チョコスプレッドの果てへの旅-5
「どうしました?」
来客用ミーティングルームからぱたぱたと出てきたコノシメイは、壁のモニターを見上げた。しばらくそれを眺めた上で、コノシメイはセンを向いて「まずいです」と言った。
このフロアがまずくなかった時などこのフロアが使われ始める前に遡らないと無かったのではないかとセンは思ったのだが、「どうしたんですか?」と習慣上および儀礼上聞き返した。
「ニューレリジョンサービスが攻撃を受けてます」
「攻撃?」
「ええ。教義コントロールサービスのサーバーの負荷が急激に上がっています。しかし我々は既知の攻撃に対しては多層防御のシステムを構築しているのですが……何だろう……いや、まずはメンバーを集めないと」
コノシメイはデスクの下からごろごろと3Dプロジェクターを取り出し、空きスペースに広げた。その間にフロアのそこかしこから何人かの開発部社員が集まってきた。プロジェクターがこれまた何人かの開発部社員のアバターを投影し、その場で緊急のミーティングが始まった。センはといえば、なるべくここから早く離れられますようにと祈りながら隅の目立たないところで身を縮め、宇宙船に乗った時に必ず見せられるもし宇宙船が事故を起こした時座席で取るべき体位について解説した動画を思い出そうとしていた。
「監視チームのほうからは何か上がってますか?」
「原因は不明です。ただアラート発生後のログとメトリクスがきてます」
「なら、技術チームの一部はそっちの解析にあたるので。他は負荷対策で」
「サポートチームで一次アナウンス出すよ」
仕事を進める開発部の社員たちとは裏腹に、センは『これから墜落しますので、衝撃に備えてください。なおトイレの使用は墜落までできませんのでご了承ください』と言われた宇宙船の乗客のような気持ちだった。警報音は鳴り止まないし、周囲は知らない人間――その上開発部の社員――ばかりだし、空中を飛んでいた作りかけのロボットは警報音に驚いて床に落ちた壊れかけのロボットになっている。
そこらに落ちていた無駄紙の裏に書く遺書の文面を考えていたセンは、いざ書き始めようとしてペンがあたりに無いことに気がついた。今の状況から気をそらす手段がなくなって、センはほとんど泣きそうになった。
「セン」
呼びかけられ、センは顔をあげて辺りを見回した。しかし自分に話しかけているような人間は見当たらない。
「セン」
もう一度声をかけられた。親しみをこめた、心の落ち着く声だった。センはあちこちを見回して、最終的に手の中のゴムのアヒルを見出した。
「セン、落ち着いて」
「キイロアヒルちゃん……?」
「そうだよ。セン、落ち着いて。ぼくが一緒にいるから」
「ありがとう」センは心からそう言った。危機的な状況で、自分に寄り添ってくれるものがいることがこんなにありがたいとは。
「きっとだいじょうぶだよ。すぐすむさ」
「うん」
「それまでぼくとおしゃべりしてよう」
「うん、うん」
センはゴムのアヒルと会話を続けた。ゴムのアヒルは優しく、思いやりがあり、良識的だった。そのどれもがメロンスター社で見つけるのが難しいものだったため、センの心はそれらを乾季の土の水に対する態度のようなやり方で吸収した。そして、このゴムのアヒルを買ってほんとうによかったと思った。
センが心温まるやりとりに没頭している間、開発部の社員は着々と仕事を進めていた。
「わかった。ここだ。この宗教ポリシー検証サーバーとのやりとりに使ってるところに対して外部から大量のレスポンスが送られてる」
「直せる?」
「直せる。前段の防御システムに未知の相手からのレスポンスを破棄する仕組みを入れて、サーバー数を増大させよう。ただ仕組みを書くのが……」
「書くのが?」
「防御システムについては彼がエキスパートなんだが」と、技術チームのリーダーが傍らの社員を指した。「彼のパフォーマンスは今ちょっとよくないんだ」
「どうして?」と監視チームの一人が尋ねる。
「彼は話しながらじゃないとうまくコードを書けないんだ。昔からそうしてるから癖になってて」
「いいじゃない。聞くよ」
「それが、話し相手はゴムのアヒルじゃないとだめなんだよ。昔からの習慣とかでね。でも彼の吐息にはゴムを腐食させる成分が含まれてて、それで今ゴムのアヒルの在庫を使い切っちゃってるんだ。どこかにゴムのアヒルが転がってるといいんだが、ゴムのアヒルは今手に入れにくくなってるし、どうしたものか……」
それを聞いた開発部の社員たちは、きょろきょろと辺りを見回した。
「コーヒーはいやかな。水のほうがいいよ」
「あはは、ごめんね」とセンはおしゃべりを続けていた。
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