あやかし②

 白沢恵という人物……いや、あやかしについて、私が知っていることはそれほど多くはない。〈六角堂〉を知ってからそれなりに通っているがいまだに他の客に鉢合わせたことはないし、本当にいったいどこで収入を得ているのかとこちらが逆に心配になる。

 そしてそれ以上に気になるのは、この毒舌店主のプライベートだった。失礼だがこの性格で恋人がいるとは思えないし、色恋に興じている絵図も全く想像がつかない。さりとて友人たちとどこかに出かけたり、遠出したりすることもなさそうだ。そんな話を白沢さんの口から聞いた日には、私がたまげる。

 「……白沢さんってお店が開いてないときは何してるんですか?」

 故に訊いてみることにしたのだが、この答えが実に白沢さんらしかった。

 「経理関係の処理。外回り。以上。」

 一寸の隙もないキレッキレの返答だった。この間彼が手元の本から視線をあげることはなく、私は伏せがちのその顔を拝みながら思わず心の声を漏らしてしまった。

 「つまらない人生送ってますね……。」

 その瞬間、整った顔に青筋が走ったことは言うまでもない。彼は静かに本を閉じると両手を組んで、こちらを見下ろした。見る人が見れば背筋の冷える類いの笑顔だった。

 「……失礼な奴だな、君は。」

 「すみません、つい。」

 「一切悪びれないあたり、さすがに肝が据わっている。」

 「事実でしょう?それ。」

 「たしかにそうだが。」

 「なら、別にいいじゃないですか。」

 「…………。」

 返す言葉が見つからなかったのだろう。呆れ半分といった調子でため息をつき、額に手を当てた白沢さんに、私は質問ついでに続けた。

 「ていうか、古書店なのに外回りするんですか?」

 気を取り直したらしい白沢さんは、私の問いにすぐにうなずいた。

 「するとも。買い取るだけが古書店の仕事ではない。少なくとも、私の店ではね。」

 そう答えた彼は、紛うことなき古書店店主の顔をしていた。

 なんだか意外だった。そもそも、この白沢さんがわざわざ営業スマイルを貼り付けて仕事をしている絵図が想像できない。それに、古書店というのは売られた本と新たな買い手が出会うだけの場で、自らが奮って外に出なくとも本は外から勝手に流れてくるものだから、それほど忙しい職場ではないのだろうと勝手に思っていた。

 「……存外に忙しいんですね、古書店店主も。」

 「ふん、少しは認識を改めたようで何より。」

 白沢さんは喉奥でくっと笑うと、勝ち誇ったように言った。いつもなら何か一言言い返しているところだが、今回ばかりは何も言えない。

 「……さっき、外回りって言ってましたけど。具体的にはどんな仕事してるんですか?」

 「今日は随分質問攻めだな。」

 「知りたいですから。……それに、間違った認識のままでいるのは嫌なので。」

 いい心がけだ、と彼は笑った。今日は随分笑う日だ。

 「……そうだな。外回りにもいくつかあるが、例えば、本の修繕がそれだ。回収した本には状態のよくないものも多い。直せる範囲なら直しているのだが、私も所詮は専門家ではない。貴重な本だが状態の悪いものは、知り合いの本の修繕屋に頼んでいるのだよ。こちら側でも、あちら側でもね。」

 「へえ、おもしろそう――……って、ん?こちら側?あちら側?」

 興味深い話に相槌を打ちながらいたのでうっかり聞き流しそうになったが、私は白沢さんの最後の台詞に首をかしげた。その独特の言い方はひっかかる。まるで、此岸と彼岸のような言い方だ。

 少なからず顔に出ていたのだろう。白沢さんは私の顔を見ると、あぁ、と声を上げた。

 「そうか。君はまだ知らなかったか。」

 何を、と口を挟む隙間はなかった。白沢さんが番台からするりと立ち上がったからだ。私が此処にいる間、彼が定位置を動くのは割と珍しかった。彼は私の前に立つと、ぴっと人差し指を立てて再び口を開いた。

 「この店は……〈六角堂〉は、人間の世界にも、あやかしの世界にも存在する古書店なのだよ。入口が二つある古書店、と言ったほうが早いか。“雨上がりの黄昏時”ではないときは、大抵あやかし側の扉が開いている。」

 白沢さんは至って平然と説明しているが、私にとっては初耳な情報ばかりだ。いや、それ以前にいきなりそんな非日常的な話をされても困る。頭が追い付くわけないし、信じろと言うほうが無理だ。

 「……ちょっと待ってください。何ですか、そのアニメみたいな設定は。」

 「たしかに、君とってはにわかには信じがたい話ではあるだろうな。」

 白沢さんは肩をすくめて笑うと、ふと真顔になった。戸口から差し込む強い西日が白沢さんの横顔を照らして、その端正な顔に濃い陰を刻んだ。そのせいで、いつも見ているはずの顔が別人のような印象を受けた。

 「だが、これは虚構ではない。私たちの世界は君たちの目に見えていないだけで傍にある。……まあ、視えない者に何と言っても無駄だろうが。」

 白沢さんはそこでふっと笑うと、腕を組んだ。私以外に客のいない店内に、衣擦れの音がやけに大きく響いた気がした。

 「だから、君が覚えておくべきはひとつだけ――ゆめゆめ“雨上がりの黄昏時”以外にこの店に入らないことだ。どこの馬の骨とも知れぬ低俗なあやかしに攫われたくなければな。」

 このときは彼が何を言っているのかいまいちわからなかったから、結局曖昧に返事をするにとどめたのだが……私がこの忠告の本当の意味を知るのは、それからほどなくしてのことになる。


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