第34話アンデット×パペッター3

「信じていいの?」

「ああ、今この瞬間だけでいい。俺を信じてくれ」

「分かった。一分が限界だから」

「充分。間に合わせてみせる」

 確かめるような琴華の問いに、久遠は真剣な表情で答えた。

 それ以上は琴華も尋ねずそう短く告げると、久遠は不敵に笑いながら軽口で応酬した。

「準備はいい?」

「ああ、いつでも大丈夫だぜ」

 それ以上の言葉は要らなかった。短くやり取りを終えると、琴華は目で合図をする。

 久遠はそれを理解すると、精神を集中させて機会を待った。

『告げる――』

 いつもの言霊とは異なり、まずは呼びかける言葉。広域に言霊を放つ際、このように段階を踏むことが効果的な手法だ。琴華はグルリと周囲を一瞥して、意識を自らに集める。

『不死川久遠を除く全ての者――』

 次に範囲を指定する。この場合は久遠と術者である全ての人間が対象だ。

 通常の言霊による命令はこの部分を短縮してあるため、広域を対象とする場合は、負荷がその分増加する。単純な足し算ではなくむしろかけ算だ。対象が増えるほど琴華にかかる負荷は倍加する。数十人以上に対して能力を行使する負荷は想像を絶するものになる。

『全員――動く、なァ……!!』

 雄々しく咆哮を上げるように、琴華は渾身の言霊を放った。瞬間、全身の血液が沸騰しているのかと錯覚してしまうほど身体が熱く、頭は今にもひび割れてしまいそうなくらいズキズキと痛んでいる。気を抜くと満足に立っていることさえ覚束ない。

「――ッ、ゥ!?」

 琴華は苦痛に顔を歪め、呻き声を漏らす。

 自らの許容を越えた能力の行使に、身体は容赦なく悲鳴を上げている証拠だった。

「ほぅ……面白い、本当に身体が動きませんねぇ。これが言霊! 実に見事!」

 苦悶の表情を浮かべる琴華とは対照的に、久々津はまるで感心したように呟きを漏らす。

「く、おん――!」

 目の前の男は、自らの勝利を確信している。そのにやけた呆け面を思い切り殴ってやりたい衝動にも駆られたが、今の彼女のはそれも叶わない。

 だから琴華は想いを託した少年が約束通り、あのいけ好かない男をどうにかしてくれることを信じて、縋るような視線を送る。

『最下(いやした)の魔窟(アルハザード)、その驚異こそ奇怪にして恐るべきものなれば、窺い見ることを得ず。死せる思念新たに活命し、面妖にも肉をまといし地こそ呪われたり、頭備えぬ魂こそ邪悪なり』

 久遠は目を閉じ滔々と言葉を紡いでいく。

 それは呪文だ。力ある言葉(パワーワード)の一種だ。

 曰く外界に力を呼びかけるもので、魔なる力を行使する上では重要とされる言葉の羅列。

『賢しくもイブン・スカカバオ言いけらく、妖術師の横たわらぬ墳墓は幸いなるかな、妖術師なべ死灰と化せし夜の邑は幸いなるかな。何となれば古譚に曰く、悪魔と結びし者の魂、納骨堂の亡骸より急ぐことをせず、遺体をむしばむ蛆を太らせ指図すればなり』

 詠唱を続けていると、久遠の周囲が揺らいでいく。認識がずれ現実と虚構の狭間で、存在自体が揺れているかのように。空気がざわつき、生ぬるい風が肌に絡みついていく。

『さるほどに腐敗の内より恐るべき生命うまれ、腐肉をあさる愚鈍なるものども賢しくなりて大地を悩まし、ばけものじみた大きさになりて大地を苦しめん。細孔あるのみにて足るべき大地に大いなる穴ひそかに穿たれ、這うべきものども立ちて歩くを学び取りたり』

 その正体は魔力だ。久遠の体内にある魔術回炉と呼ばれる器官が、周囲の魔素(マナ)を取り込んで、おびただしい量の魔力を生み出している。

 濃度の高い魔力は質感を持って、魔術的素養のない人間にも感じることができた。

 今この場において、魔力が充満していくのが誰にでも分かる。

「契約に従い、我が手に顕現せよ――」

 久遠は右手を前方に突き出し、まるで虚空を掴むように手を広げる。

 そして目を見開き謳うように宣言すれば、やがてその声に応えるようにその手の中に暗く澱んだ光が宿っていく。

『妖祖の秘密(デ・ウェルミス・ミステリイス)!!』

 高らかに叫びを上げた瞬間、久遠の手に満ちていた光が爆発的に拡散していく。

 琴華はそのまばゆさに思わず目を閉じるが、やがて光が収束していくと久遠の手には一冊の本が握られていた。

 表紙は黒くくすんだ鋼鉄で、久遠が片手で持っているのが不思議なほどに分厚い。

「【妖祖の秘密】、起動(ブート)――術式検索(サーチ)、該当術式を発見。術式起動(アクション)」

 最後に短く呟くとその手に持っていた本が開き、ひとりでにページがめくられていく。

 やがてページが止まると、久遠の言葉に呼応するように記されている文字が発光した。

『足下より忍び寄る影――【忍び寄るもの(インスマウス)】』

 その光に導かれ、久遠は術式を発動するための呪文を口にした。

 言葉に呼応するように本が放つ光は久遠の全身を包んでいき、赤黒い輝きを放っていく。

「だ、め――げん、か……い……」

 そのタイミングで琴華はついに限界を迎え、片膝を着いて床に座り込んでしまった。

 彼女が言霊を行使して、足止めをした時間はおよそ一分半。約束を三十秒越えて時間を稼いだ彼女に久遠は、言葉には出さずとも感謝の意を内心で示していた。

「なにをするつもりかは知りませんが――やらせはしませんよ!」

 言霊による拘束を解除された久々津は、今度こそ琴華を久遠を殲滅すべく号令を発した。

 命令に呼応するように、能力者たちは一斉に狙いを二人に定める。

 そこには先ほどまでの弱者をいたぶるような遊びはなく、全力で相手を仕留めようとする久々津の意思が感じ取れた。

「――遅い」

 しかし、彼らの動きはそこで停止する。まるでリモコンの一時停止ボタンを押されたようにピタリと動きを止め、次の瞬間にはバランスを失ってその場に倒れていく。久々津以外の能力者たち、全てが同じように。その光景は、さながら集団昏倒を彷彿とさせる。


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