが、虎一は仮にも武術を行うロボットですし、実戦で、どこまで行くのかは気にならないわけがない。虎一のモデルになった詠春拳の名手に依頼して、アレンジした型をつけてもらって出場することにしました。結果は見てのとおりです。負けるのは悔しいですが、何より研究所では得られない、さまざまなデータを得られたのは収穫でした」
実際、タイガーワンは今回のシャフトでもパワータイプになぎ倒され、負けている。
「武術の継承にロボットを使うとして、性能の想定はどのくらい?」
マイヤーの問い。
「より強靭で人間の筋肉に近い駆動装置の開発はもちろんのこと、それをどこまで配置するかでしょうね。わが国の武術は複雑に筋肉を作用させる動きが多い。時に、それは内臓を動かすような筋肉にまで使うこともあります。呼吸法も重要です。だから、余すところなく名手の動きを伝えようと思えば、ロボットには肺などの器官を配置し、呼吸させる必要さえあるでしょう。ただ、動きを伝えるだけなら、テキストや映像と同じですからね。身近で息吹を感じるのは重要です」
「そこまで言ってもいいのかしら。大事な秘密なのに」
ペネロペが茶化すように言う。相当、杯を重ねているはずだが、一杯目とほとんど顔色が変わっていない。ほんの少し、目元の赤みが増している程度。それだけで艶気が怖いほど増している。
「そうですね。言葉が過ぎましたか」
その言葉にはそれほどあせるような響きはない。
こうしたプロジェクトを行っているのは、自分たちだけという自負があるからだ。今から開発を行って追従できる進度ではないということか。少なくともモノノベにはそう受け取れた。
「だが、中国武術はそうしたハード面をどれだけ整備しても、ソフト面での運用と連動しなければ意味がないのでは?」
中国武術が内包するものは時に食事といった日常生活にまで及ぶ。ロボットがどれだけ精巧に動きを再現したとしても、それはひとつの側面を補完したに過ぎない。そうモノノベは問うた。
「ここまでして、そちらにまで気が回らないわけはないでしょう」
劉の冷笑にモノノベは口をつぐんだ。
モノノベにとってオトはあくまでも、シャフトという競技に使われる機械でしかない。自分の役目は、オトに機械の可動限界を超えないように、アレンジした剣術のバリエーションを教え込むことと考えていた。それにまったく疑問を感じたことはない。まして、劉のようには考えたこともなかった。無論、企業で働くモノノベと、スポンサーとしてシャフトに参加している劉とでは立場からして違う。
だから、モノノベにはオト、すなわちロボットが人間の剣術を補完する、という発想さえなかった。
中国武術が衰退するものと仮定して、それに対する備えをここまで行う。澄ました顔で料理を口に運ぶ劉に、半ば空恐ろしさのようなものを感じた。
「ペネロペ嬢」
真面目くさった顔でマイヤーがペネロペに向かって言う。
「ペネロペ嬢って……」
時代錯誤に過ぎる言葉にカロが絶句する。
「何かしら。シケーダのこと?」
「そうだ。あんなに面白い機体は滅多にない。現在、チェスにおけるAIの優位性がゆるぎないように、シケーダのAIもシャフトという競技において、最強の地位を持つにいたっている。シャフトはチェスよりもはるかに複雑であるにもかかわらず、だ。あの完成度は異常といっていい」
ふふ、とペネロペが笑う。再び、杯を干す。ロボットが酒を注ぐ。
「何がおかしい」
「一言で言えばいいのに、と思って」
「じゃ、どう言おう?」
「人間、でしょう?」
答えを予想していたように、マイヤーがうなずく。
「まるで相手を弄んでいるような、はるかに高度な判断力。見た目はパワータイプよりも鈍重に見えるが、一目見れば、明らかにそれとは一線を画す、レベルの違いを感じさせる動き」
一人、得心がいったようにマイヤーがうなずく。
「そう、人間だ」
もう一度、自分に語りかけるようにマイヤーはつぶやく。
「となると、シケーダがシャフトに参加することは問題にならないかな」
「限りなく黒に近い灰色でしょうね。それを証明するのは困難でしょうけど」
「なるほど。そいつは面白い」
はたで聞いていても、互いに了解していることは省略している二人の会話は、意味がつかめない。あるいは、したたかに酔いが回ったペネロペの戯言を、マイヤーが意味のある言葉と解釈して、会話が成立してしまっているだけなのか。
「あ、そうそう。モノノベさん」
わざとらしいくらいのタイミングで劉が口を開く。
「大住師範があなたに会いたがっていましたよ」
劉の口元には薄笑い。モノノベの表情が一変した。
「貴様!」
モノノベの、今まで聴いたことのないような激昂の叫び。とっさにカロが見たモノノベの顔は、まさに悪鬼の形容にふさわしかった。
自分の言葉に跳ね上げられるように、立ち上がる。椅子が倒れる。そのときには正面にいる劉に一散に詰め寄っていた。モノノベの本気の動き。速い。
テーブルにいる誰もが制止する暇もない。
制したのは、静かにドアを開け、入ってきた劉のボディーガード達だった。彼らもまた速い。モノノベが劉の胸倉をつかむ寸前に、懐に入り込み、その腹に掌底をそっと添える。腹に触れるか触れないかの距離。
一方で、鋭い目がモノノベの動きをじっと見ている。
それが憑き物おとしになったのか、さっきまでの悪鬼の形相が消えていた。
カロとマイヤーは、なまじ普段のモノノベを知っているだけに、驚きのあまり、固まってしまっている。ペネロペはまるで関心なく、飲み干した杯をロボットに注がせている。
当の劉は、よほど自分のボディーガードの実力に自信があるのか、顔色ひとつ変えていない。
「下がりなさい」
しかし、ボディーガードは構えを解かない。
「下がりなさい」
もう一度。
劉が言うと、ボディーガードは構えを解き、一礼して部屋から出て行く。今度はドアは締め切らず、少しだけ開けられている。
「座りましょう」
劉の何事もなかったような顔。
モノノベが蹴り倒した椅子はロボットによって起こされている。そのまま椅子を引き、モノノベが席に着くのを待っている。
仕方ないというように、ため息をつき、モノノベは再び席に着いた。
改めてモノノベは劉を見る。その目に怒気は残ったままだ。
「怖いな」
悪びれない、その口調は、かえってモノノベの怒気をあおる。
「どこまで調べた?」
「調べられることは全てですね」
要するにモノノベの経歴から何から何まで、調べ上げたということだろう。マイヤーもカロも、ペネロペも。それが出来る財力はある。マイヤーはさっきの劉の言葉で、ある程度、察しはついているのだろう。カロは気づいてもいない様子。ペネロペは相変わらず、とらえどころがない表情で杯を重ねる。
もっとも、調査自体は程度の差こそあれ、どのチームも行っていることでもある。無論、クロムストーンもだ。
「参戦するからには一通りのことはしませんとね。『彼を知り己を知らば百戦危うからず』、とは孫子の言葉ではないですか」
「私が彼の名前を聞いてどんな反応をするか分かったはずだ」
「まあ、多少はね」
涼しい顔で言う。モノノベの怒気が膨れ上がる。
「やっぱりあんたって人殺しだったの?」
頓狂なカロの声。あっけにとられたようなマイヤーの顔。
「日本にいられなくなったから、こっちに来たんでしょ。そうでしょ。大丈夫よ。黙っとくから。言ってみなさいよ」
「言うに事欠いて、お前は……」
マイヤーが吐き捨てる。
「何よ。違うの? テレビにめったに出ないのもそれが原因でしょ」
「違うな」
モノノベの感情の抑制された声は、聞きようによっては穏やか、と言えるかもしれない。
「私は人を殺してはいないし、テレビに出ないのは単に苦手なだけだ」
「そんなごまかさなくたって。絶対、なんかやってるでしょ」
そこまで言いかけたカロの前に、ペネロペが杯を差し出す。反射的に受け取ったカロの杯に自ら酒を注ぐ。
「やった!」
「あとは自分で。適当にね」
「話せるね。お姉さん」
とはいえ、これでもう詮索はやめろ、という程度のことは分かったようだった。酒を得て、食欲により拍車がかかる。ロボットたちもカロの好みを把握したようだ。カロはロボットたちの持ってくる皿すべてに、カロは舌鼓を打つ。
「いや、酒もすすむわ」
「これ以上いると、僕のこともいろいろ言われそうだから、帰りたいところだけど、聞いときたい事がある」
マイヤーが口を開く。
「どうぞ」
「フレデリク・ボーラー博士は本当にいるの? それとも本当はペネロペ嬢かな」
ペネロペを見もせず、劉に聞く。
「僕もモノノベも幽霊みたいに言われてるけど、実際ここにいるからね。でもボーラー博士について、調べてみても、なんだか本当の幽霊みたいに実体がつかめない。あれだけのAIを開発できるんだから、名前くらいはどこかで分かってもいいはずなのにね。何を隠したいのかは分からないけど、あなたがボーラー博士って言うほうが、よっぽどしっくりくるよ」
「なるほどね。博士はいらっしゃいますよ。確実です。ただ、こちらも所在はつかめない」
とは、劉だ。
「シャフトの会場には来てるはずだよね」
「そうです」
「それでも所在はつかめない?」
劉はうなずく。
「隠してることがあるね」
「まあ色々と。隠しておいたほうがいい事もあるんですよ」
「どこまで高みの見物を決め込むつもりだ」
モノノベの声。
「帰らせてもらう」
「もう少しいいでしょう」
劉の言葉に傲慢なものが混じる。マイヤーが眉をひそめる程度には、その傲慢さは鼻につく。
すでにモノノベは席をたって、ドアに向かっている。
「待ちなさい」
その声で、ドアの向こうから、さっきのボディーガードが現れた。
カロもペネロペもマイヤーも行方を見守っている。
無言のまま、モノノベの手をとる。モノノベが動きを止めた。ボディーガードも動かない。
二人の間に見えない張り詰めたものが生まれた。
モノノベは振り払えない。そして、ボディーガードもモノノベを思い通りに動かせないでいる。
それを見抜いたのは劉ぐらいのものだろう。とはいえ、二人が動きを止めたのはほんの数秒ほどのこと。
モノノベの体が一瞬沈みこんだように見えた。ペネロペがその動きに目を見張る。
直後、ボディーガードの体が天井に向かって跳ねる。
そのまま、ボディーガードはどう、と背中から床にたたきつけられる。
カロが料理をほおばったまま、目を丸くしている。
うめき声をあげるボディーガードを省みることなく、モノノベは部屋を出て行った。
モノノベと入れ替わりにボーイが数人、入ってきてボディーガードを部屋の外へ連れ出す。
「うらやましい」
酒精のため息をつきながら、ペネロペが言う。
「?」
「シケーダにあの動きができたら」
モノノベが身体操作のみで、ボディガードを投げ飛ばしたことを言っている。
「意外だね。シケーダの設計思想とはまるで正反対なのに。シンプルで効果的な動きの追求がシケーダの持ち味と思ってた」
「私たちは決して、シケーダに満足しているわけではありません。資金の関係で、あの鈍重な機体にAIを乗せねばならないことには、忸怩たるものがあります。機体の性能さえ十分あれば、どんな高度な動きも制御できるAIが、あんな動きしかできない。さっきのあれだって出来ないことではないのに」
モノノベのあの動きが出来ると言う。語るうちに、ペネロペの目に暗いものが宿る。
「でも、シケーダのAIが、満足できる動きが出来る機体は、現時点では存在しない。クラフトドラゴンにも。それこそ、十年を経ないと出来ないかもしれない。急ぎすぎたのかと、今では思います。未来にしか通用しないものを造っても、狂人扱いされるだけなのにね」
自嘲するようにはき捨てる。
「さしずめ私は狂人の元締めというところですね」
劉がまぜかえす。
「そんな風にとられてもらっては困るわ」
劉が分かってます、というように鷹揚に手を振ってみせる。
「むしろ、急ぎすぎたという言葉のほうが気になりますね」
「私もそろそろ帰ろうかしら」
そういって笑う。もう、その顔に暗いものはない。
マイヤーはペネロペが帰ってしまう前にということか、黙って席を立つ。劉とカロと三人になるのはぞっとしない。
「ではまた」
劉の言葉にも軽く手を上げて応えるだけだ。
「カッコつけんな。バーカ」
「まあまあ、そろそろデザートでもいかがですか。何かとストレスも溜まることでしょう。怪我さえなければ、いやいや、こんな仕事をすることもなかったのにね……」
言い終わる前に皿が飛ぶ。劉はそれを器用によけて見せる。皿の割れる音にボーイたちが入ってくる。それを劉が手で制す。すでに破片はロボットの一体が片付けつつある。
「帰るわ」
言い捨てると、席を立つ。
「そこまで性悪だと早死にするわね」
ペネロペが酒を注がせながら言う。
「肝に銘じます」
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