チョコスプレッドの果てへの旅-2

「キイロアヒルちゃん」


 ゴムのアヒルを、センは第四書類室にまで連れてきていた。机の隅に乗せて声をかけてみる。『あなたの行くところどこでも連れて行ってあげましょう。アヒルちゃんにたくさんの経験をさせてあげて、一緒に思い出を作りましょう』という説明書の文言を実践しているのだった。しかしセンの呼びかけにもアヒルは沈黙を貫いている。ゴムのアヒルが喋るはずもないのだが、あんなに皆が熱狂しているのだから、何かしらの反応があってもよいのではないかと思っていた。


「わー」

「わー」

「わー……」


 シュレッダーロボットたちはそんなセンの姿を見て、いつもの場所より機体二個分の距離を置いている。『遠巻きにしている』を表現するとこうなるといういい見本だった。


「あのね、違うから。君らの考えているのとは違うから。私はただ……」

「そういう人はみんなそう言うよ」


 シュレッダーロボットのうちの一台がそう言い、全台がさーっと持ち場へ散っていった。今日は休みのはずのロボットもどこかしらへ行ってしまった。TY-ROUさえ机の下に隠れている。


 センはゴムのアヒルを見つめた。プリントされたアヒルの目は、ここではないどこかを見ているようだった。



「どうだい」

 センは三十一階のリフレッシュルームに来ていた。窓際の席に陣取り、ゴムのアヒルに外を眺めさせてやる。今日はよく晴れていて遠くの山もよく見える。しかしその良い景色にも、ゴムのアヒルは何ら反応を示すことはなかった。相変わらずの目をしている。


「うーん……」


 センはドリンクバーから取ってきたコーヒーを啜った。ふと思いついて、ゴムのアヒルをコーヒーに浮かべてみた。その結果、ゴムのアヒルがコーヒーに浮かんだ。それ以上でもそれ以下でもなかった。


「こんにちは」

「うわあ」


 紙コップの中をじっと見つめていたので、センは後ろの人物に声をかけられるまで気づかなかった。振り向くとそこにはコノシメイが立っていた。


「どうもどうも。今時間あります? ほんのちょっとだけ」

「モニターの類は間に合ってますよ」

「いや違うんですよ。この後新製品についてのちょっとしたプレゼンがありまして。あんまり普段プレゼンってしないんで、ここで練習するから聞いてもらえませんか?」

「私その新製品を知らないですよ」

「大丈夫です、知らない人向けのプレゼンなんで。むしろ何かわからないところがあったら色々言ってもらえれば」


 コノシメイはセンの横に座ってごそごそと携帯用モニターを広げ、そこにスライドを映し出した。『MI New Religion Service』というタイトルが出ている。


「じゃ、始めますね……えー、皆さんこんにちは。私はコノシメイ、メロンスター社の開発部に所属しています。今日は新製品のニューレリジョンサービスを紹介します」


 そこでスライドが切り替わった。次のページは『ニューレリジョンサービスとは?』という一文と、ハテナマークを頭に浮かべた人物イラストだった。


「ニューレリジョンサービスとは、まったく新しい、画期的な宗教サービスです」

「宗教」

「ええ、宗教サービスです」


 そこでまたスライドが切り替わる。いくつかの宗教的アイコンが載っていた。


「既存の宗教には、皆さんご存知の通り、たくさんの――本当にたくさんの――問題がありました。まず、経年による教義のアナクロ化。例えば、昔は生きた羊を捧げるのは理にかなった儀式だったのでしょうが、現代で生きた羊を捧げるにはずいぶん面倒な手続きを踏まなければいけませんよね。ちょっと想像してみてください、あなたが『一週間後に羊を神殿で屠るからその準備をして』と言われたときにどれだけのことをしなければいけないのか」


 センは想像してみた。牧場への問い合わせ、生きた羊を何に使うのかと聞かれた時にうまくごまかすやり方、羊を期日まで繋げておく場所の確保、動物愛護団体の抗議をかわす方法。考えただけで棄教したくなった。


「また、教義が科学の成果を取り入れられないという問題もあります。例えばメトラ教では羊の肉を食べてはいけないとしていますが、その理由は教義が作られた時代に羊にある種の病気が流行しており、食べると人間もそれに感染することがあったためと今では判明しています。現代ではその病気は根絶されていますから、この部分は無意味なものになってしまっているわけですね」

「ふうん」

「また、教義の解釈の違いにより争いが起こるという問題もあります。皆さんも歴史の授業でやったでしょう、『アリナスーカの戦いは何年に起こったか、またその要因は何か』。前者の答えは千十五年で、後者の答えは『夜に起きて叫べ』という聖典の文言を真に受けた第二王子が毎夜毎夜奇声を上げるために第一王子が睡眠を妨害されたためですよね。アリナスーカの戦いは聖典の文言をありのままに解釈し実行してはならないという実例なわけですが、しかしそのためには解釈がなくてはならず、解釈というのは十人十色なものです」


 ここでまた次のスライド。中央に置かれたサービスアイコンがよく目立つ。


「このような問題を解決するために、我々がリリースしたのがニューレリジョンサービスです。サービスのコアは三つ。まず、フルマネージド型の教義コントロールサービス。これにより、非常に安全かつスケーラブルなリポジトリを簡単に作成できます。つまり、バージョン管理により、教義の変更、更新、修正が容易となります」

「は?」

「次はこの教義ビルドサービス。教義を元に自動で必要な像、宗教画、数珠、その他を生成します。今までのような手動での更新は必要ありません。教義の更新を検知すると自動でビルドが行われるので、リリースまでの時間を短縮できます」

「え?」

「最後はこの、教義デプロイサービス。教義の新しいバージョンが出来た後、それを全世界――もしかしたら全銀河――へデプロイするのは容易ではありません。しかしこのサービスを利用することにより、お客様は教義の複雑なアップデート処理、教義デプロイ中の解釈違いによる争いの回避、新教義の迅速なリリースが容易になります。過去の教義に固執する信者の説得や、紙の経典の書き換えなどもおまかせください」


 コノシメイはその後、このサービスのユースケース(既存の教義が気に入らなかったので、ニューレリジョンサービスを利用して既存の教義をフォークし、気に入らない部分を書き直して新しい宗教を立ち上げた結果、現在は信者を三百万人集めるまでになったとか、バージョン管理システムを利用して解釈違いを修正して銀河中の信者に平和が訪れたとか)と利用料金まで紹介してプレゼンを締めくくった。


「どうでした? わかりづらいところなどありましたか?」


 満足気に尋ねるコノシメイに、センはとりあえず「全体的にわからなかったです」と答えた。

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