第35話アンデッド×パペッター4
「なにが……なにが、起きている?」
信じられない、という顔で久々津は呟きを漏らす。その表情を支配しているのは驚愕。
一瞬にして自らの手駒が倒れてしまったのだから、仕方のないことだろう。
「いったい――なにをした……ッ!?」
混乱のあまり、声を荒げながら久々津は久遠に詰問する。
そこには戦いが始まってから、終始浮かんでいた余裕は微塵も存在していない。
「足下、よく見てみろよ」
「これは……影?」
そんな久々津を見て、久遠は不敵に笑いながら自らの足下を指さした。そこにあるのは久遠の影だ。ただし、その形は歪だった。最初は久々津に向かって伸びているが、途中から幾重にも枝分かれしていて、分岐した影はそれぞれ能力者たちの影まで届いていた。
「これは自分の影に接触した対象から、生気(オド)を奪い取る術式だ。こいつらからは気絶するくらいの生気を吸収した。吸収した生気は他者に分け与えることが可能だ。お前を排除したあとに、こいつらへ奪った生気を返還すれば問題はねぇよ」
久々津は狐につままれたような表情で、不可思議な形に伸びる影を見る。
久遠は伸ばした影を元に戻すと、先ほどの現象の原理を説明する。
「貴様……もしかして、魔術師か?」
久遠の言葉を聞くと、久々津は声を低くして唸るように問いかけた。
魔術師。それは魔術という独自の技術を用いて、超常なる現象を操る者の総称だ。
生まれながらの素質によって能力が発現する異能者と違って、魔術師はどの人間でも有している身体機能だけで魔術を行使することができる。
彼らは大気中に存在する魔素と呼ばれる成分を取り込み、己が体内に存在する魔術回炉と呼ばれる器官を介して、魔力と称されるエネルギーを生成する。
そのエネルギーを運用することによって、異能者に近い超常現象を引き起こす。
久遠が先ほど行使したのは異能ではなく、この魔術という種類に分類される。
「俺は魔術師じゃない。忌書と契約を交わした人間――【契約者(コントラクター)】だ」
しかし、久遠は久々津の問いに対して、首を横に振って否定した。
「魔術師は魔術を使う際、自分の望む事象を引き起こすために、魔術式と呼ばれる演算式を使う。これを代理演算するために生まれたのが、魔道書や魔術書だ。まあ、簡単に言えば外付けのデバイスで、自分の使いたい術式を予めメモっとくようななもんだよ」
魔道書とは魔術の使用方法が記された書物の総称で、これには魔術師たちが究めた魔道の術理が記載されている。
これらの情報を利用することによって、魔術師は自分の実力以上の術式を発動したり、術式の運用をより効率化することができる。優れた魔道書は使用者の能力を大幅に底上げし、その能力を何倍にも高めることも可能と言われいる。
「忌書はその中でも、さらに高位な存在だ。装丁、材質、文字の配列に至るまで、書を構成る全ての要素が、魔術的な意味合いを持っている。存在自体が強力な魔方陣だな。俺みたいに魔術の素養のない素人でも、魔力さえ注ぎ込めればその恩恵を受けることができる」
魔方陣とは、何千、何万、果ては数えることさえも億劫になる程の魔術式で構成されている、巨大な魔術式の集合体だ。魔方陣には予め複雑な演算処理が施されていて、簡単な初期処理のみで、強力な魔術を発動することができる。
魔道書にはこの魔方陣が記載されているが、久遠の語る忌書とは、書自体がその魔方陣になっている魔道書のことを指す。
魔術の才覚がない人間でも、魔力を供給して魔方陣を起動させることができれば、書に刻まれた魔道の秘奥を自在に扱うことができるのだ。
「もっとも、ただでそんな力が使えるわけでもねぇんだけどな」
久遠は手に持った【妖祖の秘密】を閉じ、どこか陰のある表情で付け加える。
すると久々津に向かって、ゆっくりと歩き始めた。
「調子に……調子に、乗るなよ――若造がァァァ!!」
久々津は近づいて来る久遠を見ると、ニヤリと狡猾な笑みを浮かべけたたましい叫びを上げる。彼が指を動かすと、それと同時にヒュンと風を切って糸がたわむ音が聞こえる。
「久々津流傀儡術――蜘蛛ノ型。亜式・糸縛断裂(しばくだんれつ)!」
瞬間、久遠の腕に〝なにか〟が絡みついた。
その正体は、目には見えない故に分からない。ただ糸のように細いものが、腕を圧迫したのは理解できた。
ただそれも一瞬のことで次の瞬間には、久遠の右腕は肘から下がまるでソーセージでも切ったかのようにあっさりと切断されていた。
「私が己が異能に胡座をかいて、それ以外に戦う術を持っていないと? 笑止! 我々、退魔師を侮ってもらっては困ります」
先ほどまで手に持っていた妖祖の秘密ごと、久遠の腕はドサッと音と立てて床へと落ちた。血飛沫が周囲に舞い、床を赤々しく染めていく。
久々津はその様子を見て、勝ち誇ったように声を上げて哄笑する。
「お気づきではないと思いますが、既にこの一帯には金属さえも容易く切断する、パラ系アラミド繊維で構成された超硬度ワイヤーが張り巡らせてあるのですよ」
久々津が誇るように言うと、それに呼応するかのように、空中で硬質の糸が揺れるような音が鳴らす。よく見ればその糸は、久々津が手に装着した籠手の指先に繋がっている。
「言ってしまえば、あなた方は蜘蛛の巣に捕らえられた獲物そのもの! いかに魔道の輩とて、こうなってしまえば為す術もないでしょう?」
長々と高説を説いていた久遠に一泡吹かせてやったと、久々津は嗜虐心に満ちた好戦的な笑みを浮かべながら言い放った。
「人の話は最後まで聞け、って教わらなかったのか?」
しかし、感情が昂揚して勝利に酔っている久々津とは対照的に、久遠は冷ややかな声でその言葉に答える。
「くくくっ、強がりもどこまで続く――」
久遠の態度をあくまで虚勢と判断した久々津は、愉悦のこもった憐憫を久遠に送る。 だが久々津は違和感を感じていた。久遠は何故、腕を切られて平然としている?
身体の制御に長けた者は、自らで痛覚を遮断できる術を持つという。
しかしそれでも大量の出血をすれば命に関わるし、なにより久遠の傷からは出血が少なすぎた。最初こそは派手に出血したものの、今では完全に流血は止まっていた。
「それは……いったい……?」
「ようやく気づいたのかよ」
異変に気づいた久々津は、狼狽えるように声を漏らす。
久遠はその様子を見て、呆れたように溜め息を吐いた。
そしておもむろに切断された腕を床から拾うと、切断面同士を合わせるように傷口同士を密着させた。瞬間、何事もなかったかのように自然と腕が接着されていく。
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