間章

第11話アンデット×アットホーム

「ただいまー」

 それから会社を出た久遠は、そのまま自宅へ帰って来た。

 玄関の扉を開け家の中に入ると乱雑に靴を脱ぎ、自分の部屋へと向かって行く。

 昨日と今日の出来事で疲れ切っていて、一刻も早く布団に入りたい心地だった。

「あ――くー兄!」

 廊下を歩いているとちょうど居間から出て来た少女が、久遠の姿を発見して声を上げる。

 フワフワとしたなだらかなウェーブのかかったダークブラウンの髪を肩まで伸ばし、上は紺のカーディガンで、下はチェックのスカートという制服姿の少女は、そのまま久遠の近くまで歩み寄ってくる。

「よう、永遠(とわ)。ただいま」

 それを見て久遠は片手を挙げて、気安い調子で少女の名前を呼ぶ。

 彼女は不死川永遠(しなずがわとわ)、三歳年下で都内の高校に通っている久遠の妹だ。

「もー、泊まってくるならちゃんと連絡してよー。心配したんだからね?」

「あー、悪い。ちょっと昨日は、色々と事情があってだな……」

 百七十五㎝の久遠の身長よりも、二十㎝ほど低い場所から頬を膨らませて見上げる永遠。

 普段はおっとりとしている可愛らしい顔も、こうしてみるとなかなか迫力がある。

 自分を心配してくれていた妹の姿を見て、なんだか申し訳ない気持ちになってしまった久遠は目を逸らして謝罪する。昨日の出来事は素直に説明はできないのが辛いところだ。

「ほら。だから大丈夫、って言ったじゃないですか」

 再び居間のドアが開く音が聞こえると同時に、酷く淡々とした声が聞こえてくる。

「おかえりなさい久遠。無事だったみたいですね」

 永遠に続いて姿を現した人物は、合成音声じみた無機質な起伏のない声で言葉を続ける。

「おう。ただいま、悠久(ゆうく)。なんとか、な」

 その人物を見て久遠は、フッと小さく微笑んで応えるように言葉を返す。

 灰色のブレザーにチェックのズボン、といった制服に身を包んだその人物は目立つほどに大柄でもなく、取り立てて小さくもない中肉中背で、男とも女とも見て取れる中性的な顔立ちをしていた。しかし肌はとても青白く、病的とも言える顔色だった。

 不死川悠久(しなずがわ ゆうく)は久遠の弟で、妹の永遠と同じく高校二年として都内の高校に通っている。

 それだけを聞けば、永遠と悠久は双子と勘違いされがちだが、二人は双子ではない。

 悠久は不死川家に養子として迎えられているので、他の家族とは血の繋がりはなかった。

 それは長兄にして、家長の永劫(えいご)も同じことだ。悠久だけが血の繋がりを有していない。

 しかし久遠にとって悠久はかけがいのない家族であり、それは永遠や永劫も同じように思っている。血の繋がりこそないが世間一般的な家族のように、彼らは暮らしているのだ。

 感情を露わにしない悠久がどう思っているかは分からないが、久遠はそう思っていた。

「ただいま」

 三人が話していると再びドアが開き、久遠に続くように玄関から声が聞こえてくる。

 玄関から入ってきた人物は、スラッとした長身痩躯にフィットした、ノリの利いた濃紺のスーツをピシッと着こなしていた。

 スタイリッシュなメタルフレームの眼鏡が、端整な顔立ちの怜悧さを引き立てている。

 短く切り揃えられた黒髪は爽やかさを演出していて、敏腕のビジネスマンを連想させる雰囲気を醸し出していた。

「えーお兄ちゃん――おかえりなさい!」

 その人物を見るなり、永遠はとててと可愛らしくその元へ駆け寄る。

 にへらと柔和に笑いかけると、彼がその場に置いたカバンと紙袋を持つ。

「ただいま、永遠」

 その人物――不死川永劫(しなずがわえいご)はポンと永遠の頭に手を置き、優しく目を細めながら微笑みかける。

 彼は不死川家の長兄であり、既に両親を亡くしている彼らにとって家長と呼べる存在だ。

 年齢は二十八歳と久遠よりも八つ年上で、某有名国立大学を卒業したあと、誰でも知っているような有名企業に就職し、不死川家の家計を支えている。

「おかえり、兄貴。なんだ、今日は帰ってくる日だったのか」

 久遠は永劫を見て、驚いたような表情をして永遠に続いて彼の元に歩み寄って行く。

 永劫は多忙であり日本国内のみならず、世界各国を飛び回る生活を送っている。

 家に帰ってくるのは数ヶ月に一度、長いときは半年以上も戻ってこないこともあった。

「予定よりも仕事が早く片付いてな。昨日、急遽こちらに帰って来られたんだ。もっとも、明日にはまたここを発つ予定なのだが」

「くー兄はいなかったから知らないだろうけど、だから今日はごちそうなんだよ」

「わざわざ済まないな。でも、私は永遠の手料理なら、なんでも大好物だよ」

「えへへー。ありがと、えーお兄ちゃん」

 えっへんと胸を張る永遠を見て、永劫は柔和な笑みを浮かべながら労いの言葉をかける。

 母親が不在の不死川家では、彼女が料理を含む家事全般を一任されている。

 永劫は出張続きで多忙、久遠は就職活動でそれどころではなかったので、そうなってしまうのは必然的だったのかもしれない。

 悠久はそれなりに家事などを手伝ったりもしているようだが、それでも永遠がほとんど家事をこなしているのは事実だった。滅多に愚痴も零さずに、学業と両立して家事をこなす永遠を久遠は尊敬していた。それはおそらく悠久や永劫も同じように思っているだろう。

「悠久もただいま。元気にしていたか?」

 しばらく弟妹との会話に興じていた永劫は、やがて靴を脱ぐと廊下を歩いて行く。

 やがてその場で佇んでいた悠久の元までやって来ると、鷹揚に微笑みながら声をかける。

「おかえりなさい、永劫。お疲れ様でした」

 いつもと変わらず、感情の読み取れない淡々とした調子で答える悠久。

 永劫はそんな悠久を見ても、微笑みを絶やすことはない。

「そうだ。お前たちに土産を買ってきたのだったな。永遠、その紙袋を貸してくれ」

 思い出したように声を漏らすと、永遠は言われた通りに紙袋を永劫に渡した。

「悠久、これがお前の分だ」

「ありがとうございます」

 永劫は袋から取り出した石造りの仮面のようなもの渡すと、悠久は淡々と礼を述べる。

 不気味な意匠の凝らされたそれは、世間一般の男子高校生の喜ぶ土産の選択ではない。

「これはアステカの仮面ですか?」

「ああ、今回はメキシコに行く機会があってな」

「なるほど。興味深いですね」

 しかし、悠久は文句の一つも言わず、逆に興味深そうにそれを眺めていた。

 悠久的には、喜ばしいお土産だったのかもしれない。

「久遠には、これだ」

「お、おう。サンキューな、兄貴」

 続いて永劫が取り出した、剣と盾を構えたジャガーの戦士の置物を、久遠は微妙な表情で受け取る。その表情は心なしか引きつっている。

「永遠にはこれだな」

「わ、わーい。ありがとう、えーお兄ちゃん」

 最後に永劫は袋からぬいぐるみを取り出して永遠に渡す。彼女はそれを久遠と同じように、引きつった笑みを浮かべながら受け取る。永遠は可愛いぬいぐるみを集めるのが趣味で、部屋にはたくさんのぬいぐるみが飾ってあるのを不死川家の人間はみんな知っている。

 だからこそ永劫もこれを買ってきたのだろうが、この鷲の戦士のぬいぐるみは見た目こそデフォルメされた半人半鳥の姿をしているが、クチバシの中に妙にリアルで不気味な顔があるせいで、微塵の可愛さも感じない。むしろ気持ち悪さすら感じてしまう。

「喜んでもらったようでなにより。あとは菓子を買ってきたから、分けて食べてくれ」

 満足そうに頷く永劫だったが、悠久以外の反応が芳しいことには気づいていない。

 このようにセンスが良いとは言えないお土産を毎回必ず買ってくることが、彼の数少ない欠点でもあった。

「あ、そう言えば――」

 お土産の分配も終わったところで、みんなで居間へと移動して腰掛けると、久遠は意を決して口を開くことにした。

「俺、内定もらったから」

 久遠は自分のできる最大限のキメ顔をして、全力で自慢したい衝動を抑えながら努めて平静に言葉を続ける。

『本当、くー兄? おめでとう!』

『おめでとうございます、久遠。まあ、僕はずっと信じていましたが』

『そうか。流石は俺の弟、よくやったな久遠』

 久遠は家族に祝福される自分の姿を想像する。

『ははは! まあ、俺にかかれば、就活なんて大したことなかった、ってことサ☆』

 想像上の自分は溢れんばかりの拍手喝采の中で、クールに笑っている。

 今まで心配をかけた分、家族にこのように喜んでもらうのが、久遠の夢でもあった。

 だから、それを実現させるために、今は歓喜したい衝動を堪えているのだ。

「「「……」」」

 しかし、現実にはそうならない。

 久遠の発表を聞くなり、三人は押し黙りながら顔を見合わせている。

「……あれ? え、どうしたんだよ? 普通、ここは喜ぶところだろ?」

 予想外の反応に動揺した久遠は、三人の顔を交互にキョロキョロと見渡しながら慌てた様子で尋ねる。

「くー兄……わたしたちには、嘘なんてつかなくていいんだよ?」

「いや、嘘じゃなくてマジなんだって」

 永遠は泣き笑いのような表情を浮かべて、優しく包み込むように久遠に語りかける。

 それは全ての罪を赦す聖母のようであり、慈愛に満ちた姿は憐憫にあふれていた。

 久遠はそれに気圧されないように、いやいやいやと顔の前で手を振ってみせる。

「確かに世間一般的には無職(ニート)は穀潰し(クズ)という風潮ですが、そこまで気に病むことはないと思いますよ。今の久遠はきっと、少し疲れているだけです」

「え? 確かに疲れ気味だけど、それって今は関係なくね??」

 普段から無職の久遠に対して『タダメシ食らい』や『穀潰し』など散々な言い様の悠久でさえ、その言葉からは気遣いのようなものが感じられる。

 ただしそれは、どこか病人を遠巻きに見ている介護人のようでもあった。

 久遠はその様子に首を傾げ、この雰囲気にようやく違和感を感じていた。

「久遠……今まで気づいてやれなくて済まない。私は兄失格だ……! 知り合いにその手の病気に詳しい医師がいるから、彼に相談してみるといい。なに、空気の綺麗な場所でゆっくりと休めば必ず治るさ」

「ちょっ――俺はどこも悪くねぇぇぇ! 現実と妄想の区別がつかなくなってるわけでも断じてねぇからッ!!」

 永劫は涙を堪えるように表情を歪め、苦しそうに頭を垂らす。

 そして努めて優しい声で久遠に語りかけ、必死に笑顔を作ろうとぎこちなく笑いかけた。

 そんな家族たちの散々な態度を目の当たりにして、久遠のワナワナと怒りに身体を震わせると、ついに立ち上がってガーッと言葉をまくし立てる。

「つーか、お前ら酷くね? ここは普通、素直に祝福してくれるところだよね? それなのに、なんで俺が精神病んで、妄想を事実みたいに思い込んでる痛い人みたいになってんの? 俺って普段、そんなイメージなの? だとしたら、凄くショックなんですけど!」

 理想と現実のギャップにショックを受けた久遠は、完全に逆上した様子で問いかける。

「だって……くー兄、面接に墜ちる度、『はぁ……鬱だ……死にたい』とか言ってるし」

「それが三十回以上続いていれば、ついに現実の厳しさに耐えきれなくなって、精神を病んだと思われても仕方ないでしょう」

「お前は一人で抱え込む性分だからな。思いやりがあるのはいいがそこが心配でもある」

「さいですか……」

 三人は再び顔を付き合わせて、口々に久遠の言葉に答えていく。

 その言葉に心当たりのある久遠は、ガックリと肩を落として渋々納得するのだった。

 誰もが悪気はなかったが、自業自得とはいえそこまで思われていたのは驚きだった。

「と・に・か・く! 今日、正社員で内定もらったの!! 明日から出勤だから」

 三人に言い聞かせるように言い放つと、久遠は椅子に腰を下ろす。

 なかなか予定通りにはいかなかったが、どうにか最低限のことは伝えることはできた。

「うん。おめでとう、くー兄! 本当によかったねー」

「おめでとうございます。よかったですね」

「ああ、よくやったな久遠。これでお前も会社勤めか」

 ようやく久遠の話を信じる気になったのか、三人は口々に祝福と労いの言葉を口にする。

「ありがと。今まで心配かけてごめんな」

 それを聞いて久遠も、素直に感謝の言葉を口にした。今まで散々、家族には心配をかけてきた久遠だったので、そんな報告ができることがなによりも嬉しかった。

 ヘブンフラワーズの内定を受けたのも、そんな家族を早く安心させたいという思いが強かった。だから、多少は危険でうさんくさい求人でも、彼は受けようと思ったのだった。

「ちなみに、その会社はどんな業種なんだ?」

「え――あの、それはですね……」

 ふと尋ねてくる永劫の質問に、久遠は視線を泳がせながら答えを言い淀む。

「派遣会社……そうそう、派遣会社の事務なんだよ。そこの社長に気に入られて、その日の内に内定をもらっちゃってさ」

 まさか非合法の依頼を請け負う異能力者専門の派遣会社、などと言えるはずもなく、久遠は極力ぼかした言い回しで説明をする。確かに嘘をついているわけではない。

「へぇ~くー兄、面接苦手だったのに凄いね! 人徳、ってやつかな?」

「は、はは……まあ、な」

 そんな久遠の話を聞いて、永遠は感心したように賞賛の声を漏らす。

 久遠はそれを聞いて、どこか罪悪感を覚えながら、ぎこちなく笑いながら答える。

「よし、なら今日はお祝いとして奮発して焼き肉パーティーと洒落込もう。話は肉でも焼きながら、ゆっくりと聞かせてもらおうじゃないか。予算は私のポケットマネーから出す」

 そう言うと財布から一万円を抜き出し、それを永遠に渡す永劫。

「焼き肉……だと? よっしゃぁぁぁ――肉ですよ、うひょぉぉぉ!!」

 久遠はそれを見て歓喜に打ち震えると、ガッツポーズをする。

「りょうかーい! それじゃあ、スーパーに買い出しに行ってきまーす」

「じゃあ、僕は荷物持ちでついて行きますよ」

 予算を受け取った永遠はビシッと敬礼のポーズを取り、台所へエコバッグを取りに行く。

 悠久はそれに続くように、永遠のあとを追っていった。

「では、私は着替えてきたら、野菜やつまみの用意でもしておこうか」

「あ、じゃあ俺はホットプレートとか、道具の準備でもするわ」

 行動を開始した二人を見て、永劫と久遠も自らの仕事を見つけて動き始める。

 こうして突発的にだが、不死川家では焼き肉パーティーが開催される運びとなった。

 久しぶりの一家全員揃った団らんを、久遠は心から楽しむのだった。

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