その店主、理屈屋にして
出会い
私が初めて〈六角堂〉を知り、白沢さんと出会ったのは、ちょうど二月ほど前のことだ。春特有のうららかな日和だったと記憶している。入学当時から入りたい部活もなかったので、学年が切り替わる節目にも入部のビラを押し売りしてくる同級生や上級生の勧誘をすり抜けて帰宅している途中だった。だいたい中学時代で部活動はやりきった感がする類の人間なので、所属は委員会だけで十分だと思っていた。
(それに合わないんだよね、ああいうのは……。)
冷めていると言われることが間々あるが、実にその通りだと自分でも思う。だが物心ついたときからこの性格だったのだ、今更変えようがない。熱中していることと言えば、趣味の古書店めぐりくらいだろうか。家族からは趣味が女子高生のそれではないと逆に心配された。実にその通りだと自分でも思う。だが、目に鮮やかな内装の店で洋服やアクセサリを眺めているよりも古い本に埋もれた店にいた方が落ち着くのだから仕方ない。
言い訳めいたことを心の中でぶちぶち呟いていると、いつの間にか馴染みの並木道に来ていた。ここは駅に行くには少し遠回りになってしまうが、両脇に桜の木が植えられていてこの季節はとても見ごたえがある隠れスポットなのである。帰りの時間に余裕があるときは、この道を通るようにしていた。一昨日までは息を呑む美しさだった並木道は、昨日からずっと降り続いていた雨で一面の淡い桃色で染まり、枝を見上げれば花がほとんど落ちてしまった桜の木がどこか頼りなく見えた。
「桜も終わったな……。」
なんとなく、そう呟いたそのときだった。
非常に澄んだ声で、鶯が鳴いた。声のボリューム的に、とても近い。私は、鶯を驚かせないようにしながら、あたりを見渡すようにして歩きだした。
そして、鶯の声をたどりながら行き着いた先に、その店はあった。
こぢんまりとした庭にはいささか窮屈そうに一本の古い梅の木が植わっている、粋な町屋づくりの店。壁には六角形の中に本が透かし彫りされた看板。
「古書、〈六角堂〉……?」
きいたことのない店だった。ここら辺の古書店はひとまわりまわったつもりでいたのだが。そう思いながら、入り口の引き戸に手をかけると、からからと小気味良い音で来客を知らせる木製の呼び鈴が鳴った。
「――……」
中に入ったときの第一声は言葉にならなかった。
店の奥まで連なる、本棚。鼻を衝く、古本独特の香り。
心躍らせながら順に並べられた本を見てみると、日本の本だけでなく洋書や漢書まで、ありとあらゆるものが置かれていた。
「すごい……こんなところがあったなんて……。」
点々と灯るブラケットライトの明かりの下で思わず手近な棚にあった本を手に取って見てみると、それは緻密な絵を乗せた何かの図巻のようなものだった。植物もあれば、人間もいる。添えてある字は異国の言葉のようで、生憎と読めなかった。
「図鑑かな……それとも画集……?」
「――それは、吉兆や瑞兆を顕すとされる、天界のものを集めた書だ。」
心臓が止まるかと思った。
振り返ればそれまで誰もいなかったはずの店の入り口に、一人の男性が戸口の柱に背中を預けて立っていた。気配のひとつもなかった。
びっくりするくらい綺麗な顔立ちの人だった。古臭いデザインの丸眼鏡も様になっている。背が高いのにそれほど威圧感を受けないのは、身体全体の線が細いからだろう。藍染の和装が、よく似合っていた。
彼はしげしげと私を眺めた後、無表情に口を開いた。
「こちら側の客人か。珍しいな。しかも人間とは。よほどの力があるか、はたまた偶然で迷い込んできたか……。」
訳の分からないことをぶつぶつつぶやきながらこちらにやってきたその人は、顔をぐっと近づけてつづけた。
「君は、どちらかね?」
至近距離で見てくる瞳は、わずかに青みがかって見えた。吸い込まれそうな深い色合いの瞳から目を話せないまま、私は気付けば口を開いていた。
「……どちらも何も、店があったから入ったまでなんですが……。今まで見たことないお店でしたし……。」
ごにょごにょと言うと、男性はしばらく黙った後で私から距離をとった。
「なるほど、後者か……。逢魔が時が、珍客を連れてきたものだ。」
「は?」
力?逢魔が時?何を意味の分からないことを言っているのだろうか、この人は。
しかし頭に浮かんだ疑問が言葉になる前に、彼は私の横をすり抜けて店の奥へと歩き出す。から、と下駄が石敷きの床を叩いて乾いた音を立てた。
「ゆっくりしていきたまえ、人間の。ここには、ありとあらゆる知識が集まる。退屈はせんだろう。」
申し遅れた、と男性は向き直って私を見下ろした。それだけで、場の空気がピリッと引き締まった気がした。
「私の名は、白沢恵。この雨上がりの古書店――〈六角堂〉の主だ。」
これが、私と彼との出会いだった。
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