第六章
第24話アンデット×コンバージョン
薄暗い廃工場の中を久遠は歩いていた。
一歩、また一歩と足を進めて行くと無機質な靴音が響いていく。
「お兄ちゃん……」
階段を降りきると、そこには緋胤の姿があった。彼女はまるで久遠を待ち構えていたかのように正面に立っていて、久遠の姿を見ると悲しそうな表情で呟きを漏らす。
「来ちゃったんだね」
「ああ」
「ねぇ、ここで引き返して……?」
「悪いな、そうもいかねぇんだ」
顔を俯かせて問いかける緋胤に対して、久遠は神妙な表情で頭を振って答えた。
「緋胤、お兄ちゃんとは戦いたくないよ」
「……俺もだよ。でも、ここで引き返したら、きっと後悔する。自分自身を許せなくなる」
「お兄ちゃんって、やっぱり頑固だね」
縋るような緋胤の言葉にも久遠は一歩も譲ることなく、真剣な眼差しで緋胤を見据える。
緋胤はそんな久遠を見て、泣き笑いのような表情を浮かべて顔を上げた。
「それじゃ――今から、お兄ちゃんは緋胤の敵だね」
次の瞬間、緋胤はキッと表情を引き締めて久遠を睨み付けた。
それと同時に久遠は、周囲の空気が爆発的に熱くなるのを肌で感じていた。
「なっ――!?」
そう感じた刹那、久遠の目の前の床から火柱が立ち上がった。
幸い直撃こそしなかったが、目の前で発生した炎の塊は、周囲の空気を巻き込んで一瞬にして熱し、それにより発生した熱風が久遠の肌を熱していく。
「これが……お前の異能、か」
火柱はやがて立ち消えるが、身体の表面を焼くような熱風に、久遠は思わず目を細める。
熱気で揺らぐ視界の先。そこに佇む緋胤を見ながら久遠は呟きを漏らした。
「うん――これが緋胤の能力『燃素焼界(コンバージョン・フロジストン)』。空気中の燃素(フロジストン)を自在にコントロールして、炎を発生させる能力だよ。厳密に言えば違うけど、念発火能力に近い能力かな」
緋胤は一切の私情を捨てた感情の読み取れない表情で、淡々と能力について説明した。
「射程は視界の全て――お兄ちゃんは、緋胤の炎から逃げられない」
緋胤が言うように、この場所には一切の遮蔽物が存在しない。あるのは打ち放しのコンクリートの壁と床、それと久遠の背後にある階段だけ。階段を駆け上がって距離を取ろうにも、視界の届く範囲が射程というなら、背を向けた瞬間に久遠は炎に焼かれるだろう。
フロアの奥には部屋が数個隣接している構造なので、それを利用できれば緋胤の目から隠れることも可能だが、そのためには正面に立ちはだかる彼女を突破しなければならない。
琴華のように、離れた相手へ有効な能力を持っていない久遠にとって、この状況は苦境と言っても差し支えないだろう。
「もう一回だけ言うね。お兄ちゃん、今すぐに引き返して。そうすれば、緋胤もそれ以上は追わないから」
お願いだから、と口だけ動かして、緋胤は悲痛な言葉をかみ殺す。その姿はまるで、頭を垂らして懇願しているようだった。事実、それは懇願だったのだろう。本気で勝とうとする相手には警告なんてしないだろうし、そもそも能力者にとって、命綱である異能の詳細を語るということは、久遠と事を構えたくない彼女なりの努力なのだろう。
「それは、できない相談だ――ッ!」
緋胤の様子を見て、久遠は突如として駆けだした。脳裏に纏わり付く葛藤を振り払うように、靴底は硬質なコンクリートの床を力強く蹴る。
膝はそのエネルギーを増幅させて、身体を前方へ勢いよく運んだ。緋胤の悲しむ姿は見たくないが、このままではきっと緋胤は悪循環を繰り返すだけだ。だから結果的に今は、彼女を悲しませることになっても構わない。そう強く決意して、久遠は走る。
「――ッ!」
緋胤は自分の方へ向かって走り出す久遠を見て、悲しそうに表情を陰らせた。しかしそれも一瞬のことで、次の瞬間にはキッと凛々しい表情で、前方の久遠を見据える。
彼女が念じるとそれに呼応するように、久遠が居た空間に勢いよく火柱がまた発生した。
「ハッ――よし……ッ!」
だが、久遠はそれをどうにか躱す。ゴウッと音を立てて立ち上がった火柱は、久遠の僅か後方に発生し、それを駆け抜けてさらに緋胤に向かって接近していく。
「……ッ、これ以上は!」
火柱を躱されたことに対して、緋胤は僅かに驚愕したように動きを止めた。だが、これ以上の接近を許すわけにいかないと、声を上げて再び久遠に向かって火柱を発生させる。
「う、おぉぉぉ――!」
久遠は今まで直線的だった動きを急に変え、今度は横にルートを逸らしながら円を描くように疾走し始めた。彼の走る軌道の後ろには次々と火柱が立っていき、紙一重で久遠が緋胤の攻撃を回避していることが見て取れる。
「(やっぱり、だな)」
全力で疾走し続けて、緋胤の放つ火柱を躱しながら久遠は内心で確信する。
「(緋胤の能力には、〝タイムラグ〟があるんだ。あいつが目標を定めてから、実際に炎を発生させるまでには、若干だけど誤差が発生してる)」
久遠がそこに気づいたのは、最初に緋胤が炎を発生させた時だ。
彼女は警告と同時に炎を発生させようとしたが、実際に火柱が目の前で立ち上がったのは、その数秒後だった。
ほんの僅かな時間ではあったが、それは久遠にとって充分な突破口になり得る。
彼がまず最初に走り出したのも、動く対象に対して緋胤の能力は、どれくらいの補足能力があるのかを確認するためでもあった。実際には全力疾走での久遠のスピードと彼女の能力のタイムラグでは、僅かにだが久遠の速さが勝っていた。
「(こうやって、不規則に動いてりゃ、あいつも予測はできないだろ!)」
ただ、そのまま馬鹿正直に真っ直ぐ走っていたのでは、相手に移動ルートを予測されていまう恐れがある。そのため、久遠は先ほどから急に横に逸れたりと、ルートを常に変更しながら徐々に接近しているのだった。
「こないで……こないでぇぇぇ――ッ!!」
徐々に距離を詰めてくる久遠を目の当たりにして、緋胤は悲鳴のように悲痛な叫びをその口から上げる。次々と矢継ぎ早に発生する火柱はことごとく久遠から外れてしまい、二人の距離はどんどん縮まっていく。
「捕まえた、ぞ――!」
やがて、手を伸ばせば触れられそうな距離。そこまで肉薄した久遠は、雄々しい叫びを上げて、緋胤へと手を伸ばす。
身を竦ませて、怯える少女を安心させてあげたくて。彼は必死に手を伸ばした。
この手が届きさえすれば、きっと自分はこの少女を救ってやれる。そう信じて。
「う、あぁぁぁぁ――ッ!!」
しかし、それは無残にも遮られる。耳をつんざく悲鳴のような絶叫と同時に、緋胤と久遠の間を隔てるように、突如として目の前に炎の壁が発生した。
伸ばした手は彼女に届くことはなく、身体を赤く揺らいだ炎が包んでいく。肉が焦げる臭いと共に、全身を圧倒的な熱が覆い尽くす。
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