第16話アンデット×ファーム3

「ああ、言い方に語弊がありましたね――精神的に死ぬ、と言った方が正しい。肉体的には生きていますが、精神が崩壊しているので生ける屍といった状態ですかね」

 苦笑混じりに補足する久々津は、薄い笑みを表情に張り付かせながら言葉を続けた。

「そういった〝不良品〟にも使い道はあります。一応は異能因子を宿す個体ですから、〝苗床〟にくらいは使えますからね」

 そう答えると久々津の目はスッと細くなり、口角は愉悦に歪んでいく。

 瞬間、ゾワリと背筋に怖気が走って行くのを久遠は感じていた。

 久遠は久々津がなにを言っているのか完全に理解することはできなかったが、それが意味することをニュアンス的には理解していた。

 この言葉の続きを聞いてはいけない、と本能が警鐘を鳴らすが、耳をふさぐこともその場から逃げ出してしまうことも久遠にはできなかった。震える手足ではそれも叶わない。

「つまりは――子供を孕ませるのですよ。あの年齢でも初潮が来てさえいれば、生物的には妊娠は可能ですからね。私も今は没落したと言え、退魔の家に産まれた純血の能力者なのですから。そこらの雑種よりかはいくらかマシな個体が産まれることでしょう」

「お前……自分がなに、言ってんのか……分かって、んのか?」

 続けられた言葉を聞いて、久遠は必死に問いかける。

 なにかの間違えであってくれ、そう願うように、祈るように問いを投げかけた。

「家畜の種付けと同じですよ。私という優秀な遺伝子を継がせてやるのですから、不良品たちも本望でしょう。まあ年が年なので行為の際は手間取るのがいささか面倒ですが、慣れてしまえば、あれはあれで良いものですよ。せっかくですから、君も試してみますか?」

 しかし、久遠の祈りをばっさりと両断するように、久々津は答えを返す。

 その表情は下卑た醜悪な笑みに歪んでいて、この牧場(せかい)におけるヒエラルキーの頂点君臨する捕食者の愉悦がありありと感じられた。

「ふっ、ざけんな――ッ!」

 沸き立つ怒りはようやく恐怖を凌駕し、その衝動のままに従った久遠は怒号を上げながら久々津の襟元を掴みかかる。

「てめぇは何様だ? どうして、そんな酷ぇことができんだよ!! 相手は子供だろ!?」

 今まで溜め込んできた怒りや嫌悪感を全て吐き出すように、久遠は力の限り声を荒げて久々津の悪逆非道な行いを糾弾する。

 この理不尽な光景を認めることが、久遠にはどうしてもできなかった。

「――やれやれ」

 久々津はその形相に一切も動じることなく、むしろ酷く冷めた表情で久遠を見据える。

 その瞳は酷く冷たい眼光を宿していて、久遠はジロリと目が合った瞬間に思わず息を呑み込んでしまう。

「彼らの飼い主(オーナー)は私ですよ? どう扱おうと、非難される筋合いはありません」

「どういうことだ……?」

「私が適当にそこらの子供たちをさらってきて、こんなことをしているとでも? いいえ、彼らは来るべくしてここに来たことを君は知らない」

 呆れたように笑いながら久々津は答える。

 久遠は言葉の意味が分からず尋ね返すと、久々津は言い聞かせるように言葉を続けた。

「ここにいるのは全て、〝棄児(ウェス)〟と呼ばれる出生を望まれなかった子供たちです。想定外の妊娠や愛人の存在、生活苦、育児放棄といった親の都合で児童養護施設へ捨てられた捨て子。もしくは事故などで身寄りが亡くなってしまったり、虐待を受けて親から離れて暮らしていたりする身寄りのない子供たちを我々が保護しているのですよ」

 久々津の説明を聞いて、久遠は改めて考えを巡らす。

「中には中絶の打診に来た妊婦に対して金額を提示し出産させて、こちらで引き取ったりもしています。最近になって日本の中絶手術の件数が減ってきているのをご存じですか? 我々は本来、産まれてくる前に殺されていた生命まで守ってきていると言ってもいい」

「それでもこんな仕打ちはあんまりだろ! せっかく助かった命も意味がねぇ……!!」

「勘違いしてもらっては困るのですが……こちらも別に慈善事業で、彼らを養っているわけではないのですよ。命を助けた見返りに、能力を発現させて役に立ってもらわなければ。人間を育てるのは大変な費用がかかりますからね。少なく見積もっても五人に一人、丁種までなってもらわなければ、採算が取れない。まあ、発現した能力によっては売値も大幅に上がるので、そこで取り返すこともできますが」

「そんなの、家畜と変わらないじゃねぇか……こいつらは人間だ!」

「いいえ、彼らは金で売られてここに来た。私はその見返りとして利益を求めるのですから、家畜となに一つ変わりませんよ。能力が発現して出荷されるまで、彼らには人権などは存在しないのです。その代わり機会と才能にさえ恵まれれば、一人の人間としての人権を獲得するチャンスもあるのですから、随分と良心的でしょう?」

 激昂する久遠とは対照的に、久々津はどこまでも冷静で冷めた態度だった。

 その反応が二人の温度差を顕著に表している。

 外国などで饑餓で当たり前のように人が死んでいく現状を国外の人間は、さも悲劇のように声高々と語るが、現地の人間にとってそれはあくまで日常の一巻でしかない。

 だからそこに温度差が発生する。安寧と命を保証された日々を浪費する人間と違って、彼らにとって死は常に隣り合わせであり、決して珍しいことではないのだから。

 産まれてから裏の世界を生きてきた久々津にとってこれは大して珍しいことではなく、毛ほどの罪悪感も感じていないのだろう。ただ、最近まで平穏な世界を生きてきた久遠にとっては、見過ごすことができない惨状なのだ。

「産まれた瞬間に人生が決められていることなど、この世界では珍しいことではない。私も退魔師の家系に産まれた宿命から、あらゆる未来を剥奪され討魔官として能力者を狩る生き方を強制されました。独自の自治が許容されている鬼血の人間と違って、退魔師はこの国にとって一介のCHE発症患者でしかない。生まれつき異能を宿している以上その力を国のために捧げなければ、他の患者と同じように隔離病棟送りですよ」

 久々津の表情は苦々しく、憎しみに歪んでいく。それは己の人生を自分以外の誰かに決定づけられ、夢を抱く権利すら剥奪されたことに対する禍々しい憎悪によるものであった。

 彼も本質的には今、電気椅子に括り付けられ拷問を受けている子供たちとは、なんら変わらない。ただ彼の場合は、少し運が良かっただけだ。

 一歩間違えれば、こちら側に回って来ているのかもしれないのだから。

「私には夢があった! しかし、この国ではそれを抱くことすら許されなかった。普通の人間なら当然のように持っている権利を、資格を、可能性を、呪われた血が流れているが故に産まれながら剥奪された! 狩魔(かるま)や討浄(とうじょう)、檻籠(おりかご)や防守(さきもり)のような退魔宗家に生まれればいいが、私のような分家筋の退魔師は命を賭して、この守る価値もない国のために戦わなければならない」

 久々津は声を上げて、その口から呪詛の言葉を吐き散らかす。

 生まれながらにして奪われ続けてきた男が抱く憎悪の念は、身体に染み渡り呪いへと変わった想いは取り返しのつかないほどに彼を侵していた。

「だったら――」

 口元を禍々しく哄笑に歪め、久々津はニヤァと笑う。いや、嗤った。

「こうして多少、甘い汁を吸ってもいいじゃありませんか。私にはその権利がある!!」

 そう言うと久々津は声を上げて笑い出した。

 おかしくておかしくてたまらない、そう言わんばかりに彼の哄笑が部屋に響き渡る。

 背後から聞こえる子供たちの絶叫をBGMに、最悪の音色が奏でられている。

「そんな、やられたからやり返すなんてやり方が通っていいわけねぇだろ!」

 久遠は固く握りしめた拳を久々津の頬に目がけて、力任せに振り下ろそうとした。

 自らが虐げられてきたから、他人も同じように虐げることが許される道理なんてない。

 親に虐待されて育った子供は、自分の子供に対して虐待をするのは、当人にとってそれが当たり前であるからだと言われている。ただしそれは、長期に渡って虐げられてきたことにより、倫理観が欠落しているからであって決して許されることではない。

 おそらく、久々津の歪んだ倫理観はそれに近い形で圧迫され、歪んでしまったのだろう。

 その境遇には同情もするし、この国における能力者の扱いには久遠も憤りを感じている。

 だからといって、目の前の惨状を認めるわけにはいかなかった。

『動くな』

 今まで沈黙を貫いていた琴華が短く命令すると、久遠の動きはその瞬間に停止する。

『手を離して、後ろに下がれ』

 続けて琴華が命令すると、久遠は久々津の襟元を掴んでいた手を離し、命令に従って後ろへ下がった。

「おい、止めるんじゃねぇ! 俺はこいつに――」

『黙れ』

「……? ~~!?」

 言霊での強制に久遠は抗議しようと声を上げるが、それも再びの命令に遮断される。

 〝黙れ〟と命じられた瞬間、まるで声帯がなくなってしまったかのように久遠は言葉を発することができなくなり、パクパクと金魚のように口を動かして、驚愕の表情を浮かべながら必死に声を出そうとしていた。

「まったく、今回はとんでもない人間を寄越したものですねぇ」

 久遠に掴まれて乱れた襟元を直しながら、久々津は溜め息混じりに琴華に話かける。

「依頼は完遂する。そうすれば問題ないでしょう?」

 非難めいた視線で嫌味を言う久々津をあしらうように、琴華は淡々と答えた。

「こちらとしても、依頼通りの仕事をしてもらえれば問題はないですよ」

 肩を竦めながら「先ほどのことは不問にして差し上げましょう」という久々津を一瞥すると、琴華は踵を返して地下室から出て行こうとする。

 しかし、これが久遠は唯一の抵抗だと、無言のまま久々津を睨み付けていた。

『着いてきて』

 だがそんな抵抗も琴華の命令の前では無意味に等しく、久遠の意思とは裏腹に身体は踵を返して地下室から立ち去ろうと動いている。

 もはや久遠にできることはただ久々津を睨み付けることだけで、それは彼の視界から久々津の姿が消えるまで続けられた。


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