第二八章 終幕

 大陸暦九三八年九月のある日、シュタインズベルク郊外で雷鳴が轟いた。雲ひとつない晴天下に霹靂、それを不思議に思った者は多かったという。

 数時間後、シュタインズベルクの城門付近で歓声が上がった。ちょうどそのころ、大公宮殿では国家防衛会議が開かれていた。参加者はエリーゼ、リック、クライスト、アーヤ、ラドム・ゼン、バイヤーオベルン知事の6名。伝えられた第一報に、エリーゼを始めとしたローライシュタイン大公国の要人たちは驚きの色を隠せなかった。すぐに一行は城門へ急行した。

 そこには奇跡の白騎士が立っていた。

「ローライシュタイン大公閣下、ユリエッタ・バイヤーオベルン、ただいま帰任いたしました」

「ユリエッタ!」

 バイヤーオベルン知事が駆け寄り、彼女を抱きしめた。まちがいなく正真正銘のユリエッタだった。

「・・・おまえは天に還ったと聞いた。それがなぜ ────」

「はい。彼の地でしばしの休息を得たのち、わたしは想い起こしたのです。地上でお世話になったひとたちに、わたしはまだ十分な恩返しをしていないと。だから両親に願い出て、恩返しができるまでこの地にとどまることを許してもらいました」

 ユリエッタはリックの正面に立った。

「ジェネラル閣下、わたしを再びローライシュタイン大公国軍の末席に加えていただけますか?」

 リックはわずかな時間、沈黙を守った後、口を開いた。

「・・・だめだ」

 周囲の皆が一瞬呆気に取られた。リックはニヤリと笑って続けた。

「末席ではないぞ。ローライシュタイン大公国軍第七師団長だ」

 その言葉にユリエッタは嬉しそうに微笑んだ。



 同年の秋口に入った一〇月一二日、ローライシュタイン大公国の一地方都市タンデスベルクに首都シュタインズベルクを発った一両の馬車と護衛の一団が近づいていた。車両の両側面には鷲の紋章が描かれており、一目で大公国要人専用車と分かった。一行はタンデスベルクに入ると一路SR社タンデスベルク機械工場をめざした。

 夕刻、SR社の門を抜け、工場敷地に入ったところで馬車はその動きを止めた。機械工場の隣には女工たちの暮らす寮が併設されている。その入口扉が勢いよく開け放たれた。待ちきれないというようすでちびのケイトが飛び出してきた。他の女工たちも続いた。

 馬車の扉が開き、平服姿のアーヤがその場に降り立った。

「アーヤァアァァ!!」

 ケイトがアーヤの胸に飛び込んだ。

「アーヤッ! アーヤァ! 会いたかった、会いたかったよぉ ────」

 ケイトは三年経っても相変わらず泣き虫だった。

「ごめんね、ケイト。こんなに来るのが遅くなってしまって」

 アーヤはケイトを抱きしめながら再会の遅れをわびた。

「アーヤ、元気そうだね。わたしたちも嬉しいよ」

 今は年長者のエマが機械工場の現場でフロア長を務めていた。

「エマ・・・」

 包容力のあるエマの微笑みに癒されて、アーヤも笑顔を返した。

「アーヤ、早く中に入って。みんなでケーキを焼いたんだよ」

 ケイトがアーヤの手を引っぱっている。

 三年ぶりの再会に沸く女工たちの姿を機械工場二階の工場長室窓から見つめる者がいた。工場長クルツ・ロールバッハだった。かれは他にだれもいない工場長室で独りつぶやいた。

「社長、わたしは指示どおりに動きました。正しい結果を導き出せたと確信しております」


 ケイトに引っぱられてアーヤは三年ぶりに寮の食堂へ入った。そこは以前と変わらずアーヤの心に郷愁の念を想起させた。テーブルの真ん中に女工たちが焼いたケーキが置いてあった。壁には「アーヤ、おかえり」という手作りの大きな横断幕が貼ってある。女工たちはほとんどが見覚えのある顔ばかりだった。

「アーヤ、本当によかった。三年前のあのときには再会できるなんて思っていなかったもの」

 エマが感慨深げに語った。

「アーヤが出て行ったあの日、みんなの悲嘆はそりゃもうひどいものだった。それからしばらくはまともに仕事ができず、ロールバッハ工場長にも迷惑をかけてしまったけど、工場長はいいひとでさ、この状況じゃやむをえないって、操業を停止してくれたんだ。だから後でアーヤから手紙が届いたときには、とてもびっくりしたよ。アーヤが生きてるって。それだけじゃない。ローライシュタイン大公国軍で働いてるなんてすごいことさ。でも、皆納得したよ。アーヤならできる。だって、わたしたち全員を導いてくれたんだから ────」

「ザイドリック・ローライシュタイン閣下はわたしの命の恩人です。一ヶ月のサナトリウム(療養所)生活を経て全快できたのも閣下のおかげなので」

────えっ?

 エマはアーヤの言葉に違和感を持った。当時、アーヤを助けようと必死にあちこちで聞き回った知識を総合すると、結核によるサナトリウム生活は最低でも二ヶ月以上必要なはずだった。いかに最良の医療環境が整っていたとしても、そんなに早く軍に入隊できるまで回復するだろうか?

 エマの疑問をケイトが丸ごとかき消した。

「ねえねえ、アーヤは今シダンチョウとかいう隊長さんなんだって。それって偉いの? 部下は一〇人ぐらい?」

 アーヤはにこやかにうなずいた。

「バカケイト!」

 エマが呆れて口をはさんだ。

「師団長っていうのはね、軍の最高クラスの指揮官なんだ。配下の兵士は一万名を下らない」

「いちまん・・・・!!」

 ケイトは両手の指を交互に折りながら、なんとかその数字の大きさを理解しようとしたが、まもなく目を回してしまった。

「さあ、そんなことよりみんなでケーキを食べましょう。アーヤ、今日は泊まっていくんだよね?」

「ええっ」

 アーヤが応じるとまたもやケイトが割り込んだ。

「あたし、アーヤといっしょのベッドで寝る」

 アーヤにとってそこは第二の故郷とでもいうべき場所だった。大公国軍の再編成が完了し、少しだけ軍務に余裕ができたので、アーヤはSR社タンデスベルク工場の訪問をリックに上申し、認められたのだった。しかしそれがつかの間の休息だということをアーヤはよく理解していた。ローライシュタイン大公国をめぐる情勢はなにも好転していない。これから先の嵐を予感して、アーヤの心は決して晴れなかった。



あなたのために死んでくれるヒロインはいるか?

第一部 エルマグニア内戦編 完

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あなたのために死んでくれるヒロインはいるか? 蔵武世 必 @rollei

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