第3話 アンデット×エンカウント2

「ひぃっ……!?」

 男はそんな久遠の様子をまるで、化け物かなにかでも見るような怯えた表情で見る。

 久遠は間違いなく致命傷に近い傷を負ったのだ。当然かもしれない。

 なのにどうして立ち上がれる? 目の前の光景は常識を逸脱していた。

「おい、あんた……もう止めろって。撃たれたのが俺じゃなかったら、とっくに人殺しになってんぞ?」

 久遠はふらつく足取りで男に歩み寄り、必死に説得しようと試みる。

 血塗れのまま苦痛に耐えながら表情を苦々しく歪めているが、彼は嘘偽りなく真摯に男のことを案じていた。

「くそっ、お前もあの女の仲間か……化け物め! 死ね! 死ねぇぇぇ――!!」

 それは心からの忠告であったが、錯乱状態の男には届かない。

 我に返った彼は再び銃口を久遠へと向けた。

 そして尚も近づいて来る久遠に怯え、狙いも定めずに銃を乱射する。

 一発目――右肩を撃ち抜いて。

 二発目――左足を撃ち抜いて。

 三発目――脇腹を撃ち抜いて。

 四発目――太股を撃ち抜いて。

 五発目――眉間を撃ち抜いた。

 近距離での銃の乱射は次々と久遠の身体を撃ち抜いていき、再び弾き飛ばされるように後方へ倒れる。

 傷口からは先ほどとは比べものにならない量の血液が流れ出て、地面に血だまりを作っていた。そのおびただしい量の鮮血は、失われていく彼の命を直接的に表している。

「はぁ……はぁ……はぁ……やった、か?」

 男は肩で息をしながら、身体中に弾丸を受けた久遠をおそるおそる見遣る。

 願わくばもう立ち上がらないでくれ。そう祈るように言葉を漏らす。

 人を殺してしまったかもしれないという罪悪感よりも、今は得体の知れない久遠に抱く恐怖の方が勝っていた。

「――だから、もう止めろって……あんたじゃ、俺は殺せない」

 しかし、久遠は起き上がる。身体中に風穴を空け大量の血を垂れ流しながらも、よろよろと緩慢な動きでどうにか立ち上がる。

 何度撃たれても立ち上がるその姿は、まるでホラー映画に出て来る不死人(ゾンビ)の姿を彷彿とさせた。男はそんな彼を見てさらに表情を青ざめさせる。

「もう一回、考え直してみろって。今ならまだ戻れる。今日のことは悪い夢でも見たと思って、そんな物騒なもんは捨てちまえよ」

 久遠は再び男へ向かって歩み寄る。

 既に大量の出血は身体を伝い、彼の足下を濡らしている。

 足を進める度に、血だまりはピチャリと水音を立てる。

 明らかにその出血量は致死量に達していると、医学に明るくない人間でも一目で分かるだろう。しかし、彼は死なない。

 常人ならば、死に達しているであろう傷を受けながらまだ生きている。

「う、ぁ……ひっ――く、来るなぁぁぁ!」

 そんな久遠を目の当たりにして、ついに男は恐怖に精神を呑まれた。

 久遠がどんなに男のことを案じても、男にとってその姿は異形の怪物にしか見えない。

 そんな得体の知れない化け物の言葉を信用しろ、と言う方が無理な相談だ。

 男は銃の引き金を一心不乱に引き続ける。一刻も早く、眼前の久遠を排除するために。

 しかし、既に弾は尽きていて、軽い手応えと共にカチッ、と空虚な音を立てる。

 慌てて胸元から取り出した替えの弾丸を装填しようとするが、恐怖に震える手では上手くいかない。無様に弾丸を地面に落とすと、甲高い金属音が辺りに響き渡っていった。

「う、あぁぁぁ――ッ!?」

 すると男は久遠に背を向けて、一目散に駆けだした。既に敵意は恐怖に追いやられ、目の前の久遠(ばけもの)が自分の手に余るとようやく理解したからだ。

 男の根底にある生存本能が警鐘を激しく打ち鳴らし、彼はそれに従うように走って行く。

 男は天華の横を走り抜けていったが、もう一瞥もくれずに必死の形相で路地の出口に向かって行く。その目には既に、家族の仇である天華の姿など映っておらず、関心は既に後方の久遠にのみ向けられている。

 今の男には天華(かたき)よりも、久遠(ばけもの)の方が注意すべき存在だった。

「はぁ……どうにかなったか」

 久遠は逃げる男を見送ると、棒立ちになってこちらを見ていた天華を見る。

 彼女もこの窮地をどうにか脱することができて、本当に良かった。

 そう思って声をかけようとする。

「あの、大丈――」

 しかし、久遠はその途中で、言葉を呑み込んでしまう。

 なぜならば、その時に天華が浮かべていた表情は、酷く冷淡なものだったからだ。

 先ほどまでの男の凶行を目の当たりにして、呆れていたような様子も今はない。

 まるで実験動物(モルモット)の経過を観察する科学者のように、感情が読み取れない冷ややかな眼差しは久遠だけを静かに見ていた。

 それに気づいてしまい、久遠はまるで金縛りに遭ったように動くことができなかった。

「な、なんだ! お前はぁ……!?」

 しかし、金縛りを遮るように、路地の出口付近から響く男の叫びが聞こえてきた。

 久遠はどうにか正気に戻ると、慌てて視線を向けて状況を確認しようとする。

「そこを退け! 死にたいのか!?」

 いつの間にか男の眼前には誰かが立ちふさがっていた。

 一刻でも早くこの場から逃げ出したい彼はそれに苛立っていて、すぐにでも立ち退くように目の前の人物を恫喝している。

『黙れ』

「――ッ、ァ……?」

 聞いている者が底冷えするような絶対零度の声で、その人物は短く冷淡に告げた。

 その瞬間、まるで男は急に声帯を失ったかのように、パクパクと口を開閉させる。

 金魚を連想させるような口の動きは、喋りたくても喋れないとでも言うかのようだった。

「お前……さっき、姉様に銃を向けたな?」

 冷ややかながらも沸々と煮え立つ怒気が感じ取れる声で尋ねられるが、男は答えることができない。なぜならば、下された〝黙れ〟という命令を、彼は破ることができないから。

『死ね』

 続けて告げられた判決の言葉が男の耳に届くと、彼の意思とは裏腹に両手が動き出す。

「ひっ……な、なんなんだよ!?  身体が、勝手にぃ……!」

 操られたかのように動く手は、ご丁寧にも空になっていた銃へ予備の弾丸を装填すると、銃口を自らの口内へと突きつける。

 男はそれを斜め上に向けて、急所を外さないように狙いを定めていた。

 皮肉にもその手には先ほどまでの震えはなく、流れるように正確な動作だった。

「止めろ……止めてくれぇぇぇ――ッ!?」

 男は悲痛な悲鳴を上げて許しを請うが、引き金を引くその手はどうやっても止まらない。 既に自分の制御下を離れているのだから、彼自身の意思など既に意味をなしていない。

「――ぁ、あぁ……」

 短い銃声が鳴り、男は頭部から大量の血をまき散らしてその場に倒れ込む。

 その姿はまるで、水を周囲に散布させる散水機(スプリンクラー)を彷彿とさせた。

「な――なんなんだよ、いったい……?」

 久遠は突然の出来事に、ただ唖然とすることしかできなかった。

 状況の理解が追いつかない。

 これは夢か? 幻か? と自問するが、そんな言い訳は通用しない。

 地面に倒れて既に動くことのない男の身体が、これは紛れもない事実だと告げていた。

「おい、ちょっと待てよ……!」

 ようやく冷静になった久遠は、痛む身体を引きずるように男の元へと走って行った。

 その傍で男を見下ろす人物。近づいて行くとその姿が、徐々に明らかになっていく。

「…………」

 闇に紛れるような濃紺のセーラー服。肩口まで伸ばされた、ショートボブの艶やかな黒髪。どこまでも深い漆黒の瞳。それを映えさせる陶器の冷たさを連想させるような白い肌。

 見ている側が暗闇に引き込まれそうになるほどの美貌が、久遠をジッと見つめている。

 この場においては酷く場違いなはずの少女だが、不思議と違和感は感じなかった。

「おい、あんた。いったいなにがあったんだよ?」

 不覚にもそんな少女の姿に見とれてしまっていた久遠だったが、取り繕うように表情を引き締めると、この状況を理解するため静かに問いかけた。

「お前も……お前も姉様に危害を加えようとしたの?」

 しかし、少女はキッと鋭い眼差しで久遠を睨み付ける。

 その瞳には対話の意思はなかった。

「は? それってどういう意味……ていうか、〝姉様〟って――」

 予想外の答えに久遠は、怪訝な表情で聞き返してしまう。

 姉様と呼ばれるその人物は、少なくとも彼には心当たりがなかった。 

「もういい、弁解なんて聞きたくないから。お前も――」

 久遠の言葉にも一切耳など貸さず、少女は彼を睨み付けながら再び判決を下した。

『死ね』

 酷く冷淡な声でそれが告げられると、久遠は無意識に既に事切れた男の傍らに転がっている銃を拾っていた。

 彼がそのことに気づいた頃には、その銃口は自らの口内に向けられている。

「は――?」

 久遠には訳が分からなかった。

 どうして、自分はこんなことをしているのだろう? 漠然とそんな感想を抱いていた。

 身体は自らの意思とは反して引き金を引いていて、銃声と共に弾丸は彼の脳を撃ち抜いていた。男と同じように、久遠は大量の血液をまき散らしてその場に倒れる。

「ハッ、ガァ――」

 短い呻き声を漏らして、久遠は再び引き金を引く。

 轟く銃声。飛散する血液と脳漿。しかし、久遠は銃で撃たれた程度では死なない。

 だから少女に告げられた命令を遂行するまで、引き金を引き続けなければならなかった。

 それは無間地獄のような責め苦だろう。

「止、め――」

 しかし、肉体は決して死ななくても、久遠の身体には痛覚が存在した。

 身体中を撃ち抜かれ、極めつけは脳という急所をピンポイントで責められ続けている。

 蓄積された苦痛は意識を確実に奪っていく。いくら肉体(ハード)が頑丈でも、精神(ソフト)が限界を迎えれば、人間は機能を停止せざるを得ない。それは機械も人間も変わらない。

「あ……くっ、そ――」

 こうして、苦痛に耐えきれなくなった久遠の意識は徐々に遠ざかっていく。

 血反吐を吐きながら閉じていく視界の隅で、彼はこちらに駆け寄ってくる誰かの姿を見たような気がした。

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