夕立
終業時間で帰り支度をしていると「おい、芽衣。今日俺バイトだからコーヒー飲みに来いよ。玄関で待ってるから」
私のクラスにミチルがやってきて、そう一言いって出ていった。
たったこれだけのことだったのに・・・。
玄関にいくとミチルが「遅いんだよー。バイト遅れたら怒られるから、後ろ乗れよ」そういって自転車に乗るように言われた。
「急ぐからちゃんとつかまれよ」ミチルの腰につかまると自転車が動き出した。
さわやかな風がミチルと私を包み込む。なんだろう、この感じ。
子供の頃、公園のブランコの上に大きな木があって、そこだけ真夏の日差しが遮られてて、葉の間からキラキラとした光が降りそそぐ。火照ったからだを涼やかな風が冷やしてくれた。ちょっと大げさだけどそんな感じ。
ブレーキの音が鳴ったと思ったら、ミチルの背中と私の15センチの距離が縮まって私の頬はミチルの背中に触れた。ミチルがまた動き出してもそのままの姿勢でそっと目を閉じてみた。
ミチルは何もしゃべらず黙々とペダルをこいでいる。
「おい、芽衣お前まさか寝てたのか?」
ミチルの声の振動が体から伝わってくる。
目を開けると建物のガラスに映っているのは、ミチルの背中に抱き着いている私。
急に恥ずかしくなって体を離した。
「い、い、いや、違うのよ。公園のね、ブ、ブランコがね」
私は一体何を言っているの?
「は?ブランコ?いや、ウケるわ。チャリの後ろで寝るやつ、初めてだわ。しかも夢まで見てたとはね。着いたぞ、降りろ」
ミチルは楽しそうに笑いながら、店に入っていった。
「芽衣も来いよ」
私は真っ赤になってふくれっ面をした。
ミチルの話からレトロな喫茶店というイメージを勝手に持っていたけど、実際はおしゃれなカフェだった。真っ白なボードに赤の筆記体で「
「いらっしゃいませー」
カウンターから聞こえてきた声のほうを向くと、奇麗な女の人がこちらに笑顔を向けていた。ミチルが「あ、マスター。俺の連れっす。着替えてきますから適当に座らせてください」といって奥に消えていった。
代わりにカウンターの女性から「店長の清水です」と名刺を渡された。近づいてみると透き通る真っ白な肌、少し潤んだように見える瞳、柔らかな笑顔。ホントに綺麗で大人の女性だ。
「は、はじめまして。宮下芽衣です」と挨拶すると、「あー、あなたが芽衣ちゃん。ミチルから聞いてるわ」と顔がほころんだ。
ミチルはこの人に私のことをなんて話したんだろう?それにミチルって名前で呼んで、なんだか親しげな感じがする。
(もしかしてこの人がミチルの好きな人なのかな。)
メニューを見てコーヒーをお願いすると、丁度ミチルが着替えてやってきた。
さすが、シャツにエプロン、頭にスカーフというシンプルな恰好が余計に様になっている。清水さんが「芽衣ちゃんにコーヒー入れてあげて」といって、テラス席のほうにカップを引きに行った。
ミチルは私にコーヒーを入れてくれた。真剣にコーヒーを入れているミチルの姿を黙って眺めていた。どうぞと私に出してくれたコーヒーを一口飲むと、コーヒーの香りが鼻孔に広がり、ほのかな苦みが口に広がる。
「おいしい」そう言うとミチルは嬉しそうに笑った。
でも、だんだんとお客さんが増えてきて、私は一人ぽつんと取り残されたてきた。
途中、ミチルが「ゴメンな、せっかく来てくれたのにバタバタして。今日は暇だと思ってたんだけど」と声かけてくれた。
カウンターの向こうで、ミチルと清水さんは注文のやりとり以外の会話はほとんどしていないのに、お互いの動きが常に分かってるみたいで、何も言わなくても通じてるって感じ。たまにお互いに笑顔を交わす様子を見ているうちに、なんだか帰りたくなってきた。新しいお客さんがやってきたけど、もう満席みたいだったから「ミチル、私もう行くから」といって席を立った。
支払いをしようと財布を出すと「芽衣、今日のコーヒーは俺がおごるからいいよ」と言ってくれたけど、私は断ってコーヒー代をカウンターに置いて出ていった。
うしろから「おい」と声がしたが振り返らずに店を出た。
表に出ると後ろから扉のあく音がして、一瞬ミチルかと思って振り向いたら清水さんだった。
「芽衣ちゃん、明日か明後日もう一度寄ってくれない?」
真っすぐ私の目を見つめる瞳になんだか気負されて「分かりました」とだけ言った。「じゃあ、待ってるわね」と清水さんが踵を翻して店に戻る様子をぼんやりと眺めていた。
ふとテラス席の女性のグループの声が聞こえてきた。「ねぇ、言ったでしょ。彼すっごくカッコいいでしょ。今度Line聞いてみようかな」
来るときはさわやかなお天気だったのに、空を見上げると黒い曇が広がっていて今にも夕立が来そうな天気になっていた。
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