パイの果てへの旅
パイの果てへの旅-1
メロンスター社のとある研究者の論文によると、『チームランチ』、『会社に子供を連れてくる日』、『四次元卓球大会』、『偉い人の話を聞いた後に脳を洗うためビールを飲む会』などの社員同士の交流を深めるためのイベントに参加した社員は、仕事への貢献率が優位に高く、離職率は任意に低かったとのことだ。著者である研究者はその原因をいくつかの仮説を立てて究明しようとしていたが、どれも決定的な説得力はもたず、仮説の域を出ないというのがレビュワーの評価だった。しかしこの論文に多大な関心をよせた人事は、バーベキューだのハイキングだののイベント開催にいそしむとともに、『偉い人の話を聞いた後脳を洗うためビールを飲む会』の撲滅運動を展開した。この運動は一部の社員から激烈な反発をよび、反撲滅運動の過激派(『反人事の旗のもと万星の従業員よ団結せよ!』をスローガンとしている)と人事との争いは現在に至っても続いている。
理念に共感し過激派に参加しようとしたがおざなりなサンクスメールを受け取ったたけであとは何の闘争に誘われもしないセンの、この手のイベント参加基準はたいへん明快で、『ただで酒が飲めるどうか』だった。ただし、酒を飲みながらビジネス上の何かしらについてさも興味あるふりをしながら喋ったり聞いたりするのはセンの忌み嫌うところだったので、そのようなにおいのするイベント――ビジネス書読書会とか四半期表彰とか気さくな経営陣とお話する会とか――は注意深く避けるようにしていた。
その観点からいうと、今日おしらせのまわってきた『新製品パイ試食会』はなかなか優秀なイベントだった。新製品である何種類かのパイと、それに合わせていくつかの飲み物――軽い酩酊作用のあるものも含む――が会社負担で出るので、一番大事な点はみたされている。会場である第二セミナールームはそこそこ広く、ということは参加者がそれなりに多い、ならばあまり他の社員とこみいった話はせずにすむという美しい論理が成り立つ。センは嬉しい気持ちを込めて『参加』ボタンを押した。 そして他に急ぎの仕事はなかったので、第四書類室にいるシュレッダーロボットたちにロボット向けの配信番組『もやしてあそぼ』(屋内作業用のロボット向けに作られた、ありとあらゆるものを無理やり燃やした上でむやみに物体を急激に酸化させるのはよくないことであるという教訓を伝える教育番組)を見せておいて、センは部屋を出た。
自動販売機で熱い紅茶を買って、地下の第四書類室へ戻ろうとすると、階段への道の途中に何やら人だかりがしていた。横を通ろうとしても、地球人であるセンにはうまく通り抜けられないくらいの隙間しかあいていない。何をしているんだ、と少しばかりのいらだちをおぼえたセンは、人だかりの中に見知った顔を見つけ、踵を返そうとしたが間に合わなかった。
「あ、センさん。すいませんね、今すぐどきますからちょっと待ってください」
コノシメイはそう言ったが、まだ人だかりは解散しそうにない。見ると、何かの撮影をしているようだった。ドローンが何台もホバリングしている。
「今度異動になる人がいて、プレゼント用の動画を撮っているんですよ」
「なんだか本格的ですね」とセンは言った。ドローンとそれにつけられているカメラは、素人目に見てもごつく、単なるホビー用とは思えなかった。
「ときどき開発部で動画とったりストリーミングしたりしてるもので、だんだん機材が揃ってきたんです」
「まだやってたんですか」
「なかなか人気の動画を作るのは難しいんですよね。でも、この前ありとあらゆる動画を学習して、撮ったものを自動で人気のフォーマットにそった動画に編集してくれるソフトを作ったんで、これからは楽できますよ。……あ、そこ、ダンスの向き違います、もう一回」
開発部のメンバーのダンス撮影が終わり、やっと通れるようになると、紙コップの中の紅茶はすでに冷めてしまっていた。
「いやあ、おまたせしました。今度動画お見せしますね」
「いや、大丈夫です」
「遠慮せずに。あ、センさんは異動してないですよね? アドレス変わってないですよね?」
「はあ」
シュレッダーマネージャーの職はそれほど流動的ではない。そのため、センは自分が異動の対象になることは考えていなかった。そして、センは自分以外の異動の情報にも鈍感になっていた。
第四書類室に戻り、ぬるい紅茶をすすりながらメッセージをチェックしたセンは、文面を見るなり紙コップをぐしゃりと握りつぶしてしまった。紅茶の大部分はセンの服にこぼれシミをつくったが、一部が『もやしてあそぼ』の影響をうけたシュレッダーロボットたちが起こした火種を消したので、これは物事にはなんでも複数の視点から評価しなければいけないというよい教訓になった。ただし、この教訓を理解できたものは第四書類室にはだれもいなかった。センは今の所紅茶に気づかない状態だったし、シュレッダーロボットたちは自分たちの試みが妨げられたことに対する悲しみと怒りでいっぱいだったからだ。
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