雨上がりの古書店

懐中時計

開店

 雨、雨、雨。

 梅雨というのは、実に鬱陶しい時期だ。

 肌寒いし、湿気で髪はまとまらないし、靴は浸水して靴下が犠牲になるし、水たまりを突っ切る車のせいで泥はねを被る。何より、それらのことに気を遣うから、ただ歩くだけでもひどく疲れる。

 「はぁ………」

 私──八坂環やさかたまきは、今日何度目かのため息をついた。

 「こうも雨が続くと、憂鬱をため込みすぎてそのうちはげそうですよね……。そう思いません?白沢さん」

 私の言葉に、番台で本を読んでいた彼──古書店〈六角堂ろっかくどう〉の店主、白沢恵しらさわけいはふん、と鼻で笑った。

 「天気で気分が沈むなんて繊細な感性を持っていたのか。これは驚いた」

 「四六時中本と向きあっているどこかの楽隠居とは違うんですよ」

 「楽隠居じゃない。古書店店主だ。あと、四六時中読んでいるわけじゃない。これでも忙しい身なのだよ。何度言っても覚えないな、君は」

 「覚えてますよ。もう耳にタコさん状態です。同じことを何遍も言うなんて、お歳ですか?」

 一気に切り返した私は、今日こそは言い負かしてやったと思ってちらりと横を見た。すると、馬鹿を見る目で見られた。

 「やはり馬鹿かね、君は」

 馬鹿とも言われた。私は、自分の額にびしぃっと青筋が走るのがわかった。……本当に、この男は……。

 古くさいデザインの丸眼鏡も様になるほど整った顔立ちで、大変な物知り。だが、口を開けば、先ほどのような口調でずばすば切り込んでくるからいけない。「黙っていればかっこいい」を地でいく類いの人だ。

 ………いや、正確には、「人ではない」のだが。

 白沢さんは、読んでいた本をパタンと閉じると、真顔で口を開いた。

 「あやかしに、重ねる歳の数など関係ない。数えるだけ無駄だからだ。……君にはさんざん言ってきたと記憶しているが?」

 そう、白沢さんは、あやかしだ。

 厄介で面倒な、人ならざる者。

 でも、私にはそんなことは些末事だ。

 彼は、私の知らないことをたくさん知っている。知らないことを知るのは楽しい。だから、いくら小言が多くても、私は白沢さんの所に通ってしまうのだ。

 絶対こんなこというとせせら笑われそうだから、言わないでいるが。

 私は、はいはいと適当な返事を返すと店の引き戸に手をかけた。2時間に1本しか出ないバスを待つのには、ここは居心地が良すぎるきらいがある。そろそろ帰らないといけない時間だ。

 「じゃ、そろそろ帰りますね。……雨上がりの黄昏時に」

 私が言うと、白沢さんは頷いた。

 「あぁ、雨上がりの黄昏時に。……気をつけて帰りたまえ」

 それは、今となってはお決まりのやりとり。「さよなら」と「また来ます」のかわり。

 さりげなく「次」を約束できる、すてきな言葉だ。

 私は、ふっと笑って店をあとにした。



 ──ここは、雨上がりの黄昏時にしか開かない、一風変わった古書店。

 小言の多いあやかしの店主はいるが、私は総じてこの場所が気に入っていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る