キャンディーアップルよさらば-5

「……言ってることはわかったんですが、しかしまったく覚えが無いんですが」

「覚えがあろうがなかろうが、ここには証拠があるのです」


 パイプ椅子をぎしぎしきしませ、センはその証拠とやらを手に取った。ずしりと重い、何重にもラミネート加工が施された紙だった。そこにはずらずらと細かく文字が並び、一番下によれよれとした、今にも墜落しそうな字体で『セン・ペル』とサインが入っている。タイトルは『連帯保証人承諾書』だった。これによれば、センは五十万デネブもの借金の連帯保証人になっているらしい。五十万デネブといえば、センが二、三年飲まず食わずで働いて得られる金額である。もちろん地球人の血を引くセンが二、三年飲まず食わずで働けば、猿より枯れ葉に近い存在になってしまうだろう。


 それに第一、センはこのサインをした記憶が無かった。筆跡も自分のものに似ていると言えば似ているが、似ていないと言われれば似ていない気がする。


 センは目の前の人間を見つめた。シリウス星系の人間で、傍らにコーヒーの入ったロゴ入りマグを置き、同じロゴの入った帽子をかぶっている。このロゴまみれの人間によれば、センがサインをして保証した借金主が先日失踪したため、保証人であるセンが代理で返済する義務があるというのである。


「これを私が書いたって証拠はあるんですか?」

「ありますよ」


 従業員は涼しい顔で、もう一枚の紙を出してきた。


「ここにあなたの指紋と、体組織のかけらと、遺伝子情報から生成したハッシュ値があります」

「うーん」


 センは室内を見回した。安物の机に椅子、キャビネット、書類の山。狭いビルの一室で、明かりがついているにもかかわらず陰気な感じがした。今センが相対している人間以外にも数人の従業員と数台のロボットが働いており、入り口のところには『ブルーローン』と看板がかかっていた。


「サインされた日はこの日です。半年ほど前ですね」


 承諾書の下にあった日付を見て、センは記憶を呼び戻そうとした。たしかその頃は特に変わったこともなく、毎日会社と家を往復していたはずだ。誰かから保証人になるよう頼まれたとか、何かの書類にサインしたとかの記憶もない。


(ん……)


 ない、のだが、センはある一つの出来事を思い出していた。たしか会社の帰りにバーに寄ったときのことで、給料日前のために二杯しか頼めなかった。悲しみの中で最後の一杯の、氷が溶けて薄くなったところをちびちびすすっているセンに、話しかけてきた人物がいた。


(あれは……どんな人間だっけ……)


 いた、のは覚えているのだが、その人物の顔も何も思い出せない。ただなぜかその人物はセンに話しかけてきて、何杯も酒をおごってくれたのは覚えている。何杯目かのカペラ・モスコミュール以降は、翌朝ベッドで目覚めたところまで記憶が抜け落ちているのだが、目覚めたときには『昨日は運がよかったなあ』と思ったことは覚えている。


(あれは……)


 センは遅まきながら血の気が引くのを覚えた。承諾書を手に取り、ためしに指先ではじいてみる。


「いくらでもはじいていただいて構いませんよ。何しろ戦車に踏まれても問題なしのラミネート加工ですからね」

「なるほど」


 センはこのときそれどころではなかったため深くは考えなかったが、ブルーローンが承諾書をこのようにアナログな方法で保管しているのにはわけがあった。以前はブルーローンもありとあらゆる書類をデジタル化して管理していたし、この方法に皆満足していたのだが、ある日一人の債務者が払っても払っても減らない借金にヤケを起こし、ブルーローンのシステムに侵入して手当たり次第に債務残高にマイナスをつけていった。借金の取り立てはそのほとんどが督促ロボットによって行われていたため、督促ロボットたちは債務者のもとを訪れてはせっせとマイナスの借金の取り立て、すなわち債務者への金銭の贈与を行った。業務があまりに自動化されすぎていて、ブルーローンの社員がこの事実に気づいたのはハッキングから二ヶ月経ってからのことだった(巧妙なことに、社員が社内システムで債務額を確認するときは絶対値が表示されるように細工されていた)。その間に債務者たちは心を入れ替えたように借金返済に励んでいたが、ブルーローンの金利はもともと中性子星による時空の歪みを用いたり同星系内での基準時を銀河標準とは異なる独自の基準で算出したりして定めたもので、貸金業法にぎりぎりかすっているラインを攻めた設定になっており、債務者達の借金はなかなかゼロに近づかなかった。このためブルーローンは一時倒産ぎりぎりの状態になり、かろうじて備品の椅子と机、それに書類棚の後ろに生えていたキノコを売却することで踏みとどまった。この出来事以来、ブルーローンではほとんどのデータをアナログに移して管理するようになった。データを参照するためにいちいち物理的に場所を移動しなくてはいけないし、シュレッダーロボットが必要になるなど管理コストも増大しているのだが、借金額がマイナスになるよりはましだという経営判断なのだった。


 しかしながら、センはその歴史的背景を知らなかったため、ただその承諾書を一通り眺め回した後は机に置くだけだった。


「それで、今日お呼びしたのはですね、一緒に返済計画を立てさせていただきたいと思いまして」


 丁寧だが底に侮りがあるのが透けて見える仕草で、目の前の従業員はどさりとまた別の書類を取り出した。


「そんなこと言われても……私には財産なんてものはないし」

「はい、知ってます。お呼びする前にあなたの経済状況は一通り調べさせてもらいましたので」

「じゃあわかるでしょう。私にはこんな金額は払えませんよ」

「はいまあ。しかし、こちらにもいろいろとやり方はあるんですよ。センさん、あなた……」


 そう言って、従業員はにやりと二つの口を同時に歪めた。

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