パイの果てへの旅-2
ベニイロリンゴモドキというのはバファロール星原産の珍しい植物で、バファロール星で生まれ育った学生は義務教育課程の中のどこかでその観察日記を書くか葉の標本をつくるか植物区分をテスト前に覚え込んで二時間後に忘れるかしている。ベニイロリンゴモドキのどこがそれほど珍しいのかというと、この植物は根の先っぽから枝の末端まで、時期であれば花や実もすべてがリンゴにそっくりなのだった。たいていの生物は自分という存在の重要性を実際より高く見積もっているし、自分自身の独自性を打ち出すのに余念がないものだ。ちょっぴり身体が大きいとか、少しばかり速く走れるとか、香りがやや遠くまで届くとか、棒きれの使い方がまあまあうまいとか、そういうことに必要以上の自尊心を見出すものなのである。
ベニイロリンゴモドキにはその種の誇りが一切ないように見えた。花の色も葉のぎざぎざぐあいも水の吸い方もリンゴそっくりだった。化石調査の結果、ベニイロリンゴモドキはリンゴより少し後に発生し、それからずっとリンゴに似た進化の仕方を続けてきたということが判明している。リンゴがいい葉の付け方や実の作り方を学ぶと、少し後にベニイロリンゴモドキにもその変化があらわれるのだ。しかも後者の利点をいかして自分の工夫を加えるというのでもなく、そっくりそのまま真似をするのである。
ベニイロリンゴモドキがなぜこのような戦略をとっているのかについては未だに解明されていない。しかし、まるきりそっくりなリンゴとベニイロリンゴモドキを区別する方法はとても簡単で、バファロール星では誰でも知っている。ベニイロリンゴモドキの実は本物のリンゴのそれよりもまずいのだ。甘みが薄く、やや酸っぱさが勝り、もっさりとした歯ざわりをしている。食べられないというほどでもないが、おいしくはない。時折リンゴとベニイロリンゴモドキを売ってしまったスーパーが、レシートを持参した客には返金かほんもののリンゴを渡すという貼り紙をしていたりする。
そしてなぜセンが今学生時代以来一度も思い出さなかったベニイロリンゴモドキのことを考えているのかというと、目の前の人物の話をうまく聞き流すためだった。名前はアトル・ルカン。メロンスター社のエリートコースを着々と(多少のつまづきはありつつもうまく軌道修正して)進んでいる社員で、入社以来地下の第四書類室から一歩も動いていないセンとは共通点はほとんどなかった。以前センは宇宙がうまくいっていなかったのに乗じてアトルを始末したことがあるのだが、宇宙が元に戻るとそのこともうやむやに元に戻ってしまった。そのことをセンが今でも心から残念に思っているのは、アトルには意識してかそれとも無意識にか、自分のエリートぶりをひけらかす癖があり、しかもその癖の対象がセンであることがしばしばだからだった。アルコールのある場であれば、アトルの話を聞き流すのと同じペースで酒を胃袋に流し込むことでうまくしのげるのだが、社内のリフレッシュルームではそうもいかない。
「だから、すでに僕らの優位性は失われていたんだけど、そこからどうシェアを回復させるかというのが問題でね。再度戦略を練り直す必要があったわけさ。だってそうだろう? アベレージの成績なんて我慢ならないからね」
昔つくったベニイロリンゴモドキの押し花のしおりはどうなったんだろう、とセンは考えた。宿題で作って、学校に持っていって、その後少し使っていたはずだ。生徒全員が持っていたので、みな自分のものとわかるようにペンで色をぬったり切り抜きをつけたりキラキラするシールを貼ったりしていた。センもシールを貼りたかったのだが、その前にしおりをどこかへなくしてしまったのだった。あれはどうしたんだろう、落としたのか、それとも何かの本にはさんで忘れてしまったのか。思い出そうとしてもずいぶん前のことなので、もやに包まれたように判然としない。しおりに集中することで、アトルが話している今までやったプロジェクトやこれから関わるプロジェクトや今まで仕事をしたえらい人やこれから仕事をするえらい人やの話をシャットアウトすることができた。
「じゃ、しばらくはこの支社にいるから」
そろそろアトルの話が終わりそうなことを感じ、センはしおりから意識を引き戻した。そしてある大切なことをたずねた。これだけは聞いておかなければと、メッセージを受け取ったときから決めていたのだ。
「今度ある、新製品パイ試食会って参加する?」
「ああ、それは僕の担当ではないな」
「……? つまり、参加しないってこと?」
「そうだね」
それさえ聞ければ問題ない。「じゃ、今度改めて」という言葉を残し、さっさとした足取りで去っていくアトルの後ろ姿を見送ると、センはドリンクバーからソーダをついで一息に飲み、深い溜息をついた。
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