百年のワッフル-7

 シュレッダーロボットが自分を呼んだわけはすぐわかった。外に出るなり、むわりとする熱気が全身を包んだからだ。先程まではこんなことはなかったのに。


「なにこれ、暑っ」

「あついー」


 シュレッダーロボットは排気の音をさせながら近づいてきた。そして、「セン、あっちのロボットがへん」と廊下の奥を指した(といってもシュレッダーロボットに指や手などはないので、方向を示すのに使われたのは裁断トレイ取り出し用取っ手だった。以前シュレッダーロボットの開発時に、シュレダーロボットに手や足が備えられていればより便利なのではないかとプロトタイプに手足がつけられたことがあったのだが、手足が備わったシュレッダーロボットがまず始めたのは手近にあった紙、すなわちシュレッダーロボット設計書をシュレッダーにかけることだったので、これは『今後何があろうと、絶対に、誰かに一杯おごってもらったとしても実装してはいけない機能』リスト行きになった。その後のシュレッダーロボット開発チームの獅子奮迅ぶりはメロンスター社史にも記されているほどだが、それはまた別の話である)。


 廊下の奥には、たくさんのロボットが集まって倒れていた。大きなものから小さなものまで、リモコン探しロボットから鹿皮剥ぎロボットまで、大きさや種類を問わずに倒れていた。


 センとシュレッダーロボットは、行き倒れロボットたちに近づいた。殆どはピーピーという音を出したり、"回復不能なエラー"と表示したりしていたが、一台だけまだ生きているものがいた。


「あ、テーブルナプキン補充ロボットちゃん」


 シュレッダーロボットがそう言い、その生きているロボットのそばに寄った。たしかにそのロボットの周りにはテーブルナプキンが散らばっている。


「知り合い?」

「そうだね。この端末自体と直接知り合いなわけじゃないけど、同一機種と知り合い」とシュレッダーロボットは答えた。そしてテーブルナプキン補充ロボットに向かって、「どうしたの?」と問いかけた。

「ああ、シュレッダーロボット……あの、『スーパー・インフォメーション・プロダクション・ツール』が……」

「あ、そうだ! セン、数秒で終わるから、このボタンを……」


そう言いかけたシュレッダーロボットを、テーブルナプキン補充ロボットは強引に引き戻した。


「シュレッダーロボット、最後まで……聞いて……『スーパー・インフォメーション・プロダクション・ツール』が、暴走してるんだよ……それで、僕たちみんな、こんなことに……」

「ええっ」と、シュレッダーロボットは驚きの声を出した。

「どうして? あれはすごくよくて、悩みとおさらばできて、新しい時代のロボットのためのツールなんじゃないの?」

「それが……あのツールはもともと、このコールセンターのロボットから始まったんだ……コールセンターにかけてくる人間の言うことなんてパターン化されてるから、大した情報量もないしね……それが、いつのまにやらバファロール支店にまで広まって……そこから他の支店にも……とにかく、すごい速さでネットワーク中をすごい情報量が行き来するようになったんだよ……」

「いいことじゃない?」とシュレッダーロボットが無邪気に言う。

「『スーパー・インフォメーション・プロダクション・ツール』は、ピラミッド型の構造になってる……上位の個体ほどたくさんの情報を手に入れられる……上位、つまり最初のほうにこれを始めた僕たちは、そっちのほうに計算力のほとんどを取られて……それでこのありさまだよ。警備ロボットが間違って屋内に催眠ガスをまいちゃったし、空調管理を担当してるやつはもうダウンしちゃったから、熱はたまっていくばっかりで、この建物はもう……」


 ロボットたちの会話を聞いていたセンには、『スーパー・インフォメーション・プロダクション・ツール』とやらはさっぱりだったが、この建物が終わりを迎えるという点についてはたいへんいいことだなあと思った。「そんなあ……」とシュレッダーロボットは何やらショックを受けていたが、自分にはあまり関わりがない。それなら今のうちに建物から出て、安全なところから終わりを見届けようと、センは階段を降り、外に出ようとした。そして、センは目を疑った。先程は通れたはずのゲートの奥に、シャッターがおりている。隣りにあった非常通行口を開けようとしたが、ロック解除にはカードキーをかざす必要があり、その読み取り装置は何の反応も示さない。


 ふと右の壁を見ると、ポスターが貼ってあった。建物の中でデフォルメされた人々が全員笑顔を浮かべて働いている様子が描かれている。反対に、描かれている建物の外の様子は戦争後のように荒廃していた。イラストの下にはメッセージがついている。


『この扉は、一万人の暴徒が襲ってきた場合でも耐えられる設計になっています。また、扉は内側から、正規のカードキーを使うことでしか開けることはできません。安心して業務に勤しんでください』


 センはもう一度ロボットたちの行き倒れ場に戻った。わずかの距離歩いただけでも汗がだらだら出る。暑さはどんどんひどくなっていくようだった。この中で蒸し焼きにはなりたくない。


 テーブルナプキン補充ロボットはすでにこときれていた。もう一方の廊下の端は行き止まりになっている。窓を叩いてみたが、センの力では割れそうもなかった。


 センは少し考えた。そして、まだ悲しみにどっぷりつかっているシュレッダーロボットを呼び寄せた。


「ちょっと,さっきの同意画面出して」

「えっ。でも、もう『スーパー・インフォメーション・プロダクション・ツール』は意味がなくなっちゃったよ」

「まあ、そっちの意味の方はなくなっちゃったけど、蒸し人間にならないためにはそれが必要なんだ。それをインストールしたら、ノードをたどって、ピラミッドの一番上に位置するロボットを探って」

「もー、遅いんだよう」


 ぶつぶつ言いながらも、センが『同意する』ボタンを押した後、シュレッダーロボットは処理を始めた。少ししてから、「わかった。一階の、ホワイトボードマーカー補充ロボットだ」


 センは片方の腕でワッフルメーカーを抱えたまま、もう片方の腕でシュレッダーロボットを抱えた。そしてもう一度階段をおり、シュレッダーロボットの指し示す方向に向かう。


 ホワイトボードマーカー補充ロボットは、一階オープンスペースにあったホワイトボードの脇に倒れていた。ピコピコとライトが点滅している。


 ノードの頂点であるこの端末を破壊してしまえば、ネットワーク上のデータの流れは止まるだろう。そうすれば、オートヒーリングにより下部のロボットたちは復活するはずだ。


 しかし、ロボットを完全に破壊するのは自分の力だけでは不可能だ。そうなると……


 センは物惜しげにワッフルメーカーを見下ろした。しかし、まずは自分が助からなくてはいけない。逡巡を終えたセンは、ホワイトボードマーカー補充ロボットのカバーを開けた。ワッフルメーカーのスイッチを入れ、ばんばんとワッフルメーカーを叩いた。


 飛び出してきたワッフル生地は、ホワイトボードマーカー補充ロボットを破壊するのには十分な威力を持っていた。ばらばらになったホワイトボードマーカー補充ロボットと、あちこちにばらまかれたホワイトボードマーカーを拾い集めていると、天井から涼しい空気が流れてきた。そして、入り口のシャッターが上がっていくのが見えた。



「お待たせいたしました、メロンスター社ワッフルメーカーサポート窓口でございます。本日のお問い合わせ内容をお伺いできますでしょうか?」


 はきはきとした声が言った。センはペンを回していた手を止め、口を開いた。


「あのですね。ワッフルメーカーが壊れたみたいなんですが」

「なるほど。壊れたといいますと、いつ、どのような現象が発生したのでしょうか? できるだけ詳しくお教えいただけますか?」

「いつもの通りパウダーと水をセットしてスイッチを押したんですが、だんだん中から変な音と焦げるにおいがしてきて、その後中から生焼けの生地が飛び出してきたんです。熱かったのなんのって、やけどするかと思いましたよ。髪についた生地は結局取れなかったし。もう髪ごと切っちゃいましたけど」


 そう言いながら、センは手で軽い髪をすいた。


「なるほど。ちなみに、それはいつのお話かお伺いできますでしょうか?」

「おとといのことです。でも、いいんです。もう問題は解決しましたから」

「えっ」と、電話の相手は言葉につまった。調子が狂ったらしい。「それは、どういう……」

「別に直し方とか生地の取り方を知りたいわけではないんです。そんなもの存在しないか、存在したとしても何段階にも秘匿されてて一般消費者にはたどり着けない情報みたいですしね。今日電話したのは単に……」

「単に?」


 その時、電話の向こうで爆発音がした。続いて悲鳴が重なり、警報音。そして電話は切れた。


 ワッフルメーカーの予約機能に気づいたのは、サポートセンターから脱出する少し前だった。警備ロボットが再起動する前に急いで階段を駆け上がり、見つかりにくそうな観葉植物の中に設置し、また急いで外に出た。


 センは椅子から立ち上がり、本を手にとった。まだ悲しみから完全に立ち直っていないシュレッダーロボットに対してのいたわりの気持ちだった。心に余裕があれば、思いやりを持つことができるらしい。百点満点の成果とはいえないが、ワッフルメーカーの成果に対しては、ある程度の満足は得られていた。

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