若きフルーツケーキの悩み-5

「……というわけで、来期はこの層をターゲットとして……」

「何が『というわけ』なんですか? 分析が上っ面すぎます。想定顧客にインタビューは行いましたか? それに、ターゲットがそれだと潜在顧客数が、当初の想定より少なくなってしまうでしょう。やり直しです」


 オープンスペースで行われているミーティングを、センとドゥルは柱に隠れて遠巻きから眺めていた。服装などからして、発言者たちはなかなか高い役職についているのだろうが、次から次へとエリアマネージャーの容赦ない発言に打ち倒されていく。


 エリアマネージャーは銀河B地区を統括している。これは銀河を四分割した中の一つを指す呼称であり、エリアマネージャーはそのトップに位置している。ということは、センとくらべて少なくとも四百七十三は上の役職ということだった。ビジネスカードバトラーズでは大したモンスターが生成されることだろう。見た目はハイスクールに通う少女といったところなのに、その恐ろしさは従業員一同の共通認識となっている。


 しかしながら、センはこのエリアマネージャーに強い忌避感を抱いていた。


「やっぱり……やめませんか。他の人の名刺にしましょうよ。支社長のとか」

「いや、それはできないよ」とドゥルは言下にはねのけた。「ビジネスカードバトラーズ大会で、俺は優勝したいんだ。記念すべき第一回大会だから、そこで勝ったら『初代チャンピオン』として永遠に名が残るわけさ。そのためにはどうしても、エリアマネージャーの名刺がほしい。たぶん二回目以降には禁止カードになるだろうし、今がチャンスなんだ」


 ドゥルの力説に、センは長々とため息をついた。


「私、あの人に関わっていいことがあったためしがないんですよ。ブラックホールには巻き込まれかけるし、革命には巻き込まれるし、知らないうちに世界を踏み外してるし……」

「気にするな、たいていの社員はあの人に関わるとろくなことが起きない」


 何の慰めにもならないドゥルの言葉に、センの心はますます重くなった。


「でも……いちおう同じ会社の社員なのに、名刺を求めるっていうのは変ですよね」

「それはそうだ」

「意図がバレたら大変なことになりそう。何かいい案はありますか?」

「いくつか考えたんだが、すべての案で最終的に人事処分に行き着いた」


 と、ドゥルはきっぱりと言い切った。


「……つまり、まったくのノープランということですね」

「いや、違う。複数の間違った選択肢を潰しておいた」

「なるほど」センは口だけで相槌を打った。ということは、自分自身でエリアマネージャーの名刺を手に入れる方法を考えなければいけないということだ。もし失敗すれば、あまり考えたくないような結果が待っている。勉強をさぼったツケとしては、過去最大級のものといえた。今までの勉強をさぼったツケの中で一番大きかったのは、プロキオン星系の方言の授業をきちんと聞いていなかったせいで、『こいぬコーヒー店にいくにはあの道を右に曲がればいいですか?』を『あの道を右に曲がったところに子犬のようなアメーバがいます』と言ってしまい、警察、保健所、軍の防疫部隊を出動させる騒ぎを起こしてしまったことだった。しかも誤報ということがわかってからはあやうく億単位の賠償金を請求されかけ、賠償金の代わりとして防疫部隊によくわからないカプセルやよくわからない粉やよくわからない液体を飲ませられて反応を観察され、その後数カ月は息が紫色になってしまった。そして目当てだったこいぬコーヒー店には、『息が紫色の方は入店をお断りしています』という理由で訪れることができなかった。せめて青か赤になるようにしてくれればよかったのに、と当時センはおおいに恨んだものだ。


「じゃあ……そうですね。こういうのはどうですか。エリアマネージャーが社外の人と会って名刺交換をした後、その交換相手の後をつけ、なんとか言い繕って名刺を渡してもらう」

「それは考えたんだが、どうも今日はもうエリアマネージャーは社外の人間に会う予定がないみたいんなんだ。この支社に来たのも、このあたりの支社の人間とのミーティングをまとめて済ませるためで、今やってるあれが終わったらもう帰ってしまうらしい」

「早く帰ってほしいものですね」と、センは本音を漏らした。可能な限り早く銀河B地区の統括本部に帰ってほしいし、その前に一枚はらりと名刺を落としていってほしい。


「でもそれがだめなら……あ、そうだ。名刺データを探して、勝手に印刷してしまうのはどうですか? 庶務には印刷機があるはずですよ。一秒に六百万枚刷れるやつ。ほんとうに六百万枚刷ると名刺洪水が発生してそのフロアが名刺びたしになりますけどね」

「名刺データは厳重なセキュリティで保護されている。不正にアクセスしようものなら、嬉々として社内の情報セキュリティチームがやってきて、嬉々として人事部に連れて行ってくれるさ」

「じゃあやめましょう。そうしたら……」


 その後もセンはいくつかの案を出したが、そのどれもが成功の望み薄だった。アイデアがもう出てこなくなり、喉も乾いたので、二人はいったんカフェテリアへ場所を移した。センはコーヒーだけを買い、ドゥルは一緒に高めのケーキを買った。自分の分もおごってくれないかなとセンはかすかに期待したが、その期待はセンがするたいていの期待と同じ末路を辿った。つまりは叶う気配すら無く静かに消えていった。儚い命だった。


「……あのミーティングって、いつまで続くんですか?」


 せめてと大量に砂糖を入れたコーヒーを啜りながら、センはドゥルにたずねた。ドゥルは一口にケーキを頬張り、飲み込んでから口を開いた。


「あの場所の予定を見る限り、あと五時間ってとこだな。お偉いさんの会議は長いね」


 ドゥルは空中投影したグループウェアの画面を見ながら答えた。


「なるほど……」


 センはまた一口コーヒーを飲んだ。その時、ふとセンの頭に一つの策が浮かんだ。考えれば考える程いい案に思えた。なぜなら、自分が睡眠不足であり、追い詰められて判断力が鈍っていることにセンは気づいていなかったからだ。

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