第13話アンデット×トレーニング2
「……なあ?」
「…………」
「なあ? ……おい、なあってば」
「……なに? さっきからうるさいんだけど」
現場へ向かう道中。迎えに来たワゴン車の中で後部座席に乗っている琴華に対して、その前の席に座っている久遠は背後を振り返りながら何度も声をかけていた。
そんな久遠に対して琴華は無視を決め込んでいたが、あまりのしつこさに耐えかねたのか不機嫌そうな声色でようやく言葉を返した。
「まあ、そう言うなって。車内でずっと、お互いに無言ってのもなんかアレだろ?」
苦笑混じりに言う久遠。
迎えの車を待っている間こそは散々、久遠に対して罵倒やら嫌味を言い続けていた琴華だったが、車に乗り込むなり後部座席に座り込むと沈黙を貫いていたのだ。
最初こそは琴華の辛辣な言葉から解放されて安堵した久遠だったが、車内を支配する気まずい沈黙に耐えきれず、ついつい声をかけてしまったのだ。
「私は一向に構わないんだけど。ようやく、アンタの顔を見ないで済むと思ったのに、邪魔しないでくれる?」
返ってきた答えは素っ気なく、彼女が久遠との会話に興じるつもりはないらしい。
「じゃあ、仕事について質問させてくれよ。今日はこれから、どこに行くんだ?」
今日の研修先については琴華に同行していく、ということしか聞いていなかった久遠は具体的にどこまで行くのか質問した。
少なくとも近所ではないだろうが、どこまで向かうのかは知りたかった。
「今日の現場はG県、その山間部よ」
「G県……? ここから確か県を一つ越えた辺りだよな。しかも山間部って、なんでまた」
「依頼があったからでしょ」
「まあ、そりゃそうだけど」
琴華の答えを聞いて、久遠は自らの記憶を思い返してみる。
現在の場所から目的地は、高速道路を使っても二時間半以上はかかる距離であり、そこそこの移動時間がかかりそうだ。
「じゃあ、仕事の内容はなんなんだよ?」
久遠は続けて問いを投げかける。
G県と言えば自然が豊かな印象、率直に言ってしまえば田舎というイメージが強い。
しかもこれから出向くのが山間部と言うことは、文字通り山に囲まれた場所なのだろう。
いったいそんな場所でどんな仕事をするのか、久遠には想像がつかなかった。
「今回の仕事は施設警護よ」
「施設警護……? それって、警備員みたいなもんか?」
「常識的に考えれば、そんなこと当然でしょ」
「へぇ、ウチって警備会社みたいなこともやってるのか」
久遠は派遣会社と聞いていたヘブンフラワーズが、警備会社のような業務も行っていることに感心するように声を漏らした。
流石はペットの世話から人殺しまで請け負う、とまで言うだけのことはある。
「それで、警備するのはどんな場所なんだよ?」
ゴクリ、と固唾を飲むと、久遠は少し声色を堅くしながら尋ねた。
一般的な施設の警護ならば、それこそ民間の警備会社に頼むのが普通だろう。
しかし、わざわざ非合法の依頼を請け負っているヘブンフラワーズへ依頼してきたということは、その対象である施設も表沙汰にできない代物ではないか、と久遠は思っていた。
「…………」
しかし、琴華からの答えは返ってこない。ずっと窓の外を見ていた琴華は、この時初めて久遠に顔を向けた。そしてただ押し黙り、そのまま久遠を見つめ続ける。
その目には今までのように侮蔑や嫌悪感など敵対心は存在せず、ただ純粋に久遠を値踏みし観察するような鋭くも怜悧な眼差しだった。
「着けば嫌でも分かるから」
だがそれも一瞬で、やがて琴華は久遠から顔を逸らす。
素っ気なくただ短く答えると、再び窓の景色に視線を戻した。
てっきり『そんなことくらい自分で考えれば? アンタの脳みそは空っぽなの?』などとあしらわれること覚悟していた久遠は、どこか肩すかしを食らったような心地だった。
「確かに着けば、依頼人から説明してくれるか」
琴華の言うことももっともであり、久遠はこの質問を深追いすることは止めた。
なんとなく今の琴華の様子が、喉に魚の骨が刺さったような違和感になってはいたが、些細な問題だと判断することにした。
「そういや、今日は制服じゃないんだな」
久遠は仕事の話はここまでで打ち止めて、世間話に話題をシフトする。
今日の琴華の服装はいつものセーラー服ではなく、所々にフリルやリボンなどの装飾が施されているゴシック調の黒いワンピースだ。
スカートの中からは黒のソックスがスラリと伸びていて、肩まで伸ばされた艶やかなな黒髪と相まって、まるで闇そのものをまとっているようだと久遠は感じた。
素直に言えば、西洋人形のように可愛らしくも綺麗だと思ってもいた。
「なにか文句ある? 今日は学校が休みなんだから、私服なのは当然でしょ」
「いや、文句はないけど。ただ、似合ってると思って」
不機嫌そうに眉を吊り上げながら、棘のある答えを返す琴華。
しかし、久遠は特に考えもなしに、そのまま思ったことを告げた。
「なっ――」
すると琴華はバッと久遠の方を向き、驚愕に表情を歪めながら思わず声を上げてしまう。
「な、な、な――なに言ってるのよ、アンタ。い、いきなり。頭おかしいんじゃない」
「いや、だからその服装が似合ってるな、って」
頬を赤らめながら矢継ぎ早に問いかけてくる琴華を見て、久遠は小首を傾げながら平然と言葉を続けた。
あそこまで冷淡な態度を貫き通してきた琴華が、どうしてここまでしどろもどろに動揺しているのか久遠には分からなかった。
「言っとくけど、おだてようとしても無駄。アンタに褒められても、虫酸が走るくらいにしか感じないから」
「相変わらず酷(ひで)ぇな。普通にしてりゃ可愛いのに、そうやって悪態ばっかついてるともったいないぜ?」
フンと鼻を鳴らしながら腕組みをする琴華だが、その表情はまだ羞恥に赤らんでいる。
辛辣な罵詈雑言にも、いつものような勢いがなかった。
そんな琴華を見て、久遠は苦笑混じりに言葉を続ける。
「別にアンタには関係ないでしょ?」
「そりゃそうなんだけど。せっかく可愛いのに、なんかもったいないって思ってさ。お前、彼氏とかいないのかよ? 同じ学校のヤツとか、さ」
「いない。欲しいとも思わない。私は姉様以外の人間に、どう思われたって構わないし。それに私が通ってるのは女子校だから」
「そういう問題か? まあ、学生時代は色々としておいた方がいいぜ」
「うるさい。あまり年も違わないくせに、年上ぶるな」
「悪い悪い。そんな怒るなって」
表面上はつんけんとした口調だが、最初よりはそれもやや薄まってきている琴華。
久遠は笑みを浮かべながら、徐々に弾んできた会話に手応えを感じていた。
「じゃあ、休みの日とかはなにやってんの?」
「…………」
「なんか趣味とかある?
「…………」
「好きな食べ物とかは?」
「…………」
「あ、ちなみに俺は、焼き肉とか好きなんだけど。昨日、就職祝いで焼き肉を食って――」
「ああ、もう――さっきから、うるさい! さっきから、アンタはなにがしたいわけ!?」
久遠の言葉を再び無視し続けていた琴華だったが、質問攻めに辟易したのかキッと久遠を睨み付けながら苛立たしげに声を上げる。
「あ、いや……流石にしつこかったか。悪いな」
そんな琴華の様子を見て、久遠はばつが悪そうに頭を掻く。
「実は少しでも打ち解けたくてさ。お前が俺のこと嫌いなのは分かってるけど、これから一緒に仕事するんだからこのままじゃお互い嫌だろ?」
天華から頼まれた手前もあるが、久遠自身も琴華と少しでも打ち解けたかった。
琴華はこれから同じ職場で働く仲間であり、そんな彼女といつまでも険悪な仲ではお互いのためにならない。だからこうやって親睦を深めようとして、空回りしてしまったのだ。
「天華さんだって、俺たちがいつまでもいがみ合ってたら困るだろ? だから、仲良くしようとまでは言わないから、お互いのことを知るところから始めようぜ」
柔和な笑みを浮かべながら、久遠は諭すように言葉を続ける。
天華の名前を出せば、琴華も自分の言い分を聞いてくれるのではないか。
そういった算段が、久遠の中にもあったのかもしれない。
「――ふざけるな」
しかし、結果的にそれは逆効果だったのかもしれない。
付け加えるように言った久遠の言葉を聞いた瞬間、琴華の表情は豹変した。
その瞳にギラギラと憤怒の光が宿り、射殺すような鋭利な眼差しでキッと久遠を睨む。
初めて自分を見た時も、彼女はこんな目をしていたことを久遠は思い出した。
「本当に私や姉様のことを思ってるなら、今すぐにでもウチを辞めてここから消えてよ」
憎しみに歪んだ口から吐き出されたのは、既に言葉ではなく呪詛の類いか。
沸々とわき上がる憎悪の熱が、言葉越しに久遠へと伝わっていく。
どれほど憎しみを抱けば、このような声が出せるのか。
どうしてそこまで彼女が自分を恨んでいるのか、久遠には分からなかった。
「なあ……そんなに目の敵にするんだよ。俺、なんか悪いことしたか?」
だから、久遠は意を決して尋ねることにした。
自分の嫌われている理由を面として聞くのは、とても怖いことだ。
拒絶されることは恐ろしい。
否定されることは悲しい。
嫌悪されることは辛い。
相手に受け入れられない部分を明確にする、ということは一種の処刑なのかもしれない。
それを聞いてしまえば、相手によって否定された自らの一部が死んでいく。
きっとそれは辛いことだ。今まで見ないようにしてきた傷を抉る行為に等しいだから。
でもそれを知らない限り、自分は琴華との心の距離を詰めることができない。
そう思って久遠は、僅かに震える声で問いかける。
「……苛つくのよ」
久遠の問いを聞いて、琴華はポツリと言葉を漏らす。
その表情はまるで、苦虫を噛み潰したような苦渋に満ちていた。
「なんなの、お前。いきなり私と姉様の間に割り込んできて。邪魔しないでよ」
今にも泣き出しそうな表情で、琴華は声を荒げた。
そんな彼女を見て、久遠は驚愕に目を丸くする。
「姉様の隣は私の場所なの。どうしてぽっと出のアンタがそこに居座るのよ。ふざけるな」
「ちょっと待てって。天華さんの隣、って言ったら妹のお前がいるだろ。俺なんかが割り込めるわけないって」
矢継ぎ早に放たれる言葉を聞いて、久遠は慌てて答えを返す。
琴華の言い分が、久遠には分からなかった。彼から見れば天華と琴華は仲の良い姉妹であり、自分がそこへ割り込むことなんて到底できるとは思っていなかったからだ。
「私生活はそうかもしれない。でも、仕事の時は違う。姉様は仕事中、なるべく私に近づかない。どうしてか分かる?」
「……いや、分からない」
しかし、琴華は久遠の言い分を否定する。
そして投げかけられた問いに、久遠は答えることができなかった。
「それは姉様の能力のせいよ。自らの死を他者へ逸らす体質上、姉様は仕事中に自分の傍へ人を近寄らせない。死を移す対象がランダムである以上、姉様が望まなくとも、自分と親しい人間も能力の巻き添えになる可能性があるから」
「それなら、どうして俺は大丈夫なんだよ」
天華が身内の人間のことを慮ってることは分かった。確かに彼女の能力を鑑みれば、それは当然なのかもしれない。初めて出会った時のように、彼女の立場は恨みを買いやすい。
命を狙われて襲撃されることなんて日常茶飯事だと本人も言っていた。
だから天華は自らの能力で、誰かが死んでしまうことは避けたかったのだろう。
しかしどうして、自分だけは例外なのだろうか、と久遠は尋ねる。
「分からない? アンタは死なないんでしょ? だから、姉様はいつもみたいに気を使わなくていい。アンタはそれだけの理由で選ばれた。それが気に入らないのよ」
なるほどな、と久遠は溜め息混じりに納得したように頷く。
確かに久遠ならば、天華の能力で巻き添えを受けても死ぬことはないだろう。
本人としてはいくら死なないと言っても痛覚は感じるので、なるべくダメージは負いたくない。でも死んだらそこで終わりである普通の人間と比べれば、確かに久遠は天華の傍にいることが適任なのかもしれない。
「それなのに……どうしてアンタは、姉様の隣(そこ)にのうのうと居座ってるのよ!? 私がどんなに頑張っても辿り着けなかった場所に、なんでアンタなんかがいるのよ!」
琴華にはそれが悔しいのだろう。努力ではなく、天性の適性によって天華の隣にいることを許された久遠が、彼女にとってはこの上なく羨ましく同時に妬ましいのだ。
「私はずっと必死に努力してきた。いつか姉様の隣に並び立てるように、死に物狂いで頑張ってきた。でも姉様はまだ私を認めてくれない。隣に立つことを許してくれない」
琴華はさらに声を荒げて言葉を続ける。その姿はまるで駄々をこねる子供のようだった。
「アンタは違うでしょ? なんの努力もせずに、偶然の産物だけ頼ってそこにいる」
報われなかった想いはやがて呪いへと変わり、彼女自身を蝕んでいく。
努力は徒労へと成り果て、どうすることもできない理不尽に対して琴華は憤る。
自分自身では解決することができない以上、彼女の胸に渦巻く気持ちは行く当てを失い、結果として久遠へと飛び火した。
久遠からすれば八つ当たりも甚だしいが、琴華にはそうするしかなかったのだ。
「そんな能力があるだけで、姉様の隣にいられるなら――」
だから、琴華は叫ぶ。
羨望と嫉妬がグチャグチャに入り交じった声で、久遠を妬まずにはいられなかった。
「私だって、そんな力が欲しかった。そうすれば、いつだって姉様の隣にいられるから!」
私はお前が羨ましい。その力さえあれば、自分は天華の隣に立てたのに、と琴華は叫ぶ。
「――それ以上は止めてくれ」
琴華の言葉を遮るように、久遠は言葉を放つ。
その声は今までの彼とは一変して、重苦しい威圧感を孕んだものだった。
「頼むからそんなこと言うな。こんな力が羨ましいなんて、冗談でも言うんじゃねぇよ」
必死に歯を食いしばりながら、久遠は苦々しく呟きを漏らす。
その表情は苦悶に歪んでいて、まるで苦痛に耐えているようだった。
「…………」
どこか鬼気迫る久遠の様子に琴華は、それ以上の言葉は続けることなく再び視線を窓の外へと向けて押し黙る。
「…………」
久遠も先ほどまでのように、琴華に話かけることはせず前を向いて沈黙する。
こうして車内から一切の会話が途切れ、再び静寂がその場を支配する。
結局、目的地に到着するまで、久遠と琴華は言葉を交わすことはなかった。
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