若きフルーツケーキの悩み-7

「あなたの入社時のテスト結果は承知していますが」と、エリアマネージャーは腕を組みながら言った。「まさかここまでとは思っていませんでした」


 帽子とエプロンを取った状態で、センはエリアマネージャーの前に座っていた。これ以上はかしこまることができないくらいにかしこまっており、全身の筋肉が緊張しきっていた。翌日がもし存在するならば、あちこちが筋肉痛になっていることだろう。


 現在、センはオープンスペース近くの会議室で、エリアマネージャーによる尋問を受けていた。もしかしたらグループウェア上での予約名は『1on1ミーティング』かなにかになっているかもしれないが、実態は尋問だった。


 しかし、センはエリアマネージャーの名刺は絶対に手放さないぞと心に決めていた。これを返してしまったら、もう明日の試験を突破する手立てはなくなってしまう。


 だから、自分がなぜあのような振る舞いをしたのかについて聞かれたとき、センは


「ついかっとなって」


 とだけ答えた。エリアマネージャーの名刺を得るための芝居でしたというわけにはいかない。


「ついかっとなって、コーヒーショップの制服を着てカートを押してケーキだのコーヒーだのを配った上に自分はコーヒーチェーンの社員であると詐称するんですか?」

「はい」

「わざわざ偽の名刺まで作ったのも?」

「はい。なぜかはわからないのですがとてもそうしたいという気持ちになりまして」

「……なるほど」


 エリアマネージャーはぽちぽちと自分の端末を操作した。間もなく、会議室のドアがノックされ、ロボットが入ってきた。背丈はちょうどデスクとおなじくらいで、あちこちからチューブが生えている。


「これはメンタルスコアを測定するための装置です。スコアが五百未満ならば規定で『危機的な状態』としてカウンセリングもしくは電気療法の対象になり、あなたのさきほどの振る舞いにも情状酌量の余地が生まれますが、それ以上ならば社内の監査室にこの案件を回さなければなりません。通常の人間なら、スコアは千からそれ以上となります」

「え」


 ロボットはかしこまりきったセンに近づいてきて、チューブの一つを伸ばした。先にはいくつもの細い針がついている。ロボットはまったく躊躇せずに、その針をぶすりとセンの腕に刺した。


「いたたた」


 そう悲鳴をあげながら、センの頭の中はぐるぐると忙しく回っていた。監査室に回されたら、今日の足取りを逐一調べられ、名刺目当ての犯行ということがバレてしまう。ドゥルとの関わりや、ビジネスカードバトラーズや、試験のことまで顕になったら、どんな処分が下るのか。減俸ならまだいいほうで、失職か、最悪なら死者課への異動までありうる。試験がなくなるというなら嬉しいが、試験どころでなくなるというのはあまりありがたい状況ではない。


「あの。このメンタルスコアって、どうやって測定するんですか」

「血中の化学物質濃度と脳の状態を測定し、各人種の正常パターンと照合します」

「それじゃ、あの……こう……誤検知とか、一時的に数値がブレちゃうこともあるんじゃないですか? もっと慎重にやったほうが……」

「問題ありません。精度はセブンナイン、すなわち99.99999%が保証されています。もし残りの0.00001%に引っかかったのなら、隕石に当たって死ぬよりレアな事象に遭遇するのですから、とても運がいいということです。よかったですね」

「ちなみに……何を根拠に『スコアが低い』と判定されるのですか? 血中酸素濃度とかですか?」


 もし血中酸素濃度が問題なのなら、今すぐ肺の中の空気を思い切り吐いてできるかぎり息を止めていよう、とセンは考えた。


「血中酸素濃度ではありません。先程も言ったとおり、たいていの人種では化学物質濃度と脳の状態を判定に使います。おそらく地球人でもそうでしょう。この値は継続的な精神状態を判定するものなので、今何かしたからといって結果が左右されるようなことはありません」


 悲しい気持ちでセンはそのエリアマネージャーの言葉を聞いた。断頭台に上った気分だった。ただし断頭台に上がるはめになったのは王や貴族であったことが理由というわけではないから、断頭台上で順番を待っている他の面々とも親しくなれなそうだった。そんな中、せめてもの抵抗でセンはやっぱり息を止めていた。


 しかし、センが息を止めている時間はそう長くは続かなかった。


「さて、結果が出ましたね」


 ロボットが吐き出したレシートのような紙を切り取り、エリアマネージャーはそれを眺めた。短い時間だったのかもしれないが、センにとってはおそろしく長い時間に思えた。真上で斜めの刃が首を落とそうときらきらきらめいている。


「……なるほど」


 エリアマネージャーは結果の記された紙を机の上に置いた。


「……えーと……」

「……初回のカウンセリングは私のほうで手配しておきます」


 それだけ言い残すと、エリアマネージャーを会議室を後にした。全身のかしこまりをようやく解いたセンが首をのばして検査結果の紙を覗き込むと、そこには『42』という数値が記されていた。




『初代ビジネスカードバトラーズチャンピオン』とでかでか入っているプレートを、ドゥルは大切そうに柔らかい布でふいていた。


「それ、家に飾らないんですか?」

「ああ、家だと子供のおもちゃにされちまうんでね。それに会社のほうが価値を理解してくれる仲間が多いし」


 フリースペースに置いてあった椅子を勝手に持ってきて、センはドゥルの席の横に座っていた。ふかれたプレートはぴかぴかと光を反射している。


「エリアマネージャーの名刺、どうでした?」

「すごかったよ。大抵の相手は一撃で倒せた。ああ、準決勝でアンタレス・バンクの社長の名刺を相手が出してきたんだけど、ほらあそこ、小惑星一個をまるごと金庫にしてることで有名だろ、『絶対金庫番』ってスキルですべての攻撃を受け流してさ。そのときだけだな、防がれたのは。でもその時はこっちの『決定権のある人と話させてください』で相手プレイヤーのライフポイントを直接削れたし、楽勝だったよ。まあやっぱり禁止カードになっちまったけど、当初の目的は果たせたし。ああ、そっちの試験はどうだった?」

「おかげさまで、なんとか。ぎりぎりでしたけど」

「そりゃよかった。にしても、何だか顔色が悪くないか。いや、俺は地球人の顔色には詳しくないけど、なんだか手の色と顔の色が違うからさ。そういうもんなのか?」

「いや、そんなことは……」センは言いかけて、別の言葉を口に出した。「……あの。私、変に見えますか?」

「変? 変って?」

「こう……精神的に問題があるように見えますか?」

「うーん……」


 ドゥルはセンをまじまじと見つめた。


「どうだろう。俺は地球人の精神にも詳しくないからなあ。気になるんだったらカウンセリングでも受けたらどうだ?」

「ああ、ちょうど今から行くんです」

「そりゃいい。さっきの疑問はカウンセラーに聞いてみなよ。そっちのほうが適切な答えが返ってくるだろ」

「そうします」


 時計を見ると、予約五分前になっていた。センはエレベーターホールで下階行きのボタンを押した。扉に反射する自分の顔は見慣れたものだったし、その目も見慣れたものだったし、目の奥にある精神も慣れているものだった。自分ではどこに問題があるとも思っていなかったし、スコアによって助かったのだが、気分は複雑だった。せめて自分だけでも自分の精神の助けになってやろうと思い、センはやってきたエレベーターに乗り込んだ。

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