第19話アンデット×リフュート3

「……ん、ぁ――」

 重く閉ざされたまぶたが徐々に開いていくと、暗い視界に月明かりが徐々に差し込んでくるのを久遠は感じた。半開きになっていた口からは呻きに近い声が漏れ、ギュッと力を入れてまぶたを開閉していると意識は段々と覚醒していく。

「あれ……お、れ……」

 生い茂る木々の隙間から姿を見せる月を仰向けの体勢で見上げていると、久遠は先ほど自分が倒れてしまったことを思い出していた。どうやらあれから今まで気絶していたらしく、久遠は地面に倒れていたのだ。

 それにしても、なにやら後頭部に柔らかで温かい感触を感じるのは何故なのだろうか。本来ならば固く、冷たい地面が彼を受け止めているはずなのに。

「あ――おはようございます」

 頭上でなにやら声がすると、久遠は寝起き特有の緩慢な動作で、声のする方を見上げた。

「えーっと……君は確か――」

「あ、わたしは八科(やつしな)緋胤(ひたね)……です」

 声の主は久遠の言葉に答えるように、おずおずと自らの名を告げる。

 彼女は先ほど久々津に施設の警備状況を報告していた少女で、確か守衛を任されていると説明されたのを久遠は記憶していた。

「ああ、緋胤だな。俺は不死川久遠だ」

「あ、あの……実は、少しお願いがあるんですけど……」

「ん? どうしたんだ?」

「えっと……久遠さんのこと、〝お兄ちゃん〟……って呼んでもいいですか?」

 緋胤に倣うように久遠自らも名乗りを終えるが、もじもじと頬を赤らめながら言い淀む緋胤を見て首を傾げる。

 緋胤はやがて意を決したように、おずおずと言葉を続けた。

「なんだ、そんなことか。ああ、構わねぇよ」

 久遠としてはなにか深刻なお願いでもされると覚悟していたが、緋胤のお願いとは拍子抜けするようなものだった。

「わぁ、ありがとう! 緋胤、いつかお兄ちゃんみたいな人が欲しかったんだぁ」

 構わないと頷くと緋胤は表情を煌めかせ、無邪気な笑顔を浮かべる。表情は初めて会った時のような感情を殺したものではなく、年相応に少女らしい愛くるしさを感じさせた。

 言葉遣いも堅苦しいものではなく、まるで本当の兄に語りかけているようだった。

 そう言えば、自分の上には永劫といおう兄がいたからか、妹の永遠からはこうやって〝お兄ちゃん〟と呼ばれたことがなかったので、逆に新鮮な感覚だった。

「……それで、緋胤。ちょっといいか?」

「うん、どうしたの?」

「なんで俺は――膝枕されてるんだ?」

 彼女の言葉に頷いた久遠は、神妙な表情で問いを投げかけた。

 彼は今、緋胤の両腿(もも)に頭を乗せる形で仰向けになっていて、この状態は俗に言う膝枕と呼ばれるものに間違いなかった。

「えっと……お兄ちゃん、気を失ってたから。そのままだと、身体が痛くなるんじゃないかな、って思って。緋胤の力じゃ、引っ張って移動するのも無理だし」

 久遠の問いに対して緋胤は慌てて状況を説明し、恥ずかしそうに顔を俯かせる。

 どうやら緋胤は気絶した久遠を発見して、こうしてずっと看病をしてくれたのだろう。

「あの、その……迷惑だったなら、ごめんなさいっ! そうだよね、お兄ちゃんも緋胤なんかより、もっと可愛い子にしてもらった方がいいよね……一緒に来た人みたいな……」

「いや、待て待て。迷惑なんかじゃないって。ずっとこうしてくれてたんだろ? ありがとうな。俺、重くて大変だったろ」

 あたふたと動揺しながら先走った答えを返す緋胤を見て、久遠は穏やかに笑いながら感謝の言葉を告げた。そして右手を頭上の緋胤の頭に伸ばし、優しく彼女の頭を撫でた。

「はぅ……」

 久遠に礼を述べられ頭を撫でられると、緋胤はトロンとした蕩けるような表情で、鳴き声のように心地よさそうな声を漏らす。そんな様子を見て、久遠はまるで小型犬のようだな、と思っていた。久遠はここに来て、緋胤に対する印象が百八十度変わっていた。

 地下で見た彼女は無表情でどこか機械的だったが、今こうして接している緋胤は年相応の表情を見せている。どちらの彼女が本当なのか、久遠には分からなかった。

「でも良かったぁ。お兄ちゃんが倒れちゃった時、本当にどうしようって思ったから……」

 暫く久遠に頭を撫でられ恍惚の表情を浮かべていた緋胤は、ポツリと呟きを漏らす。

「倒れた時、って……もしかして、さっきのアレ見てたのか?」

「あ――ええっと、その……」

 緋胤の言葉を聞いて、久遠はハッと問いかけた。

 倒れていた、ではなく倒れたということは久遠が倒れた瞬間を見ていたという言い回しで、だとするならば、先ほどの琴華との口論も彼女には見られていたということになる。

「ご、ごめんなさいっ……!」

 久遠が投げかけた咄嗟の問いに緋胤は答えあぐねていると、やがて観念したようにバッと頭を下げて震える声で謝罪した。

「覗き見するつ気なんてなかったの……ただ、お兄ちゃんにどうしても言いたいことがあって……それで、追いかけてたら、偶然、見ちゃって――」

「言いたいこと……?」

 頭を下げながら口早に言葉を続ける緋胤に、久遠は不思議そうに首を傾げる。

 彼女が自分になにを言いたかったのか、久遠には想像がつかなかった。

「そ、その――ありがとう」

 緋胤は頭を上げて、揺れる瞳で久遠をジッと見つめると、再び勢いよく頭を下げて感謝の言葉を口にした。

「緋胤たちのために怒ってくれて、本当にありがとう……っ!」

 頭を下げたまま、緋胤は身体を震わせて、精一杯の感謝を口にする。その声は僅かにだが震えていて、彼女が本心から感謝していることが久遠にも分かった。

「わたしたちのこと、あんな風に心配してくれた人なんて、今までいなかったから……すごく、嬉しかったの! きっと、みんなも同じように思ってるはずだよ」

 顔を上げて泣き笑いのような喜びと戸惑いが入り交じった表情で、緋胤は必死に久遠への感謝の言葉を紡ぎ続ける。

「でも、緋胤たちのことは忘れて。ね? それがきっと、お互いのため……だから」

「どういうことだよ……?」

 緋胤は寂びそうな笑みを顔に張り付かせて、暗く沈んだ声で久遠に告げる。久遠は彼女がどうしてそんなことを言うのか分からず、ようやく起き上がって怪訝そうに尋ねた。

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