マカロンの末裔-3
「よおーし! 終わった! 勝利!」
センは資料をやっとのことで作り終えると、立ち上がってううんと伸びをした。外はもう暗くなっていて、リフレッシュルームには仕事を終えた社員が集まってきていた。
資料を送信し、センは一旦第四書類室に戻った。あれほど騒いでいたロボットたちはどこかへ行ってしまい、第四書類室の中はしんとしている。机の上には『さがさないでください』と書かれた紙があった。端っこがボロボロになっているのは誰かがつい裁断してしまったのだろう。ロボットたちが『じっかにかえらせていただきます』だの『おひまをいただきます』だのと書き置きをしてどこかへ行ってしまうのは前にも何度かあったことで、翌朝になればたいてい部屋の隅で充電しながらスリープモードになっているところが見られたし、またもしも帰って来なくても会社じゅうをくまなく探せば見つけることができた。それでセンはそう心配もせず、いつものとおりに帰り支度をした。
今日はずいぶん根を詰めて仕事をしたから、どこかで一杯やってリラックスする必要があるとセンは考えた。そうしないとストレスが溜まって病気になってしまうかもしれない。そうなったらまずい薬を高い金を出して買う必要がある。ならば今おいしいお酒をカジュアルな値段で摂取するのが賢い選択というものだ。センは会社の近くのバーへふらふらと入っていった。
一杯目のリゲル・ビールを飲みながらミックスナッツをかじり、流しっぱなしになっているテレビ番組を眺めていると、センはしみじみシアワセを感じた。世の中のすべてに対して寛容になっている。
二杯目が終わる頃には、テレビ番組の『今日の細菌』すら面白く思えてきた(『今日の細菌』は一日一つの細菌について紹介する番組で、その細菌の系統、性質、培養方法などについて詳しく説明する。番組の最後のクイズの答えを添えてプレゼントに応募すると毎週三名に抽選で培養同定検査キットが当ることになっている)。ビフィドバクテリウム属の必須生長素は何ですか? の答えはなんだろうとセンが考えていると、入り口の扉が開いた。見ると、開発部の社員であるコノシメイが入ってきたところだった。
「あれ、センさん」
「やー」センはへにょへにょとした声で挨拶した。「仕事終わりですか」
「いや、それどころか。今佳境なんです。遅くなりそうなのでサンドイッチでもと思って買いに来たんですよ。会社のカフェテリアはもう閉まってますからね。あ、カフェテリアといえば、センさん、こんなところにいていいんですか?」
「え?」センはフードメニューをコノシメイに渡してやりながら聞き返した。
「ほら、庶務課の定期ミーティング、四日後にやるってカフェテリアに掲示してあったでしょう」
「そうですが、それが何か?」
「場所は外宇宙第三会議室じゃなかったですか?」
「そんなところでしたね」確かそうだったよなあ、とセンはふにゃふにゃしてきた脳みそにたずねてみる。大体あっていると思うという答えが返ってきた。
「じゃ、もう出ないとまずいですよ。遅刻しちゃう。またタガメ養殖ゲームの売上が落ちたら大問題ですよ」
コノシメイは慌てた声を上げ、センの両脇を抱えて強制的に立ち上がらせた。勘定分をセンの財布からきっちり出させ、事態に周回遅れでついていっているセンを半ば引きずるようにして外に出し、一回会社に戻り、第四書類室の中にあった仕事道具をセンのカバンに詰め、もう一度表に出て流しの三次元タクシーを捕まえ、宙港まで一直線に飛ぶよう命じた。
「いいですか、宙港に着くまでに会社のシステムにアクセスして出張用のチケット手配を申請してください。確か東棟のほうの16番ゲートから外宇宙第三会議室までの宇宙船は出るはずです。でも時間がギリギリだと思うので、宙港に着いたら全力でダッシュしてください」
そう言い終えるとコノシメイは扉を閉め、三次元タクシーは浮き上がって急加速した。きちんと閉められていなかったセンのカバンが中身を車内のあちこちに飛び散らし、それを集めたり急ブレーキによりまた飛び散らせたり再度集めたりその隙をぬってチケット申請をしたり電子チケットを手に入れたりしていると、タクシーは宙港の正面に停車した。チケットに表示された搭乗締め切り時刻とタクシーの時計を見比べると、あとわずか五分しか残されていない。センは言われたとおり16番ゲート目指して走り出したが、宙港の掃除ロボットが仕事に対して情熱をささげるタイプだったため、床があまりにつるつるしていて頭からつんのめった。しかしその勢いでそのまま床の上を滑っていき、結果としては無事16番ゲートにたどり着くことができた。
「お客様、チケットを拝見いたします」
カバンを下にして床に対して平行になっているセンに、係員の声がかかった。チケットに読取機があてられ、センはその体制のまま搭乗口へと押されていった。
「締め切り時刻が迫っておりますので、お急ぎください。もし必要でしたら係員によるスウィーピングサービスもございます」
「いや……自分で歩きます」
「おや、二足歩行の種族のお客様でしたか。大変失礼いたしました。どうぞ二本の足でお急ぎくださいませ」
係員は床を磨くためのブラシを置き、宇宙船の入り口までセンを送ってきた。センが乗り込むと間もなく扉がしまり、『間もなく当船は発進いたします。皆様お席にお戻りください』とアナウンスが流れた。
自分のエコノミー席に座り、シートベルトを閉めると、センは大きく息をついた。のたのたとトラックを走っていた頭が、ようやくゴールまでたどり着いたという感がある。
上昇を始めた船の窓の外を見ながら、センは呟いた。
「結局、この船はどこ行きなんだろう?」
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