クジラの中の話

糸花

第1話

「えっ、死んだクジラの中に?」

「うん、昔ニュースで言っていたの。海岸に打ち上げられていたクジラの中に大量のビニール袋が入っていたんだって」

彼女は淡々と話を続ける。

「30枚を超えるビニール袋がお腹の中に入っていたら苦しいに決まっているよね。クジラだけじゃなくて、人間が捨てたゴミで色んな生物が死んでいるらしいわ。なんて言うとなんだか地球規模の問題みたいだけど、実際そうで。この世界で一番繁殖することに成功しているのが人間なら、この世界で一番繁殖を妨げているのも人間なのよ。」

彼女の声はまるで、歌を歌っている時のそれだった。

冷たくて鋭くて心に刺さる。そんな彼女の声が僕は好きだった。

「だから私達は幸せなの。それなのにみんなそのことに気づいていない。それどころか自分は不幸だって嘆いて、物に当たって、人に当たって、ゴミを生み出す。敵を作らないと幸せになれないんだよきっと、彼らはね。」

その彼らの中に僕も、彼女もカテゴライズされる。それを彼女は知っていながらそんな風に話す、自白するみたいに。

「平等なんてありえない。性善説なんてありえない。多数決で決まることばかり。だから私は独りになりたかった。あんな奴らと同じにはなりたくなかったから。私は私しかいない。それを証明したかったの。」

それじゃ音楽を始めたのも?と僕が聞くと彼女は頷く。

「始めた頃はもちろん誰も聴いてくれなかったんだけどね。でも歌うにつれて、曲が生まれていくにつれてだんだん聴いてくれる人が増えていったの。それも私が全く知らない人ばかり、その人達も私のことは私の音楽しか知らない。なのに確かに私はそこに存在している。私が私のことを音楽にすることで、私という存在を誰かの中に残すことができる。それが凄く嬉しかったの。」

今まで私はゴミだったから。その言葉の重みを僕は知らない。僕だって彼女のことは何も知らないから。そしてこれからも知ることはないのだから。

「私はあのクジラみたいになりたいと思ったの。傷つきながら、苦しみながら、食べて、食べて、食べる。自分の中のゴミを言葉に変えて、ゴミみたいな世界のことを歌う。でもね、それももう限界。」

彼女はもう食べられないよと笑った。嘘みたいな温かい笑顔で。

「君を呼んだのは君に伝えたかったの。あそこで伝えたらきっと君の迷惑になるから。音楽をしている時の私はクジラでも、あそこにいる時の私は、あのクジラの中身と同じだからね。」

砂浜に置いていた荷物を持ち上げて彼女は僕に言った。その言葉に僕は何も言えなかった。彼女の手を掴むこともできなかった。そんなこと僕にできるわけがなかった。もしも彼女がクジラなら、きっと僕は。

この答えはきっと正しい。でも嬉しいなんて少しも思えなかった

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クジラの中の話 糸花 @itoka_kotoba

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