第38話アンデッド×パペッター7
「ま、待ってくれ……頼むから命だけは、命だけは助けてくれ――!!」
眼前に突きつけられた巨大な口から、腐臭にも似たおぞましい悪臭を放つ息が吐き出される。喉の奥からはグルル、と唸る声が聞こえる。
食事を催促するように、大口を開けて目の前の人間(えさ)を捕食しようとしている。
久々津はそれを目の前にして、恥も外聞もかなぐり捨て懸命に命乞いをした。
「てめぇはあいつらの言葉を……そうやって救いを求めた奴らの声を一度でも聞いたか?」
久々津の懇願を聞いて、久遠は静かに尋ねた。
あの地下室で拷問され続けていた子供たちは、皆が今の久々津のように助けを求めていたはずだ。救いを願っていたはずだ。しかし、久々津はそれに答えることはなかった。
「じゃあな――死んじまえよ、クソ野郎」
久々津は答えることができず、それを見た久遠は吐き捨てるように言い放つ。
それに呼応して巨大な口と化した右腕は大口を開き、久々津を頭から飲み込んでいく。
「あ、あぁぁぁ……」
巨大な口に飲まれ、久々津は呆然とした様子でただ声を漏らす。まるでこれが悪夢であって欲しい、そう願う久々津だが頭を包んでいく粘液の生暖かさが彼を現実へと引き戻す。
「あ、ぁぁぁ……あぁぁぁアァァァ――ッ!?」
壮絶な断末魔を残し、久々津の意識はそこで途切れていった。
久遠はそれをただ淡々と見ているだけだった。
「――お前なんて、殺す価値もねぇよ」
そう呟くと久遠を覆っていた甲冑が、ドロリと泥のように身体から剥離していった。
床に落ちていったそれは、這いずるように蠢いていくと、久遠の影の中へと消えていく。
消え様に影は気絶していた能力者たちの元へと伸び、奪い取った生気を返還していった。
「……殺して楽になんかしてやらねぇよ。お前は生きて償え、一生かけてな」
元の姿へと戻った久遠はどこか泣き出しそうな表情でポツリと呟きを漏らす。
床に倒れている久々津の身体には頭部を初めとして一切の欠損はなく、捕食する寸前に久遠が能力を解除した証拠でもあった。
白目を剥いて気絶している久々津を一瞥すると、久遠は床にへたり込んでいる琴華の元へ歩いて行く。
「……大丈夫か?」
どこか複雑な表情で尋ねる久遠を見て、琴華は軽く溜め息を吐きながら答える。
「なんとかね」
「そうか。ならよかった」
琴華が無事だと分かると、久遠はぎこちなく笑みを浮かべた。
「……ドン引きしたろ?」
そこで会話は途切れ気まずい沈黙を感じた久遠は、観念したように呆れ顔で問いかける。
「まあね。気持ち悪かったし」
答えを聞くのが少し怖かった久遠は身体を強張らせて身構えるが、琴華の答えは酷くあっさりとしていて率直だった。
「でもその力のおかげで、この子たちを助けることができたんでしょ。胸を張りなさいよ」
フッと表情を和らがせると、琴華は久遠にそう告げた。
満身創痍になって血反吐を吐き身体を切り刻まれてもなお、何度でも立ち上がって決して諦めなかった久遠を労うように。その努力を言祝ぐように。琴華は彼に笑いかける。
「悔しいけど、私だけじゃ今回は勝てなかった。だから一応、感謝しといてあげる」
そっぽを向いて顔を赤らめながら、琴華は気恥ずかしそうに感謝の言葉を告げる。
その言葉を聞いた瞬間、久遠はどこか報われたような気がした。
こんなおぞましい力でも誰かに認めてもらえることが、こんなに救われた心地になるなんて。久遠はそれを初めて知った。
「そっか……こんな力でも、誰かを助けられたんだな」
それが本当に嬉しくて、久遠は琴華に悟られないように、密かに笑みを漏らしていた。
喜びを深く、深く噛み締めるように、久遠は静かに独白を漏らす。
それは今まで己に宿る異形の力を忌み嫌っていた彼が、初めて自身の存在を肯定されたことに他ならなかった。
「これから、天華さんがこっちに来るらしい」
「……そう」
先ほど久々津との通話を聞いていた久遠は、天華がこちらに向かっていることを告げた。
琴華は状況を察したのか一瞬だけ驚いた表情を浮かべるも、納得したように頷いた。
おそらく天華がやって来れば、事後処理を含めて今回の件は全て片がつくだろう。
そう、全てが終わるのだ。
紆余曲折ありながらも、久遠の長い長い入社一日目が、これで終わるのだろう。
「……なあ」
「なに?」
久遠は琴華に視線を向けると、静かに声を掛ける。
琴華は怪訝そうに横目で久遠を見ながら小首を傾げてその真意を問おうとした。
「帰ったら話、聞いてくれよ。天華さんも一緒に、さ」
表情を陰らせながら久遠は、おずおずと言葉を返す。
その表情には躊躇いの色が見て取れたが、彼は勇気を振り絞って言葉を続けた。
「話したいことがあるんだ」
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