第三章 だって友達だから

「では、これから工場区をぬけて基地港湾区に行くわけですが」


 みんながそれぞれのご飯を食べ終わり、片づけを終えると、ゆずほがみんなに向かって言いました。


「その前に、みなさんのワンドをお貸し願えますですか?」


 みさきは「はいはい」とすぐに差し出しました。

 こはなときりねはどうするんだろう、と首をかしげながらとりあえず出してみます。


「はいこれ、わたしの。……でも、なんで?」


「ちょっと手品をしておきたくて」


「手品? トランプでもするの?」


「いえ。……これです」


 そう言ってゆずほが取り出したのは、ケースに入ったマイクロメモリ。

 ワンドの中に差し込んで、写真や動画などの大容量データを保存するためのものです。


「これで、ちょっとしたハッキングを」


 ゆずほはまず、みさきのワンドのスロットにそのマイクロメモリを入れ、ちょいちょいといじります。

 すると、画面にコマンドラインが立ち上がり、ログがざーっと流れるとすぐに『完了』と文字が出ました。

 地図画面のほか、幾つかの画面で何かを確認すると、特に問題なかったのか、


「みさきさんはこれでよしです。こはなさんときりねさんのも――」


 こはなときりねのワンドでも、ゆずほは同じようにメモリを入れていじります。

 同じような画面が流れ、すぐに処理は完了しました。

 ゆずほは満足そうにメモリをリュックにしまいます。


「できました。完了です」


 自慢げに言い切るゆずほに、こはなは気になって聞いてみます。


「これ、なにしたの?」


「位置情報の送信を停止させて、ログの偽装処置をしましたです」


 こはなにはよくわからない答えが返ってきました。


「……つまり?」


「これからどこを歩いても、私たちはこの自然遊園で遊んでいたと、そういう記録が残るようにしておきました」


「……すごいね! そんなことができるんだ!」


「ま、まあ……その、あれです。子ども用のワンドは――」


 こはなの素直な称賛を受けると、ゆずほはもじもじと、居心地が悪そうに目をそらし――しかしその口は何かのアクセルを踏んだみたいに一気に速度を上げていきました。


「――もともと位置情報の送信を停止できない仕様になっているのですが、これは製品のソフトウェアが機能を非表示にしているだけなのです。もとのOSは大人用と共通ですから機能のアドレスさえわかっていば直接数値を書き換えればいいわけで――」


「え、ええっと?」


「――受信側も匿名化して情報処理していると『えな先輩』が言ってましたですから、えらい人たちがそれぞれのワンドの位置情報を区別する方法はありません。あくまでチャイルドロックという簡単な措置ですから機器本体のログを偽装すれば簡単に位置履歴をごまかせるというわけで――」


「…………ごめんなさい。ゆずちゃん、それ日本語?」


「英語や機械語を話したおぼえはないですが」


 残念ながらこはなにはさっぱりでした。


「さきちゃんは?」


「あたしには聞かないで……。ゆずほはすごい先輩からすごい教育を受けててちょっとすごいんよ」


 すごいということはわかりました。うん。すごい。

 こはなはそれ以上の感想が出てこなくなり、なにも考えないことにしました。


「では行きますですよ。時間があまりありません」


「もふもふは……?」


 出口が見えて、不意にこはなの胸にあの衝動が去来します。


「まだ言うかこの子は。行くよ、もー」


 が、みさきに耳を引っ張られて止められました。


「あたたたた!? じょうだん、じょうだんだって!」


「まよわず着けば帰りに時間が取れるはずです。がんばってください」


「……わかった、がんばるよ!」


 ゆずほのフォローに気を取り直したこはなは、改めて自然遊園の出口に向かいます。

 いざ、もふもふのために――ではなく、友達のために。


    *


 と頑張ってはみたものの。

 位置情報が使えないということは、つまり地図アプリの経路案内が使えないということになります。

 検索履歴を残すのもよくないとのゆずほの言葉により、みんなは地図だけを見て工場区画に挑んだのですが、


「……まよったですね……」


 迷子になるのは仕方のないことでしょう。

 目的地は、子どもが入ってくるとは全く考えられていない工場区画。

 綺麗に整理されたままの住宅街と違い、出航以来の方針転換や時代のニーズに合わせるための改築・増築と再開発で行き止まりの多い区画です。

 こはなたちがわかるような簡単な案内などあるはずもなく、単に港の方を向いて歩くだけではたどり着けない魔境。


「地図がこっちむいてるですから、この道はあっちでしょうか……?」


「いや、ちがう……ん、でもちがわない、か……。あっち……」


 物知りコンビのゆずほとみさきの周囲にもすっかりはてなマークが踊っています。

 きりねはすっかり弱ってしまった様子で、


「どうしよう……これじゃ、キリたちお家にも帰れないかも……」


「よしよしきりちゃん。だいじょぶだいじょぶ。こはなさんがついてるからねー」


「……あんたのそのおバカが、いまはうらやましいかも……」


「見習ってくれてもいいですぞ?」


「……えんりょしとく」


 こはな一人は平気な様子です。

 いつもの能天気のように見えますが、実はそうではありません。

 ここまでずっと地図と風景を見比べながら歩いてきたこはなは、ある時点で確信を得たのでした。

 ちょうどいい場所まで来たのを見計らって、こはなは手を挙げて宣言します。


「ふたりとも! そっちじゃなくて、こっちだよっ!」


 大きく手を振るこはなに、ゆずほとみさきは揃って怪訝な目を向けます。


「こはな、急にどしたの」


「こはなさん。なんかヘンなものでもひろって食べたですか」


「食べないよっ!? だから、地図のこの点が多分ここだから、この角は左なんだよ」


 こはなは実際にワンドの地図を見せながら説明します。


「……ん、たしかにそれっぽい……けど、なんでわかったの?」


「ふふん、それはね――」


 こはなの趣味は朝のお散歩。

 それは、簡単な迷子を楽しむ遊びでもあります。

 まったく知らない場所に飛び込んで、遠景と方向感覚、そしてワンドの地図アプリを見ながらふらふら歩き、始業時間までに学校に帰ってくる、という遊び。

 今回の工場区はこはなにとっても強敵だったので、迷子になってからは慎重にまわりの風景のなかで、地図の中の建物の形や看板の名前をあてはめていました。

 目印が少なかったので時間がかかってしまいましたが、この時やっとそれがぴたりとはまる場所を見つけたのです。

 地図の中で自分の場所を見失わなければ、もはや迷子ではありません。

 ……と、こはながそんなふうに上手に説明できればよかったのですが。


「――女のかん、かな……!」


 おバカなこはなはとっさに言葉が出てきませんでした。残念ながらいつものことです。


「こはなさんが言うとすごくうさんくさいです」


「うさんくさくないよ!? こはなじるしの安心ツアーガイドだよっ」


「行きだおれの未来しか見えないです」


「はうぁっ」


「まあまあ、ゆずほ。……とりあえず、なんかヘンに自信たっぷりだから、ためしにまかせてみよ。きりねも、いい?」


「……あんまり信じられないけど、わかった」


「ふふふ、まかせてもらったらこっちのものよ……!」


「おいこら自分でなけなしの信用を投げ飛ばすのやめんさいって」


「ごめんなさいでした」


 とは言え、こはながガイドになってからは、同じ場所を三周することはなくなりました。

 それでも、行き止まりにたびたび阻まれ、大回りを強いられながらですが――

 ついに四人は、基地区画を示す、長い長い壁までたどり着いたのでした。


    *


「つ……ついた……よ?」


「すごいです。この長いカベ、きっとこれが基地区画にちがいありません」


「ほんとに着いた……すごいじゃんこはな」


 着いたことは、着いたのですが。


「って、カベばっかりで入り口どこよ!?」


 きりねの魂の叫びは、見わたすかぎりの壁の向こうに吸い込まれていきました。

 こはなレーダーでは一応の現在地は把握できています。だだっ広い基地区画の、遠く離れたゲートとゲートのちょうど間ぐらい。

 入口の近くに出るように歩くこともできましたが、入り組んだ工場地帯を歩けば余計に距離がかさんで負担をかけるかもと考え、こうして基地外壁まで案内したのです。


「ふ……どうやらこはなさんガイドは、ここまでのようだよ……」


 壁まで着いてしまえば後は壁に沿って歩くだけです。場所もちょうど中央ぐらいなので、右か左かを悩む必要もありません。根性あるのみ。


「いえ、こはなさんのわりに思わぬかつやくでした。ほめてあげますです」


「わーいやったー」


「そのほめられかたですなおに喜べるハナってつくづくすごいと思うわ……」


「しっかし、どうしたもんかねこのカベ……。こはな、入口はどっちかわかる?」


 みさきの質問にこはなはどう答えるべきか、ちょっとだけ迷いました。

 どっちに行っても同じぐらい遠い、と正直に言うとがっかりさせてしまうかもしれません。

 だから、あんまり詳しく答えず、皆を応援することにしました。


「だいじょぶだよ! ここまで来たら歩くだけ!」


「くっ……こはなレーダーはもうポンコツに……」


「ポンコツ!?」


 元気づけたつもりなのに、みさきの返し刀がこはなにザクりと刺さりました。

 会心の一撃です。


「こんじょうはゆずほあまり好きじゃないです。……でも、どちらか決めて歩くしかないですね」


「んじゃ、ポンコツこはなレーダー。右左どっちが近いか言ってみて」


「えっと、じゃあわたし右ききだから右!」


 どっちに行っても一緒なので、こはながその場で思いつく限り面白そうな答えを返したのですが、


「……よーしきりね。あんたにまかせるわ。右と左とどっちがいい?」


「むしされた!?」


「じゃあ、反対の、左で……」


「しかもあえて反対!?」


「では行きましょう。時間も体力もかぎられていますし」


「よよよ……」


 こはなの信用はまたもすずめの涙に逆戻りのようでした。


    *


 やっぱり、歩けど歩けど、壁ばかり。

 こはなもなにか面白いことを言おうと考えるのですが、だるい虫が頭にひっついてぐみゅぐみゅするのでちょっとうまく思いつきません。

 朝のお散歩で歩くのは平気とはいえ、ここはずっと景色が同じ感じでなんだか辛くなってきます。

 となれば、歩き慣れていないゆずほやきりねはもっと辛いはずで――


「う……」


 最初にしゃがみこんでしまったのはゆずほでした。

 無理もありません。さすがに歩きすぎです。もともとたくさん歩く計画だったのが、工場地帯での迷子でさらにいっぱい歩いたのです。


「ユズ、だいじょうぶ……!?」


 きりねがすぐにそばにしゃがみます。ゆずほは足が痛いというので、靴を脱がせてあげると、足の裏にマメができていました。


「ごめんなさい。あし、ひっぱってばかりで……」


 ゆずほがしょんぼりと言うと、すぐにきりねが「そんなことないっ」とゆずほの手をにぎりました。


「そんなことないの。だめなキリのために、こんなになるまでがんばってくれて、ほんとにうれしいの……!」


「ですが……。結果が出ない努力に意味は……」


 無理をしようとするゆずほの正論に、こはなは「ちがうよっ」と声を上げました。


「そんなことないっ。わたしはここまでの道を覚えたし、またこんどくればいよ!」


「こはなの言うとおり……だけど、どうする? 動けないんじゃ、もう大人に助けに来てもらうしかないよ?」


 みさきは悔しそうな顔でそういいます。


「位置情報をもう一度送信するしかありませんですね……。今のままだと、助けをよんでも私たちの場所がわかりませんから」


「でも、それって、よくないんじゃ……」


「ぜんぶバレてしまいますね。クラッキングも……でも、自分のしたことですから、正直におこられますです」


 ゆずほは助けてあげたい。でも、それだとゆずほが怒られてしまいます。

 なら。こはなは少しだけ勇気をだして手をあげます。


「だいじょぶ! わたしもいっしょにおこられるよ!」


「キ、キリも! キリのせいなんだから、キリが一番におこられなきゃダメ!」


「……あたしも。いちおう〝しゅぼーしゃ〟はあたしだかんね。いっしょにおこられよっか」


 皆が次々に手を挙げるのを見て、ゆずほは少しだけぷい、と目をそらして。


「なにも大丈夫じゃありません。だいたい、こはなさん、みさきさんはまだまだ元気なんですから公園まで帰ってください」


「ここはがんばっておこられるよ! みんなでおこられればこわくない!」


「またこはなさんはヘンながんばりかたを…………あ」


 そのときでした。

 不意に、ゆずほの目が遠くへ向きました。

 なにを見つけたのか、とこはなたちも視線の先を追いかけると、そこには一台の電気自動車が走ってきていました。

 こはなたちの後ろから、追い越そうと走ってきた自動車。軍人さんの車でしょうか。

 こはなたちの心中で色々な考えがよぎります。どうしよう、どうする?

 不安げな視線が幾度も交わされて、もうすぐ通り過ぎてしまうかもしれないほど近づいてきた、その時でした。

 きりねが立ち上がりました。思い詰めた表情のまま、


「すっ、すみません!」


 歩道から手をふって、大きな声でよびかけました。でも、聞こえなかったのかもしれません。車の速度は落ちません。

 きりねは思い詰めた表情で、


「すみま、せん!!」


 さらに両手を手を大きくふりながら、道に飛び出しました。

 危ない、ひかれる、と三人が目を閉じてすぐ、きいっ、というブレーキの音。

 こはなたちが目を開けたら、車のドアを開けて軍服のお姉さんが出てきました。

 紫色の航宙軍の制服に、驚くほど長くてきれいな黒髪の女性です。


「こらこら、飛び出したら危ないですよ」


 軍人のお姉さんはまるで先生のようにゆったりとした、穏やかな口調できりねのもとへ歩いていきます。車に乗っていたのはお姉さん一人のようでした。


「ごめんなさい! でも、お願いが、あって……」


「……私になにかご用事とかですか? 迷子さん?」


「あの、こうちゅうぐん、の、パイロットさんにあいにきたんですけど、ともだちが、けがして、あるけなく、なっちゃって。……その」


「あらあら。それは大変。何かお手伝いできることはありますか?」


「その、ごめいわくだと、おもうんですけど……自然遊園まででいいので、……乗せていって、もらえませんか……?」


「ええ。そんなのお安い御用です」


 震えながら、泣きそうなきりねの申し出に、優しいお姉さんはすぐに了承をくれました。

 それから「あ、でも」とお姉さんは思い出したように付け加えます。


「……パイロットさんに会いに来たご用事は、大丈夫なんですか?」


「ユズ――友だちが、歩けなくなっちゃったから。もう、いいんです。今回は、あきらめます」


「友達思いなんですね。いいなあ。……と、それはそうと」


 言いながらお姉さんはきりねの前でしゃがみこんで、言いました。


「ちょうど私もパイロットさんなんですよ。私じゃお役に立てませんか?」


 お姉さんが指差す、胸元に光るバッジ。

 それは、あの日の校庭の中庭で見たものと同じ色と形をしていました。


    *


「そっか。仲良しのお兄さんを探しに来たんですね。……これでよしっと」


 こはなたちが自己紹介を終えると、お姉さんはさっそくゆずほを車に乗せると、ガーゼとテープできれいに手当してしまいました。

 さすが軍人さん、ということなのでしょうか。

 ぺこり、とゆずほはお姉さんに頭を下げると、


「どうもありがとうございますです。それで、きりねさんのナツお兄さんについてですけれど……」


「基地の方で探してみましょうか。何のパイロットかにもよりますけれど……わかりますか?」


「はい。お姉さんと同じバッジを付けていたと思うのですが……」


「ほんとだ! お姉さん、おんなじバッジ付けてる!」


 いまさら気づいたこはなは思わず叫んでしまいました。

 そう。ゆずほが見せてくれて、きりねが「ナツお兄さんが付けていた」と言ったバッジと同じ。ロボットの顔がモデルになったあのバッジです。


「バッジ……あ、宙武徽章アストロアームズ・マークですか。なるほど。だから拡人機パイロットさんと。よく気づきましたね。すごいです」


「お姉さん、きりねのナツお兄さんの知り合いさんじゃないですか?」


「どうでしょうか。パイロットさんもそれなりに数はいますから……。お兄さんのフルネーム、わかります? きりね……ちゃん?」


 お姉さんが首をかしげてきりねを見ると、きりねは「えっと、えっと」とあわてて手をもじもじさせてから、


「お、〝おおしま・なつひこ〟、って、言ったとおもいます。おおじま、だったかもしれないけど……」


「なるほど。おおしま、おおじま…………ちょっと待っててくださいね?」


 そう言ってお姉さんが取り出したのは、やっぱりブライトワンド。

 黒色で、こはなたちのものよりおおきくて長い。大人用で、軍隊のマークが入ったもの。

 しばらく真面目そうな顔でワンドを操作していたお姉さんでしたが、ふと指を止めてきりねに向き直ると、


「大島夏彦少尉、たしかに私の二期下の男の子ですね。なるほど、四月にこっちに転属になった人……」


 わあ、とみんなが声を上げました。やはり推理は正しかったようです。


「じゃあ、その……ナツお兄さんに、これ、わたしてもらえませんか!」


 きりねがそう言ってポーチから取り出したのは、小さな白い封筒。

 学校の授業で使ったものを、先生にお願いして貰ってきたのでしょう。

 約束に遅れそうになってまで、きりねが一生懸命書いたお手紙です。


「これは……ひょっとして、紙のお手紙? あらあら、懐かしい……私も初等科の頃に授業で書いたっきりなのよ」


「お兄さんに、読んでほしくて。その、いろいろ書いたから、読んでもらえればって……」


「そっか。うん、わかりました。では、このお手紙はお姉さんがちゃんと責任を持って、夏彦お兄さんにお渡ししますね」


「あ、ありがとうございます!」


 きりねは幸せそうに笑っています。

 お姉さんのおかげで、無事お手紙は届くことでしょう。めでたしめでたし。

 ……でも、こはなは少しだけ胸がムズムズしました。

 どうしてかな、と考えて、考えて。

 それから、一つの答えにたどり着きました。


「あの!」


 こはなは、勇気を出して右手をあげます。


「なつひこお兄さんとは、会わせてもらえませんか!」


 そうです。ちょっとわがままな女の子と思われたって、きりねのためなら、いいのです。

 だってこはなたちは、お兄さんに会いにきたんですから。


「ハナ……!?」


「ああ! そうよね。せっかく来てくれたんだし。……直接お会いしたことはことはないんですけど、イチかバチかPONで業務メッセを送ってみましょう」


「いいんですか……!?」


「もちろん。がんばる女の子は応援したいタイプなんです。お姉さんは」


 そう言ってお姉さんはさらに素早い指さばきでワンドを操作します。

 PONのメッセージは、どれぐらいで返事が来るかは全て相手次第です。数秒後かも知れないし、ものぐさな人ならずっと何日もあとかもしれません。

 こはなたちは神様にお願いするようにじっとお姉さんの横顔を見ていました。それが笑顔になるのを待って。

 不意に、お姉さんが「あ」と小さくつぶやきました。

 お返事がきたのでしょうか。でも、少し残念そうな顔でお姉さんは言いました。


「あー、ごめんなさい。ちょっと遠出してるみたいですね。今は赤の月の方にいる、と」


「お月さま……!?」


 お月さま。ここまで来るまでに、リニアの中で見た赤いお月さま。

 そこじゃ、会えません。

 学生割引は使えるけれど、時間もかかるし、今日のうちにはとても着きません。

 やっぱりだめだったんだ、とこはなが諦めかけた、その時でした。


「電話は――音声通話は、できますですか」


「ゆずちゃん……?」


「ふたつの月とも、ゆりかごとレーザー回線でつながったって聞いたことがあります。PONがオンラインということは、音声通話もできますですよね」


 お姉さんはゆずほの言葉に少しビックリした顔をしましたが、すぐにやさしそうな笑顔になって、


「よく知ってますね。そうそう、お電話もレーザー回線でつながるはずだから……待っててくださいね。多分……」


 お姉さんのカチカチ、とした短い指の動きに、今度のお返事はすぐでした。


「お、やった。やりましたよ。オッケーだって」


「じゃあ……」


「いま向こうからかけてきますから。もうすぐ……ほらきた」


 お姉さんのワンドがふるえて、着信を告げます。


「はい、もしもし。二三五小隊の久我です。あ、いえ。こちらこそ休暇中にすみません。……ええ、いま代わりますね。――はい、きりねちゃん」


 お姉さんが差し出すワンドを、きりねは少しだけ息を吸ってから、ぐっと手をのばして取りました。


「もしもし、あの、ナツお兄さん……? …………はい! きりねです!」


 その日、その時のきりねの笑顔を、きっとこはなたちは忘れることはないでしょう。


    *


「ありがとうございました」


 長いようで、あっという間にお電話は終わりました。

 お姉さんにワンドを返すと、きりねは丁寧におじぎ。こはなたちもあわてて、いっしょにおじぎをします。


「「「ありがとうございました!」」」


「うんうん。お役に立てて何よりでした。それでは、お手紙はお姉さんが渡しておきますからね。約束」


 お姉さんはきりねに小指を差し出すと、きりねもそこに自分の小指を繋ぎます。

 ゆーびきった、と約束。


「……そうだ、名刺を渡しておきましょうか。困った時があったらなんでも言ってこられるように」


「めいし……?」


「PONのデータカードなんですけど、子供用モデルだと交換できましたっけ。んーと……」


 お姉さんがブツブツ言いながら首を傾げていると、ゆずほがすかさずワンドを取り出して言います。


「受信はできますです。送れませんが、こうして……」


「お、ありがとうございます。……送信、っと。ちゃんと表示されていますね。じゃあきりねちゃん」


「あ、え、キリですか?」


「そうそう。あなたに渡しておかなきゃ、お兄さんのアドレスも渡せないでしょう?」


「は、はいっ!」


 そうして、なんだかんだで全員、ワンドでお姉さんの名刺――PONの個人データカードを頂いてしまいました。


 軍隊のマークとお姉さんの顔写真の入ったカッコイイデザイン。そこに書いてあるお名前は――


「きゅう……? ゆみ……」


「これで久我くが弓香ゆみかって読むの。よろしくね」


    *


 その後、みんな揃って弓香お姉さんに車で自然遊園の駅まで送ってもらいました。

 駅のエレベーター前に着くと、ゆずほときりねには休んでてもらって、「ちょっとだけだから……!」とこはなとみさきはダッシュでふれあい動物園に飛び込み、思う存分ふあふあもこもこを堪能しました。

 こはながみさきに引きずられながら駅まで戻り、ようやくの帰り道。

 リニアの自由席、四人がけのボックスシート。

 肩を寄せ合って爆睡しているみさきとゆずほを前に、こはなも眠気にうとうとしはじめた時でした。

 隣に座っていたきりねがぽつりと言いました。


「ありがと……」


「……なーに?」


「ハナがいなかったら、たぶんナツお兄さんとお話できなかったから……」


「そうだっけ……」


「……そうよ、バカ……」


 こはなは、よくきりねにはバカバカ言われてる気がします。

 それだけいっぱいめいわくかけてるんだろうなぁ、と思うのですが、こはなのおバカはなかなか治らないのでこはな自身もどうして良いかよくわかりません。


「ごめんね、こはなはおばかさんだから……」


「でも、ありがと……」


 右手に、あったかい感じ。きりねの手です。


「んー……こはなも、きりちゃんだいすきさんだから……」


 だからこはなも、ぎゅっとにぎってあげます。やさしい手。だいすきな、手。


「…………キリも…………キリも、ね……」


 ――その続きは聞こえたのか聞こえなかったのか。こはなはよく覚えていません。


 確かなことは、みんなでそろって寝過ごして、終点の一〇三ふとう駅で駅員さんに起こしてもらったこと。

 駅員さんにごめんなさいをしながら大あわてで折り返して、みんなでのんびりするヒマもなく駅前でバイバイしたこと。

 こはながお家に着いたのは、人工太陽さんが赤紫に変わった夕方十八時過ぎだったこと。

 そして、パパとママからお叱りとこつんをもらったこと。

 そんなこんなで、こはなたちの初等教養科四年生になって最初の大作戦は、おしまいとなったのでした。

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恒星間航宙艦ゆりかご停泊記 走れ、ラブレター! 夕凪 @yu_nag

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