若きフルーツケーキの悩み-6
「よし、今だ! いけ!」
ドゥルの合図で、センは柱の陰から出た。ごろごろとカートを押し、頭にはキャップをかぶり、服の上からカフェテリアに入っているコーヒーショップのエプロンをつけている。顔にはぐるぐるに包帯をまきつけてあった。全体として、封印がとけて復活したミイラが墓荒らしを呪い殺した後、現代に適応するためコーヒーショップでアルバイトを始めたふうに見える。
「どうも、コーヒーとケーキを届けに来ました。こちらでよろしいですか?」
ミーティング中のスペースに入っていったセンは、コーヒーショップの店員を装って声をかけた。疲れた顔の社員たちは切に休憩を欲していたらしく、皆が勢いよく頷く、もしくは類似の同意を示すジェスチャーを返してきた。カートに載せていたポットから紙コップにコーヒーをついでは配り、そこここにフルーツケーキのうす切れやドーナツを乗せたトレイを置いた。すぐにあちこちから手が伸びてくる。
一通りコーヒーと甘い物を配り、あたりの空気がゆるんだところで、センは改めてトレイを一つ手に取り、エリアマネージャーに近づいた。エリアマネージャーは椅子の背にもたれ、コーヒーを少しずつ飲んでいる。
「どうぞ、ケーキです」
「ああ、ありがとうございます」
エリアマネージャーがケーキを一切れ口に入れ、飲み込んだところを見計らって、センはもう一度声をかけた。
「あの、実は今日から担当が代わりまして。私が新しい社内コーヒー配達担当となります」
そう言いながら、センは名刺を差し出した。『オフィスコーヒー社 カイホ・タイス』と印刷されている。
社外の人間になりすまし、エリアマネージャーと名刺交換をする。それがセンのプランだった。まず、カフェテリアの調理場を借りてコーヒーとドーナツ、それにフルーツケーキを作った。ケーキを焼いている間に庶務の印刷機をこっそり使い、偽造したデータを使って名刺を印刷(印刷する時に部数を『10』にセットしたのだが、単位が『万枚』となっているのに気が付かず、結果として印刷室の床じゅうが偽の名刺びたしになった。運良く近くにシュレッダーロボットがうろついていたので、なんとか他の社員に事態を目撃されずに済んだ)。できたてホヤホヤの偽名刺を持って帰る途中で医務室に寄り、変装用の包帯をひとつ手に入れた。カフェテリアの店員からエプロンとカートとキャップを借り、ポットとドーナツやケーキを乗せ、仕上げに顔にぐるぐると包帯を巻き、そしてここまでやってきた。
「そうですか。だからですか? いつもとコーヒーとケーキの味が違うのは」
「あ、は、はい。今試行錯誤中でした。顧客エンゲージメントは大切ですからね」
緊張のあまりわけのわからないことを口走りながら、センはエリアマネージャーが早く名刺を受け取ってくれるようにと祈っていた。手がぷるぷると震える。
「いつものより今日のもののほうがいいようですね。ぜひ続けてください。御社が出店しているのはここの支社だけでしたっけ?」
「ええそうです」実際にそうかどうかは知らなかったが、センは会話をなめらかにポジティブに進めるためならどんなでまかせでも口にしようと決めていた。
「なるほど。他の支店への出店をリクエストすることはできますか?」
「ええもちろん。というか、ご連絡先をいただければ、そちらに詳細な資料をお送りできますので」
はやく受け取ってくれ、とセンは心の中で叫んだ。
「なるほど。ではこれが私の……」
そう言いながら、エリアマネージャーはポケットから高級そうな、たぶんセンの一ヶ月分の給料より高価なのであろうケースを取り出した。そして蓋を開け、中から一枚の、センが手に入れることを熱望しているところの、四角くて小さい、しっかりとした材質の、氏名と役職の印刷された紙を取り出した。
「ではここに送ってください」
「はい! いただきます!」
必要以上に大きな声が出てしまったが、確かにセンはエリアマネージャーと名刺交換をした。ちらと目線を横にやると、ドゥルがガッツポーズして尾が柱にぶつかっているのが見えた。
「では、私はこれで……」
一刻も早く立ち去ろう(そしてオフィスコーヒー社に後日問い合わせがいくかもしれないがそれは彼らになんとかしてもらおう)と、センはそそくさと空いたポットやトレイをカートに乗せた。ごろごろとカートが走り始めた。
あとちょっと、エレベーターにたどり着けば。センがそう視界もせばまるほどに思っていると、横から声がした。馴染みの深い、甲高い声だった。
「センー」
センは聞こえないふりをした。
「センー。何してるの。まってよ。センが部屋にいない間に他の人がきて、健康診断のジゼンモンシンヒョーで入力漏れがあったんだってさ。身体のタンパク質の三次構造と四次構造を教えてほしいんだって。ねえ、わざわざ来てあげたんだから感謝の言葉を口に出してよ」
そう言いながら、シュレッダーロボットはカートの前に立ちふさがった。センは後ろに何か恐ろしいものがあるのを知っていた。そして知っていながら、恐ろしすぎて振り返ることはできなかった。
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