第18話アンデット×リフュート2

「ち、違う……」

「違わねぇよ。お前はあいつらを直視してなかった。それは見るのが辛かったからだろ?」

「違う! 私は――」

「じゃあ、なんでずっと黙ってたんだよ! いつものお前なら、あの時の俺に嫌味の一つでも言ってるはずだぜ?」

 琴華は久遠の言葉を必死に否定しようとするが、首を横に振るだけで上手くいかない。

 久遠はそれに畳みかけるように言葉を続けていく。

「お前が天華さんのことを一番に思ってるのは知ってる。でもな、そうやっていつまでも自分を押し殺して、勝手に傷ついて、でもその傷は見せなくて……そんな自己満足、天華さんが喜ぶわけねぇだろ!」

 久遠は思いの丈を洗いざらい吐き出すように声を上げる。

 それは天華の話を聞いた時からずっと思ってたことだった。

 琴華は天華のことを思うあまり、自分の気持ちをいつも押し殺している。

 話を聞いた限りではずっと二人で助け合って暮らしてきたのだから、そうなってしまうのは仕方のないことなのかもしれない。

 しかし、天華はそんな状況を憂いているのも事実で、お互いがお互いのことを想い合っているのにも関わらず、歯車が噛み合っていない現状を久遠はどうにかしたかった。

 この優しすぎる姉妹をどうにかしてやりたい、そう思っていた。

「たまには、素直に気持ちを打ち明けろよ! 遠慮しないで頼ってやれよ! 言いたいことも言えないなんて、そんなの本当に家族って言えるのかよ!!」

 だから、久遠は必死に言葉を続ける。

 全身全霊で一切の妥協もなく、自分の想いを琴華に伝えるために。

『黙れ』

 琴華は掠れた声で静かに言霊を紡ぐと、力尽くで久遠の口を閉ざそうとする。

「さっきからいったい、なんなの! 部外者の分際で好き勝手に言わないで! アンタになにが分かるのよ!?」

 言霊で久遠の反論を封じた上で、琴華はヒステリックに声を上げて喚き散らかす。

 それはまるで駄々をこねる子供のようで、これ以上の言葉は聞きたくないという彼女の弱さの表れでもあった。

「い や だ ね っ !!」

 だが久遠は必死の形相で歯を食いしばり、そんな琴華に対して答えてみせる。

「う、嘘――言霊を……破った!?」

 琴華は絶対遵守の言霊に抗ってみせる久遠に対して、まるで信じられないものを見るかのような顔で驚愕していた。その表情の大半は驚愕で占められていたが、未知の存在に対する怯えや戸惑いといった感情も僅かに見え隠れしている。

「分からないから……部外者だから、こうやって好き勝手に言ってるんだよ。お前は天華さんと近すぎるから分からないと思うけど、傍目から見りゃ嫌でも気づくんだっての」

 久遠は一歩、また一歩とぎこちない動作で、身体を無理やり動かして歩みを進めて行く。

 今現在も久遠には『動くな』という言霊によって、脳からの命令が制限されている。

 本来であればその呪縛から逃れることはできず、久遠は琴華が命令を解除するまでその場に止まっていただろう。

 しかし久遠は先ほどの『黙れ』という言霊も破り、今も逆らって身体を動かしている。

「へっ……精神力の問題ってんなら、要は気合いだろ?」

 狼狽する琴華を見て、久遠は苦しそうに表情を歪めながらも不敵に笑って見せる。

 確かに言霊に抗うには強靱な精神力が必要だ、と天華は言っていたが実際にそれを実行するのは並大抵のことではない。

 琴華の言霊は脳からの命令に割り込む形で、身体の支配権を奪う仕組みだが、それに対抗するということは、脳への多大な負荷がかかっているということになる。

 通常は言霊に命令系統を割り込まれると、脳への負荷を察知した身体のリミッターが働いて、それ以上の抵抗はしないようになっている。

 しかし、今の久遠はそれに抗っているので、一つの脳に二つの脳に相当する負荷がかかっている状態なのだ。脳内では本来の命令系統と琴華による言霊で、身体の支配権を綱引きし合っている状態、と言えば分かりやすいだろうか。

 久遠が苦しそうなのはその負荷が原因であり、この状態が長く続けば廃人になってしまう恐れがある。琴華はそれを分かっているからこそ、こうして動揺していた。

「一回しっかり天華さんと腹割って話してみろよ? あの人ならきっと、本音だって受け入れてくれるって。お前はまだまだ子供なんだから、たまには甘えてたっていいんだぜ」

 久遠はゆっくりとふらつく足取りながらも、その場に立ちすくむ琴華の目の前まで辿り着くと真剣な表情で訴えかける。

 そして最後、フッと表情を柔らかくして、優しい口調でそう付け加えた。

「なによ……なにも知らないくせに、言いたい放題言って……」

「さっきも言ったろ? 知らないからこそ、見てられないんだよ。お前と天華さんは、お互いがお互いを想い合ってるのに、上手く噛み合ってないんだ。そんなの悲しすぎるだろ」

 顔を俯かせ震える声で毒づく琴華に、久遠は柔和に笑いながら言葉を続ける。

 弱々しく震える小さな身体を思わず抱き留めてやりたいという衝動にも駆られたが、その役目は自分ではではないと分かっていたから、久遠はただ真摯に言葉をかけていった。

「……あの男――久々津解良は純血統の退魔師よ。久々津家は最強と畏怖されている退魔宗家には含まれていないけど、『人形師』の異名を持つ人形(ひとかた)の分家。アンタじゃどう足掻いたって勝てる相手じゃない」

 琴華は顔を俯かせたまま、久々津についての情報を口にする。

 純血の退魔師、ということは久々津解良は生まれながらの異能者にして、その能力を対能力者に特化させてきた退魔の一族であるということだ。

 現に久々津の本職は社会に害悪な異能者を相手取る神祇省所属の討魔官であり、戦闘の技術や経験値は素人も同然な久遠と比較すれば段違いだろう。そんな久々津に刃向かうということは、自殺することに等しいことだと琴華は忠告しているのだ。

「それでも、やるしかねぇだろ」

 久遠は諦めていなかった。その表情には覚悟の色が表れていて、一歩も引く気配がない。

 そんなことは最初から分かっている、とでも言いたそうな口振りで久遠は答える。

「なにか策があるの?」

「いや、特に思いつかねぇ」

 顔を上げて問いかける琴華に、久遠はあっけらかんと答える。

「勝算はないわけじゃないけど、かなり低いとは思う。正直、キツイな。でもお前が協力してくれるんなら、話は別だけどな」

「…………」

 肩を竦めながらフッと表情を緩めると、久遠は冗談めかした口調で言葉を続ける。

 そんな久遠の言葉に琴華は答えず、答えあぐねるように沈黙した。

「悪い、冗談だよ。俺の喧嘩にお前を巻き込む義理はねぇしな」

 琴華を困らせてしまったことを謝罪すると、久遠は頭を振って付け加える。

「ただ今回は見逃してくれねぇか? あとで必ず責任は取るから……頼む!」

 ギギギ、と油の切れたゼンマイ仕掛けの玩具のようなぎこちない動きで、久遠は深々と頭を下げて琴華に頼み込んだ。依然として言霊による命令は久遠を縛っていて、それに抗うことによって生じる苦痛に耐えながら久遠は真摯に頭を下げ続ける。

 久遠もこんなことで依頼をふいにする責任は取れるとは思っていなかったが、せめても誠意を示す方法を彼は他に思いつかなかった。

『命令解除』

 しばらくの間、静寂がこの場を支配する。しかし、沈黙を破ったのは琴華の声で、その言葉を聞いた瞬間、久遠を縛っていた言霊が一気に消失した。

「…………」

 深々と下げていた頭をおそるおそる上げると、久遠は琴華の様子を見ようとする。

「私はなにも見なかったし、聞かなかった。そういうことにしておいてあげる」

 琴華はそれだけ告げると、久遠を一瞥することなく足早に去って行く。

「……悪ぃ、ありがとな。この借りは絶対に返すから!」

 去って行く琴華に対して、久遠は精一杯の感謝の気持ちを告げた。

 結局、彼女は協力こそしてくれなかったが、久遠の蛮行を見逃してくれたのだ。

 この現場において責任者である琴華は責任を問われるだろうし、依頼を反故にしたとなれば社長の天華に迷惑をかけてしまうことも避けられない事実だ。

 個人のワガママを通すためにたくさんの人間が被害を被るという現実に胸を痛めながらも、同時に彼はさらに決意を堅くした。ここまで来たら必ずあの子供たちを助けると。

『せいぜい勝手にしなさいよ』

 そんな久遠に琴華は振り返ることなく、森の中へと消えていった。

 最後、ただ短く言霊を放って。

「……あれは言霊、だったよな?」

 久遠は琴華が去ったあと、不思議そうに首を傾げる。

 言霊が耳の奥から脳髄に浸透して、脳全体が痺れるような感覚を確かに感じたのだが、これまでの言霊とは違って特に自由を奪われた感触はなく、今も活動に支障は無かった。

 言霊の内容も『勝手にしろ』と、具体性がまったくないことも関係しているのかもしれないが、結局のところ琴華の真意を掴むことまではできなかった。

「あ――ヤバイ……」

 緊張が解けた瞬間、クラッと視界が揺らいでいく感覚。グルリと世界が回転して、意識が揺らいでいく。実際のところはただ久遠がバランスを崩して地面に倒れ込んだだけであって、言霊に長時間抗い続けたツケがここにきて回って来たのだ。

 こうして久遠の視界はブラックアウトし、急速に意識も遠のいていく。薄れゆく視界の端に小さな影が駆け寄ってきた気がしたが、今の久遠に確かめる術はなかった。

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