チョコスプレッドの果てへの旅-4
「ああ、ここで『自分を信者に含める』にチェックを入れてるでしょう。これを外してデプロイし直せば大丈夫ですよ」
コノシメイはそう言いながら画面を操作し、『デプロイ』のボタンを押した。少しばかりして『完了』が表示され、管理画面は『信者数:0』と変わった。
「自分を信者に含めるがデフォルトになってるんですね」
「そうですね。自分の教えに自分自身が服するのは当たり前かと思いまして。あ、でも、例えば信者に清貧を義務付けておいて自分は寄付金で豪奢な生活を送るってこともできますよ。そういうときはこのチェックを外してもらえれば」
「なんでその用途を想定しちゃったんです?」
センは机の上のゴムのアヒルをなでながらたずねた。コノシメイにニューレリジョンサービスについて教わり、自分を信者から外して貰うために開発部へやってきていた。生身で開発部に来るのには危険と不安が伴うので、せめてものお守りにゴムのアヒルを連れてきたのだった。周囲を見慣れないものと見慣れてはいるが見慣れない用途に使われているものに囲まれていると、黄色いゴムのアヒルが心安く接することのできる唯一の同胞のように思えてきた。
「でも、このサービスはなかなか調子がいいんですよ。利用者数もどんどん増えていて、この勢いでいけば一年後には二億デネブの利益が出そうです」
「そんなに」
先ほどの昼休みに、今ここに一デネブあればサシミ丼をお腹いっぱい食べた上にアイスクリームとキャンディーバーも買えるのになあと十分の一デネブしか入っていない財布を見ながら考えていたセンには、二億デネブというのは途方もない金額に思えた(結局十分の一では一枚の食パンとチョコスプレッドしか買えなかったので、センは容器にスプレッドを一粒子も残さないようにスプレッドナイフで剥り取った)。
「とにかく、ありがとうございました。じゃあ、これで……」
「ちょっと待って下さい。せっかくサービスを利用し始めたんですから、もっと使い込んでみませんか? きっと楽しいですよ。オリジナルの数珠とか天鏡器とか聖画とかつくってみませんか?」
「いや、いいです。なんですか天鏡器って」
「天鏡器っていうのはこのくらいの」とコノシメイは両手で大きさを示した。「鏡なんですけどね、裏に宗教的な彫刻がしてあって、金属でできているんです。主に天体信仰の宗教で使われていて、陽光を反射させることで神たる天体の威光をあらわすんです。興味ありますか? そうしたらまずDOCに信仰対象の項目を追加してもらって……」
「コノシメイー、お客さまー」
開発部の社員が遠くからコノシメイを呼んだ。
「あ、忘れてた。すいません、すぐ済むと思うので少し待っててください、天鏡器つくりましょうね」
コノシメイはぱたぱたと机の上の書類とペンをまとめ、奥の部屋へ向かった。と、一旦引き返してきてセンの前に紙コップを置いた。
「コーヒーでも飲んでてください」
コノシメイの姿が奥の部屋に消えると、センは置かれた紙コップの中身を少し床にこぼし、床がとけないことを確かめてから口に運んだ。この隙に帰ろうかとも思ったが、開発部フロアの構造を熟知している人間無しにエレベーターホールまで無事辿り着ける自信がなかったので、大人しくコノシメイの帰りを待つことにした。
あたりの様子を眺めていると、空中を作りかけのロボットが飛び、それを手に工具を持った人間が追い、それを手に経費申請書を持った人間が追っている。その横には何人かが固まってセンには石ころにしかみえないものの様子を真剣に眺めており、壁にかけられた大型モニターには赤だの黒だの緑だので色々な数字とグラフが表示されている。さらにその奥にはいかにも面白そうに知的な会話を楽しむ人間がおり、その相手をしている観葉植物が葉を揺らしている。センはひどく心細くなって、ゴムのアヒルをぎゅっと握りしめた。
その時、部屋中に警報音が鳴り響いた。中央に置かれた赤いランプが点滅し、壁のモニターには警告メッセージが表示された。センは驚いて飛び上がった。開発部の社員たちもあたりを見回し、原因をたずねあっている。
「アヒルちゃん」
センはもう一度手の中のアヒルを握りしめた。ゴムのアヒルの感触だけが、センにとって身近なものだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます