チョコスプレッドの果てへの旅-6

 防御システム担当者が素早くしかも芸術的なコードを書き、インフラ担当者がサーバー数をズパイニア大爆発(アダーラ星系の惑星Ve-PUで七億三千万年前に突如として遺伝子の爆発的多様化が発生した現象のことを言う。それまでV8-C8には温泉の周りでのんびりと生きる単細胞生物しかいなかったのが、ズパイニア大爆発の後には藻だの貝だの虫だのが突如として現れた。これらが現生のVe-PUの生物の祖先となっているのだが、この祖先の習性は細い遺伝子の筋を通って子孫にも脈々と受け継がれたようで、Ve-PUでは温泉が非常に重要な資源として扱われている。知的生命体が発生してからこの温泉資源を巡って数限りない戦争が繰り広げられてきたし、Ve-PUの現代憲法には温泉権についての条項が存在しているし、裏温泉を資金源とした反社会的勢力同士の抗争が社会問題となっていて、脱法湯の花や脱法温泉まんじゅうを規制する法律が現在国会で審議されている)もかくやという勢いで増やしまくったため、ニューレリジョンサービスの負荷は落ち着き、サービス可用性に悪影響が出ることはなかった。


 ニューレリジョンサービスのチームはもちろん大いなる謝意を表明したし、コノシメイは防御システムのコントリビューターに特別にセンの名前を入れてくれた。ニューレリジョンサービスが社内の賞(新しく出来たサービスのうち、うまくいっていて死者が出ていないものに対して与えられる賞)を受賞したので、そのお祝いのケーキも一切れ持ってきてくれた。


 しかしそれらは、センの精神状態にたいしていい影響は与えなかった。貢献者リストに乗ったりケーキを貰ったりしたって、自分のかわいいアヒルがそばにいなければ誰が喜ぶことができようか。たとえそのアヒルがゴムだろうとしても。第一、彼らは必死に抵抗するセンから半ば無理やりアヒルちゃんを奪ったのだ。


 この数週間のセンの気分は底を打っていた。ふと、何かが足りないような気分に襲われる。程なくしてアヒルの不在を思い出す。落ち込む。この繰り返しだった。


 センとてこの繰り返しを止めようとはしていた。お酒を飲んでみたが、いつものように美味しくなかった。身体を動かしてみたらどうかとランニングをしてみたが、足を痛めてやめた。新しいゴムのアヒルを買おうともしてみたが、どうしても購入ボタンを押せなかった。


 結局、センは週に二回のオンラインカウンセリングを受けることにした。これはゴムのアヒルメーカーがアフターサービスの一貫として行っているもので、何らかの理由でゴムのアヒルと離れ離れになってしまったユーザー向けに、その痛みを乗り越える手助けをしてくれるのだった。


 今日は夜にそのカウンセリングの予約を入れてある。センは就業時間が終わると、そそくさと机の周りを片付けた。日報を送信し、カバンを持って立ち上がる。


「セン」


 第四書類室を出ていこうとしたところで、センは一台のシュレッダーロボットに呼び止められた。落ち込んでいるとはいえ、業務のシュレッダーロボットのメンテナンスは怠っていない。だいたいシュレッダーロボットたちは何でも自分たちでやるのが好きなので、センにわざわざ声をかけてくるのはたいてい面倒な事態が発生していることを意味する。センは「何?」と時間を気にしながら答えた。


「これあげる」


 シュレッダーロボットは何かをセンに手渡し、そのまま部屋の隅へ消えていった。手の中を見ると、それは紙を丸めたものだった。黒い紙を小さく丸く切ったものがのりでべとべとにはりつけてある。二つあるのでどうやらそれが目のようだった。しかもその上から蛍光ペンかなにかで全体を黄色に塗ってある。塗り方は雑で、むらになっていないところのほうが少なかった。


 紙と見ればすぐ細断したがるシュレッダーロボットが、こんなものを作るのは珍しかった。センはそれをしばらく眺め、丁寧にハンカチで包み、カバンに入れてから部屋を出た。

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