白い犬とカラフルな馬

 青森県立美術館。青森市にある、通称「県美」。高さ八・五メートルにも及ぶ真っ白な犬のオブジェ「あおもり犬」で有名である。眠っているかのような優しい表情をしていた。

 六十の津軽軍正規兵が、あおもり犬をぐるりと囲んでいた。第二独立召喚連隊に所属する兵である。国境守備に当てられているのは非正規部隊八十。市街地守備には非正規部隊百の他、正規兵は二十に留まる。つまり、青森市に配備された正規兵の多くが、この県立美術館に集まっている計算になる。

 第二独立召喚連隊を率いるのは田村秀人ひでと大尉。彼に課された任務は、非正規部隊を使って敵軍を青森市まで誘い込み、まとめて殲滅することだ。

 津軽軍が誇る第一から第四の独立召喚連隊は、白神山地にて厳しい召喚術の修業を積んできた。青森市には県立美術館にて先行して準備中の第二独立召喚連隊に加え、後詰めとして第三独立召喚連隊も布陣している。これだけの戦力があれば、必ず南部を吹き飛ばすことができる。

 自信にみなぎる第二独立召喚連隊は、両腕を天にかかげ、祈りを捧げた。


 上野少佐の率いる青森市方面軍は、青森市を爆進した。

 青森市街地の津軽軍守備隊は徐々に後退。青森市長が籠城する青森県観光物産館アスパムを残すのみとなった。

 敵軍の抵抗は思っていたほどのものはなく、まさかり兵は九割が健在であった。むしろ大損害を受けたのは、意外にも第二次みちのく会戦の勝利の立役者である沢村の騎馬隊であった。

 沢村が危惧していた通り、津軽軍は市街地に津軽リンゴ砲を配備していた。「どこから飛んでくるかわからないリンゴ砲は大盾隊では対応できない。それよりも多少の被害を覚悟の上で進軍速度を上げた方がよい」という沢村の進言を受けた上野は、大盾隊をまさかり兵として編入していた。

 リンゴ砲が直撃し戦闘不能に陥るまさかり兵も散見されたものの、全体的には損害は軽微だった。一方で、道路に飛び散ったリンゴの芳醇な香りに馬が惑わされたのだ。戦闘を放棄し、つまみ食いを始める馬たち。アスパムまで到達した騎馬隊は、沢村を含めわずか五騎だった。

 籠城戦は、防御側が有利。

 三角形の独特な建物の各階から断続的に放たれるリンゴ砲。最後の最後で南部軍は攻めあぐねていた。


 青森市長であり、津軽軍の中佐でもある小山内おさない真一しんいちは、アスパム最上階から南部軍を見下ろしていた。敵軍はリンゴ砲が届かない距離まで後退している。

「小山内中佐。伝令です。第二独立召喚連隊、召喚準備整いました。第三独立召喚連隊はもう少し時間が必要とのこと」

 小山内は報告を聞くと、右手を軽く上げて伝令兵を下げさせた。仕掛けは上々……。


 戦況は一瞬にてひっくり返った。青森市南西、県美方面より路上の車も蹴散らしながら爆走してきた高さ八・五メートルの白いオブジェ「あおもり犬」が、南部軍を蹂躙した。

 アスパムの駐車場に集結し、一気呵成に攻め入ろうとしていた青森市方面軍は、あおもり犬の突進攻撃、じゃれつく攻撃、お手攻撃に為す術もなかった。人が木の葉のように宙を舞う。

「退け! 退けー!」

 上野の指示はもはや通じていない。統率なく逃げる兵。

 仲間たちの悲鳴に後ろ髪を引かれながらも、沢村は馬を駆り喧噪から抜け出た。至急国境砦まで退却して、佐々木中佐に援軍を送るよう伝令を……。

 退避路を的確に選ぶ沢村の後を追い、まさかり兵たちも逃げる。しかし――。

 沢村は思わず馬を止めた。

 目の前には、一段の高さが二メートルはあろうかという階段がそびえていた。市街地に設置された防衛プログラム「国道三三九号線の陣」。

 津軽半島最北端、竜飛たっぴ岬。国道なのに、車はおろかバイクも自転車も通れない階段国道をヒントにした、市街地防衛設備であった。

 前は壁の如き階段。背後に迫るあおもり犬。

「中尉、行ってください!」

 叫ぶのは、ここまで共に疾駆してきた沢村配下、熟練の騎馬軍曹だ。

「自分が時間を稼ぎます」

 軍曹は口笛を高らかに吹き鳴らす。すぐさまウミネコ飛行隊が上空に集結した。そして彼自身もディスクシューターを構える。

 ……とても対抗できるとは思えない。沢村もディスクシュータを構えた。

「あなたを置いてはいけません。私もここで戦います」

 しかし、

「早く行けぇぇええ! 中尉ィィ!」

 弾かれたように沢村の馬は地面を蹴った。卓越した操馬術。軽やかに階段を乗り越えていく。振り返ると、軍曹騎は見えなくなっていた。


 青森市を脱出できたのは沢村ただ一騎であった。

 十和田に到着したとき、すでに馬はヘトヘトだった。もう無理! とでも言いたげに、沢村を振り落とす。それでも駐屯地までは連れてきてくれた。五戸方面へと走り去る馬に、心のなかで礼を言った。

 しかし、佐々木群治ぐんじ中佐率いる弘前方面軍一千の大軍勢は、まさかり小隊を一つ残したのみで、すでに十和田を発っていた。青森市への援軍は望めない。

 青森市方面軍はすでに壊滅状態。このままでは七戸、十和田まで攻め込まれる。そうすれば進軍中の弘前方面軍が背後を突かれる。沢村は膝から崩れ落ちた。

「どうしたね、お嬢さん」

 はっと振り返る。気配を感じなかった。

「津軽の者ども、付け焼刃で召喚術を身につけたようだね。何十人も使ってようやく一体を使役かい。力不足を数で補ったか……」

「あなたは、恐山おそれざんの……」

 下北半島の霊場恐山。修業を積み、霊能力を得たいたこがここにいた。

 佐々木は敵の戦術をどこまで読んでいたのだろう。弘前方面軍には恐山最強クラスのいたこ四人が従軍していたはずだが、そのうち一人を十和田に残したのだ。

「あっちが白い犬なら、こっちはカラフルな馬だよ」

 いたこは不敵に笑った。


 津軽軍第二独立召喚連隊は、あおもり犬を使役したまま進軍を開始。瞬く間に国境を回復した。率いる田村は、術を維持するために部隊に「パティシエのりんごスティック」を配布した。魔力を回復した隊は、ついに南部地方へと進軍した。

 七戸へと白い巨体が進む。もはやこの地に敵はいない。誰もがそう思っていた。蹄の音が響いてくるまでは……。

 十和田市現代美術館のランドマーク、フラワーホース。色とりどりの花に覆われた高さ約五・五メートルの体躯。あおもり犬が全く反応できないスピードで、前足がその顔面を蹴り飛ばした。

 直撃を受けたあおもり犬は数十メートル吹き飛び、木々をなぎ倒しながら地面に転がった。

 着地した前足を軸に体を反転させたフラワーホースは、流れるように後ろ蹴りを繰り出す。あおもり犬は顎を打ち抜かれ、仰向けにひっくり返った。

「よし!」

 馬の背には沢村といたこ。跨るというよりは、しがみついている。

「いたこ様、素晴らしい霊術です!」

「油断するんじゃないよ」

 いたこの視線は、遠くを見つめていた。

「犬だけじゃなさそうだ」

 いたこの視線の先。青みがかった巨人の影が、徐々に近づいていた。

 青森市に配備されているのは第二独立召喚連隊だけではない。

 青森市青龍寺。ここには青銅坐像では日本最大の大日如来像、通称「昭和大仏」がある。第三独立召喚連隊は、ついに昭和大仏の運用に成功したのであった。

 座った状態で約二十一メートルの昭和大仏。これが歩行して近づいてきているのだから、ウルトラマンみたいなサイズ感である。

「あんたはこのまま白い犬を食い止めな。人に使われし哀れな大仏様はわしがお相手しよう」

 いたこはフラワーホースの背から跳んだ。着物をはためかせながら宙に浮かび、呪文を唱える。

 巨大なイカの足が大地から伸び、大仏の手足に巻き付いた。八戸市名産のイカによる、いたこ得意の霊術「八戸式捕縛陣」である。大仏の進行が止まる。

 しかし、やがてミシミシという不吉な音と共に、右腕にとりついたイカ足が引きちぎられた。残り三本も長くは持つまい。

 いたこの表情は、なんと笑顔。全力を出せることを楽しんでいる。

 クロマグロ型の無数の氷弾、大間おおま式マグロ連弾が、昭和大仏に襲い掛かった。

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