第20話アンデット×リフュート4

「お前は、あのままでいいって言うのか?」

「……うん」

「なんでだよ!? あんなこと続けてたら、きっと死んじまうんだぞ……!」

 その問いに対して、緋胤は視線を逸らしながらただ頷くだけで、久遠にはそれが理解出来ずに思わず声を荒げて詰問するように声を荒げてしまった。

「……お兄ちゃん。わたしたちの境遇、あの人から聞いたんだよね?」

 久遠を見て寂しそうな表情を浮かべ、緋胤は静かに問いを投げかける。

「……ああ、聞いたよ」

 久遠はその問いを聞いて、彼女たちの境遇を思い出す。ここに集められた子供たちは、世間から爪弾きにされた身寄りのない子供たちで、久々津はその方が都合がいいと語った。

「ここにいる子たちの中には、戸籍を持っていない子もたくさんいるの。緋胤もその一人。だから、必ずしも外の世界が幸せとは限らないんだ」

 陰のある表情で緋胤は言葉を続けた。その声は暗く沈み、一切の希望も感じられない。

「戸籍がないと、外の世界で生きていくことも難しいから。わたしたちは普通に生きていく資格がないの。だけど、そういう境遇の子たちにとって、ここなら才能にさえ恵まれれば、自分の力で生きていけるから」

「だけど、その前に死んじまうかもしれねぇんだぞっ……!」

「……仕方ないんだよ。お兄ちゃんからすれば、ここは見るに堪えない場所かもしれないけど、それでもわたしたちは僅かな可能性に縋るしかないの」

 緋胤の告げる非常な現実に、久遠は思わず言葉を詰まらせながらも、そんな現実を認めたくないとでもいうかのように必死に訴えを続けた。しかし、緋胤は久遠とは対照的にただ寂しそうに笑うだけで、淡々と非常な真実を告げていく。

 戸籍がない、ということはこの国の国民としての権利が認められていないということだ。

 無論、生きていけないわけではないが、健康保険に加入ができなかったり、学校へ通えなかったり、結婚などの戸籍が必要な各種手続きができないなど、普通の人間が当たり前のように保証されている権利が剥奪される。そうなれば幼い無力な子供は一人で生きていくことが困難になる。彼らは頼れる身内がいないのだから尚更だろう。

「それでも――助かりたいって……どうにかしたいって思わないのかよ!」

 無情な現実に打ちのめされながらも、久遠は必死に訴えを続ける。彼は緋胤の浮かべている表情の意味を痛いほど知っている。それは〝諦め〟だ。

 自分の力ではどうしようもできない現実を前に、彼女は足掻くことを止め、諦めてしまっているのだ。久遠はその姿に、かつての自分を重ねていた。

 だから、彼女をどうにかしてやりたいと必死だった。

「お兄ちゃん。緋胤は、ここで一番最初に生まれた能力者なんだ」

 そんな久遠を前にして、緋胤は静かに言葉を漏らした。

「緋胤の能力は戦闘向きだったから、出荷されずにここを見張る守衛として、ずっとここにいたの。緋胤も一度はここを抜け出したくて、逃げ出したこともあるんだ」

 顔を俯かせて、緋胤は言葉を続ける。その表情は苦痛に耐えるように苦々しく歪んでいて、これから語ろうとする過去が彼女にとって辛く、苦しいものであると暗に示していた。

「ずっと前にね、仲間に脱走の相談を持ちかけられたの。あの頃は緋胤も純粋にここから逃げ出したくて、その誘いに二つ返事で乗ったんだ。だからあの人が出かける瞬間を狙って、みんなを逃がしたの」

 おそらく緋胤は警備をするふりをして久々津を安心させたあと、彼がいなくなるタイミングを狙って脱走を決行したのだろう。

「でも、それは失敗しちゃったの。全部、罠だったんだ。あの人は緋胤を試していただけで、結局、逃げ出した子はみんな捕まって〝処刑〟されちゃった」

 震える声で、緋胤は作戦の失敗を告げた。久々津は彼女の忠誠心を試していただけで、全ては彼の手のひらの上での出来事でしかなかったのだ。それを知らずして作戦を決行してしまった緋胤たちは当然のように失敗し、その報いを受けることになったのだろう。

「逃げた子たちは、緋胤以外みんな殺されたの。緋胤の目の前で、みんな殺されたの」

 ガタガタと小刻みにその小さな身体を震わせて、緋胤は絶望に染まった表情のまま言葉を続けた。その時の光景が、記憶に焼き付いた思い出が、呪いのように彼女を苛んでいく。

「みんなの断末魔が、今でも頭から離れないんだ。『助けて、死にたくない!』って叫ぶ声が、今でも聞こえてくるの。電気椅子に縛り付けられて、泣き叫んでいる最期の表情が今でも見えるの。緋胤はそれを、ただ見ていることしかできなかったから」

 カタカタと歯を打ち鳴らし、顔面蒼白になって緋胤はうわごとのように言葉を続ける。

 脳裏に消えることのない過去が焼き付き、脳内で再生される光景は鮮明に蘇っていく。

「あの人は言ったの。もし、また裏切ったらここの子たちを緋胤の前で、一人ずつ殺していくって。だからもう、逃げ出そうなんて思わなくなったんだ。苦しむあの子たちを見殺しにして……助けて、って言われても無視して……逃げ出した子は、捕まえて……今まで、ずっとこうしてきた……」

 緋胤は途切れ途切れに嗚咽を漏らす。震える身体を自らの両手で抱いて、必死に耐えようとしている。目からは涙が溢れていて、頬を伝って滴る雫は地面に吸い込まれていく。

「そんな緋胤が……今更、誰かに助けを求めちゃダメなの……っ! だって、みんなを見殺しにしてきた悪い子には、そんな資格なんてないから……!!」 

 大粒の涙をボロボロと零して、緋胤は悲痛な叫びを上げる。差し伸べられた久遠の手を払い除けるように、彼女は拒絶の意思をはっきりと告げた。罪悪感の呪縛に彼女はがんじがらめに縛られていて、その堅牢な鎖を断ち切る言葉を久遠は持ち合わせていなかった。

「だから……わたしたちのことは忘れて。緋胤も、お兄ちゃんとは戦いたくないから」

 なんて声をかけたらいいか思い詰める久遠を見て、緋胤はゴシゴシと服の袖で涙を拭うと、必死に笑顔を作りながら久遠に言葉をかける。その笑顔は触れれば一瞬で壊れてしまいそうな脆いもので、彼女が張った精一杯の強がりでもあった。

「それじゃ……そろそろ行くね。お兄ちゃん、本当にありがとう。緋胤、お兄ちゃんのこと、きっと忘れないから」

 緋胤は立ち上がり、ぎこちない笑みを浮かべながらそう言うと、もう一度ペコリと頭を下げてから感謝の言葉を述べる。そして一瞬、まるで宝物を見るような優しい表情で久遠を見ると、踵を返して小走りで廃工場内へと戻っていく。久遠はそれをただ見送ることしかできなかった。


「…………」

 緋胤が去ったあと、久遠はゴロンと地面に身を投げ出し、月を見上げていた。暗雲が立ちこめる久遠の心とは対照的に、濃紺の夜空に浮かぶ月は美しい輝きを放っている。

「どいつもこいつも、好き勝手言いやがって……」

 久遠は琴華と緋胤のことを考えながらポツリと呟きを漏らした。

「なんで、もうちょっと、自分のことを大事にできねぇんだよ……!」

 琴華も緋胤も、彼女たちは自分以外の誰かを常に想っていて、その結果自らのことが蔑ろになっていると久遠は感じていた。琴華は天華のことを想うがあまり自分の気持ちを押し殺していて、緋胤は自分のせいでかつての仲間が死んだことに対して負い目を感じていて、全てを諦めてしまっている。

 二人に共通して言えることは優しすぎるのだ。彼女たちがもう少し自己中心的(エゴイスト)だったのなら、きっとこんな辛い生き様を選んでいないだろう。それは彼女たちなりの信念や矜持で選んでいることなのかもしれないが、久遠にとってそれは酷く憤りを感じることだった。

 確かに誰かを思いやることは大切だし、そういう風に思えることは尊いことだと久遠も思っている。だからといって、自分のことを蔑ろにしていいという理由はなく、それを見ている周囲の人間が何を思うのか、おそらく彼女たちは分かっていないのだ。

 だからこそ、久遠はこうして悶々と憤っている。かつての自分の古傷を見ているようで、同族嫌悪にも似た感覚が纏わり付いて離れてくれない。

「ああ、分かったよ」

 むくり、と久遠は立ち上がって、ポツリと呟きを漏らす。

 その目には覚悟の光が強く宿っていて、彼がここで一つの決意をした証拠でもあった。

「それなら、こっちも勝手にやらせてもらうぜ」

 力強く足を踏み出して、久遠は歩き出す。その先には廃工場があり、彼は地下室へ向けて足を進めて行くのだった。その表情にもはや迷いや後悔の色はなく、揺るぎない一つの答えがそこにはあった。

「ここからは誰のためでもない――俺の個人的な戦いだ」

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