第3話 孤独な姫君と水晶の少女 

 アルタキアス連合王国の一つ、アルタキアス・リトリー王国の王都ワルワーラは、豊かではないものの活気があふれていた。

 少ないが浮上式自家用車が走り、デパートや高層ビルも建ち並んでいる。


 しかし『13』には、そんな都会の華やかさとは無縁だ。首都の外れの軍事基地の格納庫で、ヴァイランスの整備と調整が彼の日課であった。


 『人形フィギュア』であっても、人間を模して作られた彼らは、食事や睡眠は取らなければならない。それでも『感情』を持たない彼らは、最小限のそれらを与えられ、生きるためのジェネラを自ら取り入れながら、ひたすら人間の言うとおりにしなければならない。


 同じ庫内では、『16』と名付けられた『人形フィギュア』が、自分の機体の整備をしている。『13』と同じくらいの年かさの透き通った肌をしているが、やはりその顔には、何の感情も見いだせない。


 『13』にとって彼は仲間ではない。ただ人間だけに従う、『物』でしかない。言うなればスプーンとフォークが食卓では隣り合うものの、人間が使う、という以外にはお互いに何の関係もないように、『物』に横の繋がりなどあり得ないのだ。


 だが、彼には特別な任務があった。


「『13』!作業を止めて、支度を調えて迎えの車に乗るように!」


 一人の兵士がぶっきらぼうに告げにくる。

「はい・・・」


 『13』はいつものように、シャワー室で念入りに汚れを落とし、支給された上等な香水とタキシードに身を包む。彼の顔にはめ込まれた晶石が一目で人間ではないことを告げるものの、その姿は高貴で紳士的ななたたずまいを見せていた。礼儀作法も、あらかじめ彼の中にインプットされている。


 高級車に乗り込み、首都の中心部に向かうとまもなく、小高い丘に建つ王宮が見えてきた。門から入って車から降り、召使いたちの好奇や軽蔑の視線を中を、東側の離宮の、よく整えられた中庭に通される。


 中庭には色とりどりの花が咲いていて、とてもきれいだ。まさに自分の『主人』好みの庭だった。


 『13』は、一つの黄色い花を摘み取り、鼻を近づけた。しかしそれも感激からではなく、主人の行動をマネしているだけだ。花のかぐわしさも、彼には一つの情報でしかない。

(こういう時、人間はいったい何を感じているんだろう・・・?)



「ギイス、見つけた!」


 と、突然、後ろから首元に抱きつかれた。その主は、さらにぎゅっと体を『13ギイス・トレ』・・・ギイスの背中に押しつけてくる。ギイスがゆっくりと振り返ろうとすると、その頬にやわらかく暖かい感触が触れた。


「どう?ドキドキした?」

 そう言ってもう一回、今度は唇に、いくぶん乱暴にキスを浴びせる。

 それは年かさ十二歳ほどの少女だった。少し癖のある金髪をレースのリボンでていねいに結び、満面の笑みで、くりくりした眼を輝かせている。フリルのついたかわいらしい、上品な青色の服を身につけていた。


「アイリス様・・・お久しぶりです、約束通り、無事に帰ってきました。」


 その言葉にアイリスはぷうと頬を膨らませて、振り返ったギイスの腹をバンバンと叩いた。


「もう!ギイスは人間じゃないんだから、アイリスでいいって言ってるでしょ!それに、敬語も禁止よ!礼儀、礼儀ってうるさい大臣のおじいさんがたじゃあるまいし!」


「・・・わかり・・・わかった、アイリス。」


 ギイスは相変わらず無表情だが、アイリスは彼のやさしさを確かに感じた。


「おかえり、ギイス・・・よかった、無事で。」


 アイリスはギイスのお腹に顔を埋め、ぎゅっと抱きしめた。

 彼女はこの国、リトリー王国の第二王女だ。本人から聞いた話によると、本名をウェルエクス・アイリス・レト・リトリーというらしい。


 アイリスはこの王宮に生まれ、何不自由なく暮らしていた。

 だが彼女は、王室を巡る陰謀によって、父王が暗殺されたのを見てしまった。

 姉はそうそうに他国に嫁ぎ、母親、つまり王妃も、幼い頃に亡くしていた。孤独な彼女は人間不信に陥り、また生来病弱なこともあり、王宮の中の離宮で、ほとんど表に出ないような生活をしていたのだった。


 ギイスの重大な任務のもう一つが、彼女の相手なのだ。


「・・・ねえ、ギイス、あなたからキスして?」


 ギイスが『人形』じゃなかったら、こんな大胆ではしたないことは言わない。彼女も、ギイスがそんなことを言っても顔色一つ変えないのを知っているからこそ、こう言えるのだ。

 もしギイスが少しでも戸惑ったり、恥ずかしがったり、さらにはほほえんでいる、なんて`人間らしい`感情をちょっとでも見せたら、アイリスはあまりの恥ずかしさに、彼と二度と顔を合わせられないだろう・・・!


「うん。」

 ギイスもゆっくりと、アイリスに顔を近づけ、その唇を重ねる。その一瞬は、アイリスもさすがに心臓が止まりそうになる。


(ん・・・冷たい。)

 アイリスはそれが好きだった。



「・・・ねえ、今日はお友達がいるのよ。ギイスはもう知っているでしょ?」


 アイリスもすぐに、子供らしい無邪気な笑顔に戻る。アイリスはスキップで隣の部屋に入っていって、召使いに指示を出す。


 すぐに彼女が手を引いてきたのは・・・あの『大晶石』から現れた少女だった。


「君は・・・」

 少女はこの前のワンピースではなく、アイリスからもらったであろう王族の、華美ではないが上品なレースの服を着ていた。やはり無表情にこちらを見つめているだけだったが、そのたたずまいには、女神のような神々しさすら感じられた。


「驚いた?パンドーリスに言って、連れてこさせたの!もう今日の取り調べは終わったからいいでしょ、って!そう、私が名前を付けてあげたの!トゥア、『24トゥア・フォレッテ』って文字が書いてあったから、トゥアよ!」


 パンドーリス`緑`一尉はギイスの管理人にして、貴族の出によって、アイリスの世話人も任されていた。その関係で、アイリスが『13』こと、ギイスを見いだした、というわけだ。


 アイリスはトゥアのそばに行って、トゥアのスカートをつかみ、少し背伸びをして顔を近づけた。その様子は、本当の姉妹みたいだ。


「どうだった?痛いこととか、されなかった?」


「だいじょうぶ。けっきょくあんまり私のことはわからなかったけど、痛いこととかは、されていない。」


 トゥアはアイリスの頭をなでる。落ち着いた、感情のこもっていない声・・・ギイスと同じだ。だけど、とてもやさしい声だというのは、ギイスにもわかった。


「えへへ・・・よかった!」

 アイリスは照れくさそうに、だけど満面の笑みを浮かべて喜んだ。自分たちが『内心』というものを持たない、その心に『裏がない』からこそ、アイリスは正直に自分の愛情を表現することができるのだ。


「でも、やっぱり人間ってヒドいでしょ?あのパンドーリスだって、私のお目付役・・・そうじゃない、アイリスっていうやっかいな猛獣の調教師!メンドくさい境遇のお猿さん!・・・とにかく、私のことを厄介者だと思ってるんだわ!」


 アイリスはおてんば娘のように頬を膨らませて、腰に手を当て、部屋の中を行ったり来たりし始めた。愚痴を言う時のいつもの癖だ。


「アイリス、それは違うよ。パンドーリス将軍はアイリスのことを大切に思って・・・」

 ギイスがそう言うと、腕に一発の拳の抗議がやってきた。


「いいのよ!ギイス!あんな連中の肩なんて持たなくても!・・・あーあ、私なんて、いっそ死んじゃえばみんなすっきりするのになぁ!」


 こういう時は、よくない方に向かっている時だ。


「・・・だって、かわいそうじゃない、女の子を、あんなによってたかって調べるなんて!・・・ほんとに、国家とか政治とか、そういったことになると、慎みとか礼儀とか・・・ほんとに、人間って、そういうことになると、まるで獣みたいになるのよ・・・!」


 アイリスの目が伏せがちになった。嫌なことを思い出している時の顔だ。


「そう・・・表では忠実なふりをして、裏では嘲笑うのよ・・・」

・・・まだ世の中のこともよく知らないうちに、さまざまのことを経験したしまったのだろう・・・


(俺にはわからない・・・アイリスの気持ちが・・・悲しいって、どういうことなんだろう、か?)


 自分に好意的にしてくれる人が嫌な思いをしているのに、何もできない。ギイスはこのことに、心の中がざわめくのを感じた。

 『人間の心』・・・その未知の存在に対する興味と一つの『畏れ』が、彼の心に芽生えつつあった。


 ギイスがこのように考えている時、ふいにトゥアが、ゆっくりアイリスを抱き寄せた。


 胸にアイリスの顔を寄せ、その背中をやさしくなでる。髪を垂らし目を細めたその顔はやはり無表情だったが、ギイスはそこに人間らしい『やさしさ』と呼ばれるものが宿っている・・・よくわからないが、そう感じたのだった。


「だいじょうぶ・・・何も怖いことはない。アイリスが悲しむなら、私が支えになりたい・・・私は人間に、悲しい思いをさせたくないの。」


 まるで、教会の聖画の中の女神のような姿・・・それはギイスにもわかった。それよりも、自分の中に芽生えるもの、これは何なのだろうか・・・?これは『動揺』・・・?

「トゥア・・・」


 アイリスはそのまま、トゥアの胸の中で、声を殺して泣いた。これだけの短い間に、二人の間にどれだけの『友情』が生まれたのか、ギイスには想像が付かなかった。


 しばらくするとアイリスはトゥアから離れ、恥ずかしそうに指で涙をぬぐった。その高貴な血が、いつまでも他人に甘えるのをよしとしないのだろう。


 アイリスはトゥアの顔を見た。

 そしてトゥアの頬にキスをして、にっこりと笑った。


「ねえ、トゥアもキスして。」

 トゥアは透き通った目でアイリスを見つめると、その頬にそっとキスをした。


 ギイスには、その顔にかすかな笑みが浮かぶのを見た・・・いや、彼の脳が、`そう見せた`のだった。 


――――

 やがて日が暮れ、遊び疲れたアイリスはソファに座ったトゥアの膝を枕に、眠ってしまった。そのあどけない寝顔は、やはりまだ子供だ。


 パンドーリスが迎え・・・いや、『13』を追い出しにくるまで、もう少し時間がある。それまでは入ってくるなとアイリスに厳命されていた。

 パンドーリスもアイリスの身の上を気遣ってか、彼女の言うとおりにしていた。彼はアイリスが言うようなわからず屋ではない。


「トゥア、君は、『水晶宮』に・・・あの中にずっといたのか?」


 夕日を見ていたギイスの口から、自然とそんな質問が飛び出したこと自体、『人形』としてあるまじきことだった。スプーンがフォークに話しかけるなどあり得ないのだ。


「ええ、ずっとあの中で、この星の人間を見てきたの・・・三百年も経っているなんて信じられない。まるで昨日のことのよう。」


 『なぜ、ここに現れた?どうして意思を持っている?君の正体は?』・・・人間なら当然のように次に続くはずの、この質問は口にできなかった。

 ギイス自身も、どうしていまここに存在しているのか、なぜ人間に従わなければならないのか、そんなことはわからなかったからだ。

 それは自分自身に対する問いだった。


「なんで、人間のために・・・なんて言うんだ?」

 次に出てきたのはこの言葉だった。


「・・・そんなことを聞くなんて、ギイス、あなたは人間が、嫌い?」

「え・・・」


 予想もしていなかった質問返しに、ギイスは答えに窮する。


「私は・・・ただ、人間が好きなの。私の中に、そういうものが宿っているの。それだけはわかる。」


『好き』『嫌い』・・・そんな感情を抱いたことなどない。道具であり機械の『人形』は、ただただ、人間の意思の通りに動くのだ。


「そんなことは考えたこともない。考えることもないよ。」

 だがそう言っている間にも、その原則に逆らうような自分の感情に、ギイスは気づいていた。


(・・・もしかして、あの時『5』を倒した自分の狂気は、パンドーリス以下、俺を道具としてしか見ない人間たちに対する『怒り』だったのかもしれない。)


 自分の中に『怒り』という感情が宿っているならば・・・それはギイスにとっては、恐怖以外の何者でもない。

 アイリスが自分に示してくれた好意・・・いや、つまり人間は『愛』と言う、『人形』ですらいつまでも浸っていたいと思える感情・・・それが自分の中に生まれたならば、すばらしいことだ。


 だがその正反対の感情ならば、そこから自分自身すらも逃げ出したい。

「俺は、俺は・・・アイリスのような人間にはなれない。トゥア、君も、あの『大晶石』の中から見ただろう・・・俺は人間で言う怒りのような感情で、人を殺す、ただの機械だ・・・」

 ギイスの手が震える。

 これが『悲しみ』というものなのだろうか?・・・なぜ、自分を作ったオラクル・バングル名位博士は、こんな感情を、自分の初めてのものと定めたのだろうか・・・?


 しかしトゥアは、その手に手を重ねる。その感触はやはり冷たかった。

「ギイス、あなたは人間が好きなのよ。」

 思いがけない一言。

「人間は・・・好きなものだからこそ、苦しむの。」

 その一言に、ギイスは脳の中の仕切りのようなものが、一気に解放されるような感覚を味わった。喜び、怒り、哀しみ、楽しみ・・・それらの『予感』が、彼の心に迫ってくる。それと同時に、過去のさまざまの記憶がよみがえってきた。


『ようこそ、この世界へ。』

 ギイスが初めて目にしたオラクル・バングル名位博士の笑顔、そしてアイリスと初めて会った時の目の輝き、その意味が、胸に迫ってきた。

 「トゥア・・・俺は・・・俺たちは・・・『人間』になれるんだろうか?」

 声が震える。


「俺は・・・人間になりたい!アイリスみたいに、喜んで笑い合える人間に・・・!」


 ギイスの心の扉が開く音がする。カタコトと、懐かしい響きを奏でながら。ふと、トゥアがギイスの頬に手を添え、指でなでた。

 ギイスは涙を流していたのだ。『人形』を人間を元に設計する際、再設計の煩雑さを避ける、ただそれだけのために残された無駄な機能が、彼の心を何よりも雄弁に語っていた。


「私も・・・人間になりたい。自分のこの気持ちの答えを、見つけたい。」

 その時、確かにトゥアはほほえんだ。見間違いではない。硬い氷が溶け、清らかな水に変わるように、今度こそ本当に、彼女は笑ったのだ。


 その顔は、本当に美しい。

 顔を近づける。お互いの呼気が感じられる。『人形』も息はする。それは冷たく、しかし心の奥底では、暖かく感じる。


 次の瞬間、二人の唇が重なった。

「冷たい。」

「うん、トゥアも。」

 深い意味はない。花の香りをかぐのと同じ、形から入る人間の始まり。


(なぜ、俺はトゥアに興味というものを持つのだろうか・・・?)

 いや、それはわかっている。『引力』なのだ。

 磁石のN極とS極のように、似たもの同士の、しかし少しだけ違う俺たちは、互いにその存在の意味を求め合っている。


 この世界に現れた、おそらくたった二つだけの、『人間』を求める魂として。 


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