第二章

第4話 アンデット×スカウト 

「――うーん……」

 もぞり、と久遠は身体を僅かに動かす。

 薄目を開けると、朝の日差しが目に飛び込んできて眩しさを感じさせた。

 あくびを一つして涙で滲んだ視界も、まぶたをパチパチと開閉していく内に晴れていく。

「あ……れ……?」

 寝起き特有のぼやけた思考も、時間の経過と共にクリアになっていき、久遠は昨晩の事を思い出していた。昨日、意識を失う前の光景が一瞬の内に脳内を駆け巡っていく。

「そうだ……俺は、昨日――」

 アルバイトに向かう途中、久遠は女性に銃を突きつけている男と遭遇した。

 久遠はそれを何とか止めたが、その後に謎の女によって男は殺された。

 自分も女に命令されたあと、それに逆らえずに銃で強制的に自殺を強いられて途中で意識を失っていた。それが彼の覚えている昨晩の出来事だった。

「それで……なんで俺は寝てるんだ?」

 久遠はいつの間にかベッドで寝かされていた。服装はラフなスウェットに着替えさせられていて、どうやら先ほどまで布団を被り眠りこけていたようだ。自分で服を着替えた記憶も、ベッドに入った記憶も、彼にはない。夜の路地裏での光景が最後の記憶だった。

「ん……なんか、温かくて柔らかい感触が」

 ようやく背中の辺りに当たっている柔らかい感触に気づくと、怪訝そうに首を傾げる。

 横向きに寝ていた久遠は背後が見えず、首を後ろに向けてその正体を確かめようとした。

「な――」

 思わず絶句する。まだ寝ぼけていた思考はここでようやく覚醒したが、そのせいで今の状況を客観的に理解してしまった久遠は、別の意味で混乱していた。

「ん~……スー……スー……」

 端的に言えば背後には女性がいた。さらに言うと同じベット内で一緒に寝ている。

 その腕は久遠の背中へと回され、たわわに成熟した豊満な胸を彼の背中に押しつけていた。その柔らかくて心地よい温かさは、紛れもなく現在進行形で身体越しに伝わっている。

「ちょっと待て……落ち着け。落ち着けよ、不死川久遠」

 自分に言い聞かせるように呟く久遠。

 背後の女性は今も尚、彼の身体を抱きしめながら、心地よさそうに寝息を立てている。

 見るとベビードールのような薄手の寝間着からピンクの下着が透けて見えていた。

 その蠱惑的な姿を目の当たりにしてしまい、久遠はみるみる顔を真っ赤にする。

 血が一瞬にして頭に上り、こめかみの血管がドクンドクンと脈打つのが分かる。

 身体に伝わってくる感触と、視線を釘付けにしてしまう色香が彼の思考を蕩けさせる。

 心臓は早鐘をつくように高鳴り、火照った身体はジットリと汗をかいていた。

 誘惑にどうにか耐えて視線を逸らし、その人物の顔に視線をやると、そこには見覚えのある顔があった。久遠はあっ、と思わず声を漏らしてしまう。

「確か、昨日の……」

 その人物は昨日、男に命を狙われていた女性で、名前は咎神天華と呼ばれていたはずだ。

 彼女は天使のように安らか顔で、小さく寝息を立てている。

「んん……もう、朝ぁ? あと五分……あと五分だけ……むにゃむにゃ……」

 久遠の声に反応したのか、天華は背中に顔を押しつけて寝ぼけながら言葉を返す。

 身体同士がより密着したことにより、ムニュッと背中に当たる双丘の弾力が強調された。

 それを感じて情けない悲鳴じみた声を漏らすが、鋼の精神力で泣く泣く引きはがす。

 久遠は天華の肩を掴んで向き合い、この状況に対する説明を求めようとした。

「あの――」

 徐々にトロンとした寝ぼけ眼も理性の光を帯びていき、それを見ると久遠は意を決して言葉を続けようとする。しかし、それは叶わなかった。

「――なに、してるの……?」

 図ったようなタイミングでガチャリ、とドアの開く音がした。

 するとそこには昨日の少女――今日も昨日と同じく、濃紺のセーラー服を着た少女が、唖然とした様子で久遠と天華の方を見ている。

「あ、これはだな……」

 久遠は少女を見て表情を引きつらせた。

 第三者が現れたことによって冷静に今の状況を考えてみると、構図的にはどう見ても久遠がベッドに天華を押し倒しているようにしか見えなかった。

「よくも……よくも、姉様に――」

 少女はまるで汚物を見るような蔑んだ目で久遠を見ていたが、その表情は徐々に憤怒に染まっていき、やがて臨界点を突破した怒気は容赦なく爆発する。

『死、ねぇぇぇ――ッ!』

 少女のけたたましい怒声に命じられて、久遠は自らの腕で自分の首を締め上げていた。

「ァ、ガッ……ちょ、待っ――」

 昨日と同様に抗えない強制力に押さえつけられ、久遠は自らを絞殺しようとする。

 しかし、久遠はその程度では死なない。だから、彼はひたすらに首を絞め続ける。

 ただ息苦しさ自体は感じるので、このままではやがて失神するのが自分でも分かった。

「ふわぁ~……あー、よく寝た~!」

 そんな中、酷く場違いに間延びした声が聞こえてきた。

 どうやら久遠と少女が一悶着している間に目が覚めたのか、大きく伸びあくびをしながら天華が言葉を漏らす。

「姉様ぁ――ッ!」

 瞬間、少女は久遠から視線を天華に移し、一目散に天華の元へ駆け寄っていく。

 自らで首を絞めて無残な呻き声を漏らしている久遠を押し退け、天華に抱きついた。

「あー……おはよう、琴華(ことは)」

「おはようございます、姉様。ご無事ですか? 恥知らずにも姉様を手籠めにしようとした不届き者は、この琴華が成敗しました! ご安心ください!!」

 まだ少し睡眠の余韻が残っている天華に、琴華は甘えるような声で言葉を続ける。

 その満面の笑みからは憧憬や思慕、そういった好意的な感情がありありと見て取れた。

 先ほどまでの底冷えする冷淡な表情や、見る者を竦み上がらせる憤怒の表情を浮かべていた人間と同一人物には見えない。主人に尻尾を振る愛犬、そんな仲睦まじさを感じさせる。

「んー? それってどういう――」

 その物騒な言い回しにどこか違和感を抱いたのか、天華は首を傾げながら本来なら自分の横にいるはずの久遠の姿を探した。

「た、す……けて、ぇ……」

 琴華の陰から久遠は真っ青な表情で、救いを求めるように呻き声を漏らしていた。

「…………」

「どうかしましたか、姉様? 琴華はご褒美に頭を撫でて欲しいです」

「って、いや……そんな場合じゃないわ! 琴華、早く〝言霊〟を解除しないと!!」

 パチパチと目を瞬かせて、久遠の惨状にようやく気づく天華。

 すると恍惚とした表情で頬をすり寄せていた琴華を引きはがし、慌てた様子で言い放つ。

「どうしてです? そこの見るに堪えない愚物は、あろうことか発情のあまり勝手に姉様のベッドに潜り込んで、己が欲望のままに襲おうとしてたのですよ? 死んで当然です!」

「いや、多分違うと思うから。訳はあとで話すから早くしなさい」

「はぁい……姉様がそういうなら」

 琴華は不承不承といった様子で久遠を見下ろすと、短く告げるように口を開いた。

『命令解除(オーダーキャンセル)』

 その言葉が久遠の耳に届くと、途端に身体を突き動かしていた強制力は消えていく。

 両腕を首から離すと、解放された気道から存分に空気を吸い込んで、どうにか窒息の苦しみから解放された。ぜぇぜぇと荒げていた息も、徐々にいつもの調子へと戻っていく。

「――ッチ……そのまま死ねばよかったのに。生きてることすら不快な変質者め」

 そんな久遠を害虫でも見るかのように、冷ややかな眼差しで見下ろす琴華。

 舌打ちも隠そうともせず、忌々しげに表情を歪めていた。

 久遠は反射的にブルッと身体を震わせ、「この女はまともじゃない」と内心で呟く。

「あー、良かった~」

 窒息を免れた久遠を見て、天華は安堵の息を漏らす。

 どうやら琴華の様子は見えてないらしい。

「ありがとう……ございます……ッ!」

 命の恩人である天華に、久遠はたっぷりの感謝を込めて頭を下げる。

 あの状態が続けば、間違いなく窒息していただろう。例え拳銃で撃たれても死なない身体であっても、痛いものは痛いし、苦しいことは苦しいのだ。

 その原則は常人とも何ら変わらない。

「でも、ここはいったい……? 俺、あのあとの記憶がないんです」

 昨晩、意識を失って朝目覚めたら、見知らぬ場所で眠っていた。

 久遠はとにかく、この状況を説明して欲しかった。できれば昨日の出来事についても。

「分かったわ。それを話すのが巻き込んでしまったアタシの責任だし、キミの権利よ」

 久遠の言葉に天華は薄く笑って、鷹揚に頷いてみせる。

 琴華が心配そうに見ていたが「大丈夫よ」アイコンタクトで答えた。

「それじゃ、ちょっと長くなるだろうから、お茶でも飲みながらお話しましょうか」

 ベッドを降り、床の上に立って久遠に声をかける天華。

 久遠もそれに続くようにベッドから降りて、コクリと頷いてみせる。

「あ……でも、その前に――」

 思い出したように言葉を漏らす天華。そして続けられる言葉を久遠は真剣に聞いていた。

「服、着替えてもいいかしら?」

 寝間着姿のまま、クスリと笑みを漏らして天華はそう続ける。

 久遠は慌てて目を逸らし、コクコクと赤面しながら頷くのだった。

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