第26話アンデット×コンバージョン3

「緋胤は全然、優しくなんてないよ」

 緋胤は胸の奥底から吐き出すように、呟きを漏らす。

 その目からはポロポロと涙がこぼれ落ち、コンクリートの床を濡らしていった。

「緋胤はね、今まで何人もの子たちを見殺しにしてきたの。緋胤のせいで死んだ子も、たくさんいるんだよ? みんなを犠牲にして、緋胤はこうやって生きてる……」

 小刻みに身体を震わせて、緋胤は顔をグチャグチャに歪めながら、嗚咽を漏らしていた。

「そんな悪い子に、助かる資格なんて……助けを求める資格なんて、ないんだよ……ッ!!」

 緋胤は叫んだ。自分は助かる価値が、差し伸べられた救いを享受する権利がないと。

 それは過去に彼女が脱走に荷担し、それが失敗した際に負った心の傷が原因なのだろう。

 目の前で仲間が次々と殺されていく光景が、脳裏から離れないのだ。

 ただ、それを見ていることしかできなかった自分が、今もなお仲間を見殺しにして無様に命を繋いでいる自分が、緋胤は許容することができない。許すことができない。

 許されてしまったら、彼女は仲間に顔向けができない。

 こうして罪の意識に苛まれ続けることが、彼女ができる唯一の贖罪なのだから。

「ん、なわけ……ねぇだろ――」

 久遠は再び立ち上がると、小さく、呟くように声を漏らす。

 その身体は既に満身創痍だったが、攻撃を受けてから立ち上がるまでの時間は徐々に縮まっていた。それは即ち、久遠が受けるダメージが段々と減っているということになる。

「誰だって辛かったら投げ出しても……苦しかったら、助けを求めたっていいんだよ! 悲しかったら、泣いて叫べよ! 自分じゃどうしようもなくなったら、誰かを頼れよッ!!」

 久遠は叫ぶ。そんなことは間違っていると。誰にでも、助けを求める権利はあるのだと。

 目の前で必死に虚勢を張る緋胤が、優しすぎるが故に過去の呪縛に囚われている彼女のことが、見ていられないと、どうにかしてやりたいと、そんな想いが彼を突き動かす。

「それが当たり前なんだよ。確かに助けを求めたって、それが届かないことだってある……泣いて喚いても、助けてくれって祈っても、どうにもならないことだってある」

 必死に言葉を続けながら、久遠は表情を陰らせる。痛みに耐えるように、辛い過去を想起するように表情を歪めて、彼は静かに自らの想いを吐露した。

「少なくとも俺の時はそうだった。何度も助けを求めても結局は誰も助けてくれなかった」

 視線を緋胤から自分の手のひらに移して、久遠はポツリと呟くように言う。

「お前だって、もう気づいてるんだろ? 俺は普通じゃない。死ねない身体なんだ。だから、何度も炎に焼かれても、こうやって立っていられる」

 どこか陰のある笑みを浮かべて、久遠は自嘲混じりに言葉を続ける。

 確かに緋胤は、死なない程度のダメージになるように手心を加えていたが、常人ならば何度も攻撃を受けては、立っていられるかも怪しいだろう。

 久遠がこうして今もなお、立ち上がれるということは、彼が常人と異なる自己修復能力を宿しているからだ。それは即ち、彼が異端の輩(ともがら)である証左に他ならない。

「でも――」

 グッと力強く己の手を握り、顔を上げ再び緋胤を見据えると、久遠は静かに口を開いた。

「少なくとも、今は違う。お前には、俺がいる。こうやって、手を伸ばしてるんだ」

 しっかりと緋胤を見据えて、久遠は真剣な表情で言葉を続ける。

「お願いだ、俺を信じてくれ。必ずお前を助けてみせる」

 その瞳には、揺るぎない意思を宿らせて。その顔には、絶対の自信を携えて。

 彼は少女にそう告げる。

「だから――」

 一歩、足を踏み出して。手、少女へと差し伸べて。彼は精一杯の想いを口にする。

「この手を取ってくれ……緋胤ぇぇぇ――!!」

 久遠は必死に手を伸ばす。

 もしかしたら彼は、今の緋胤に過去の自分を重ねていたのかもしれない。

 嘆いても、叫んでも。泣き喚いて、懇願しても。あの時の久遠に、救いは訪れなかった。

 だからこそ、運命に翻弄されている境遇の彼女を助けることで、同時に過去の自分を救いたいのだ。こんな身体になっても、誰かを救えるのなら、それはきっと間違じゃなかったということなのだから。

「だめ……だめ、なのぉ……」

 差し伸べられた手を、必死に叫ぶ久遠の姿を見て、緋胤はヨロヨロと後ずさる。まるで酷く尊いものを畏怖するように、自分には不釣り合いだと言うように、触れることすらおこがましいと恐れるように。彼女の表情は、怯えや戸惑いと言った感情が複雑に入り交じっていた。

「もう、緋胤のせいで、誰かが死ぬなんて嫌だよぉ……」

 緋胤は口元を押さえて、震える声で嗚咽を漏らす。それは彼女が心の奥底にずっとしまい込んでいた、本心の吐露であった。久遠の言葉によって、固く鎖されて心の叫びが、ついに明かされる。

 彼女はずっと見ていた。自分と同じ境遇の仲間たちが、久々津に虐げられていく様を。時には助けを求められることもあった。悲痛な声で、懇願されていた。

 しかし、彼女はそれを聞き入れなかった。

 過去の失敗で刻みつけられた烙印が、緋胤を臆病にさせていた。

 もし脱走が失敗すれば、今よりも酷い目に遭うのだから。彼女はそれを知ってしまった。

 だから、彼女は諦めてしまった。もう、自らのせいで、誰かが死んでしまうなんて嫌だったから。そんな光景は、二度と見たくはなかったから。

 心を固く鎖し、感情を殺し。せめて、今よりも凄惨な境遇に陥らないように。仲間たちを監視し、時には脱走者を捕らえてきた。

 それは彼女なりの誠意であったが、真意は誰にも伝わらない。裏切り者や悪魔と憎悪され蔑まれ、そうやって同じ日々を繰り返していた。誰にも理解されることなく、誰にも受け入れられることなく。一切の希望を捨て、助けを求めることすら諦めてしまった緋胤。

 だが彼女に救いの手は差し伸べられた。不死川久遠が手を伸ばしている。彼女はその手を取っていいのか躊躇していた。自分はこの手を取るのに相応しいのか、緋胤には分からなかった。

 彼女にとって、久遠は特別な存在だった。虐げられることが当然だった自分たちのために憤ってくれて、今もこうして必死に助けようとしてくれている。

 そんな尊いものを、自分が触れてしまっていいのだろうか。おびただしい血で染まった両手で、差し伸べられた手を穢してしまうかもしれない。それが怖くて仕方なかった。

「安心しろよ。さっきも言ったろ? 俺は死ねない。いいや――〝死なない〟。だから、どんなことがあっても、俺は死なないって約束してやる」

 しかし、緋胤の不安を一蹴するように、久遠はニッカリと笑みを浮かべて断言した。

 それは一切の気負いもなく、自らを鼓舞するような虚勢でもなく。久遠は当然のことを口にするように、自然と言葉を返していた。

「だから、いいんだ。もう我慢しなくっていいんだ。お前の本当の気持ちを聞かせてくれ」

久遠は穏やかに笑いながら、優しく緋胤へと語りかける。今日までたった一人で、頑張り続けてきた孤独な少女を労うように。その小さな身体に、分不相応な重荷を一身に背負ってきた、一人の少女を言祝ぐように。ポンとその頭の上に右手を置いて、久遠は告げた。

それは単なる自信過剰か? それとも、自己の力量を把握できない、愚者特有の大言壮語の類いだろうか? それは久遠自身にも分からない。ただ、分かることは――

「お兄ちゃん……緋、胤――」

 その言葉は、固く鎖された少女の心を解き放ち――

「お願い、助けて――あの子たちを、助けてあげて……!!」

 ついに、心からの願い(さけび)を引き出したということだ。

「ああ、任せとけ」

 自らの胸に顔を埋める緋胤の答えを聞き、久遠はギュッとその華奢な身体を抱きしめる。

 抱き留めている少女の感触は、強く力を入れてしまえば折れてしまいそうな程に細く、嗚咽を漏らしながら小刻みに震えていた。そんな少女を安心させるように、久遠は揺るぎない自信に満ちた声で言い放つ。

 それは酷く短いものであったが、少女を安心させるには充分であった。

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